第229話 聞き覚えのある詠唱

 一ノ宮が、ちらりと柏木の方を見た。


 そう、今回の正解は、明らかにそれだろう。七属性魔導師・柏木の、広範囲攻撃魔法。ぼくも一度だけ見たことのある、あの威力の魔法があれば、目の前の敵軍も一撃で壊滅させることが可能なはずだ。だけど、彼女にできるんだろうか? 設定うんぬんはともかくとして、今の柏木は、体がとても弱っているように見える。というか、見えるだけじゃなく、本当に弱ってるんだろう。立っているのが精一杯なんだから。そんな彼女に、無理に大魔法を詠唱させたりしたら……。

 あー、ぼくも魔法スキルのレベルだけは上がってるんだから、少しは練習しておけば良かったよ。広範囲の攻撃魔法なんて使ったことがないし、そもそも呪文を憶えていない。今から柏木に教えてもらって、付け焼き刃でやるのもなあ。高いレベルの魔法って、スキルがあったとしても、一発で成功するようなものではないだろう。

「敵の移動速度が速い。先頭まで、残り三百メートルほど」

 探知スキルでわかったことを、ぼくは改めてみんなに告げた。でも、報告するまでもなかったかもしれない。聞こえてくる音が、明らかに大きくなっているんだ。今では単なる地鳴りではなく、それがたくさんの足音、物音の集合であることがわかるまでになっていた。そうか。さっきの百人は、偵察隊のようなものだったのか。その部隊からの連絡が途切れてしまったので、本隊の方は最初から戦闘態勢をとって、こちらに突っ込んでくるんだろう。

 薄暗い闇の向こうに、その集団の姿が見えてきた。ぼくには暗視のスキルがあるからなんだけど、他のみんなの目にも、もう少しで見えてくるだろう。


「……今度は、三人で前に出よう」

 一ノ宮が言った。

「ぼく、上条、ユージの三人だ。白河さんはその後ろで、討ち漏らした敵に対処してくれ。アネットさんは、柏木さんの隣で、彼女を守ってやってください」

「そんな、無理よ……」

 柏木がかすれた声で異議を唱えたけど、一ノ宮は首を振って、

「相手が千人だとしても、三で割れば三百くらいだ。さっきの上条の三倍くらい、がんばればいい。その程度なら、死ぬ気でやればなんとかなるだろう。これが二回目になる上条には、申し訳ないけどね」

「任せとけ! 火事場のクソ力ってやつを、見せてやるぜ」

 上条が答える。ただ、ぼくは敵の数は「千以上」と言ったのであって、「千」ではない。もしかしたら、その倍くらいいてもおかしくないかもしれないんだ。でも、一ノ宮もそのへんはわかった上で、こう言っているんだろう。みんなの士気を下げないために。

 ぼくはアネットに近づいて、小さな声で言った。

「アネット。無理なようなら、逃げてもいいからね。たぶんあいつらの狙いはアネットじゃないし、ここにいる全員が死ぬ必要はないんだから」

「うん、そうする。けど、ユージはどうするの?」

「ぼくも、いざとなったら逃げる。けどとりあえずは、一ノ宮の言うとおりに戦ってみるよ」

 ぼくは答えた。実を言うと、戦わずにこのまま逃げてもいいのかな、とも考えていた。たぶんだけど、敵の狙いは勇者パーティーだろう。その道連れで、ぼくたちまで死んでしまう必要はない。

 ただ、何て言うのかな、この四人にも、ちょっと情が湧いてきてしまったんだ。一ノ宮たちはもう人間じゃなくて、死者であることはわかっている。だけど、こいつらと一緒に行動して、まさに人間そのもののやり取りをしていると、どうしても「人間」として扱いたくなってしまうんだ。「AIに人間を感じ、人間として扱ってしまう」なんて話を時々聞くけど、こういうことなんだな。AIどころか、ソ○ーの古いペットロボットに情が移って、壊れたらお葬式をする、なんて人もいたくらいだし。

 もちろん、いざとなったら逃げる、というのも本当だ。人間を感じるとはいっても、やっぱり最後の最後には、割り切らないとね。それにぼくは、一ノ宮に殺されたこともあるんだから、言い訳としては十分でしょう。他の三人には、申し訳ないけど。


 ぼくたちは配置についた。真ん中に一ノ宮、右に上条、左にぼく。その後ろに白河が控えて、杖を構えている。だけど、これだけの大軍を目の前にしたら、配置なんて全然意味がない、そんな気もしてきた。やっぱこれ、無理だろ。どうしよ、このまま逃げようかなあ……。でも、それはもう遅いみたいだった。一段と敵が近づき、移動速度がさらに上がったのがわかる。突撃の体勢になっているのか、部隊の先頭は少し前のめりの格好で、こちらに駆けてきた。

 こうなったら、覚悟を決めるしかない。ぼくは久しぶりにマジックバッグから出してあった日本刀を抜いて、正眼に構えた。自分が持っているスキルの一覧を思い浮かべ、とりあえずはどうやって戦うかを考える。あ、そうだ。大高たちとやっていたあの戦法、土魔法で相手の出鼻をくじくなんて手が、意外にいいんじゃないかなと思った、その時だった。


 ぼくたちの後ろで、詠唱が鳴り響いた。


 前衛の三人は、はっとして後ろを振り返った。けど、声の主は白河じゃない。白河も、驚いた顔で後ろを向いている。彼女の向こうには、アネットに背中を支えられながら、かすれ声で呪文を口にしている柏木の姿があった。

「おいバカ、やめろ!」

 上条が声を上げる。けれど、柏木の詠唱は止まらなかった。いや、既にかなり前から、小さな声で詠唱を始めていたんだろう。どこか聞き覚えのあるその呪文は、既に最終盤にさしかかっているようだった。

「やめろ、やめてくれ!  今、そんなことをしたら──」

「《サンドウォール》!」

 ぼくはあわてて、準備していた呪文を口にした。久しぶりに使う土魔法を、できるだけの魔力を込めて。ぼくたちの目の前に、長く、高い土壁が盛り上がっていく。その壁にさえぎられ、敵兵たちの姿が見えなくなった頃、柏木の魔法が完成した。


「……《エクスプロージョン》」


 消え入るような声で、最後の詠唱がなされた。

 土壁の向こうの空に、大きな火の玉が現れる。術者の声の弱々しさとは対照的な力強い火球は、さらに膨れ上がり輝きを増しながら、壁の向こう側へと落ちていった。そして、激しい閃光と共に、爆発音が響いてきた。

 ぼくはすぐさま、土壁に身を寄せた。土壁の上を、爆風が通過していく。あ、アネットたちはだいじょうぶかな? 後ろを見ると、白河は自分で土魔法の壁を作り、アネットは柏木の体をかついで、その壁の陰に隠れようとしていた。どうやら、間に合いそうだ。

 強い熱を伴った暴風が頭の上を過ぎ去り、次いで吹き返しの大風が来て、ぼくの体を壁に押しつけた。砂粒が顔や体に張り付いてくる。ぼくはペッとつばを吐いた後で、何度か咳こんだ。けれど、それきりで風は収まり、あたりには静けさが戻ってきた。

 なんとか、火魔法の余波をやり過ごすことができたらしい。

 ぼくは再び土魔法を使って、土の壁を崩していった。やがて、壁の向こうの様子が目に入ってきた。


 そこに広がっていたのは、ただの荒野だった。


 さっきまで、目の前を覆い尽くしていたはずの敵の軍勢は、今や痕跡さえも残っていない。探知スキルからも、何の反応も返ってこなかった。敵兵は探知の範囲外にもいたはずだけど、柏木の魔法は探知範囲を上回る大きさで広がり、周辺の敵を滅ぼしたんだろう。暗い大地に残っているのは、一部が赤熱した地面だけだった。グラントンの迷宮で、一撃でハーピーの群れを全滅させた、あの火魔法。あの時よりもさらに破壊力の増した、すさまじい攻撃魔法だった。

 背後の土壁の陰から、白河とアネット、そして二人に肩を借りた柏木が姿を見せた。ちょっと心配だったけど、あいつらも無事らしい。それを見た上条が、三人の元に駆けていった。柏木も上条を迎えようと、歩き出そうとする。ところが突然、全身から力が抜けてしまったかのように、膝から崩れ落ちた。

「郁香!」

 上条が駆け寄って、彼女を抱き起こした。青い顔をしていた柏木だったけど、上条の顔を見るとわずかに微笑んで、

「……だいじょうぶ。魔力を使いすぎただけだから。でも、ちょっと疲れちゃったかも。しばらく、休ませて……」

「ああ、もちろんだ。いいよな、優希!」

 問いかけられた一ノ宮は、その勢いに押されるように、うんとうなずいた。


 その時、ぼくたちの上空に、小さな赤い光が灯った。


 見る間にその光は大きくなり、明るさも増していった。それは大きくなっているだけでなく、高度を落としているらしい。近づいてきて、わかった。あれは光ではなく、炎だ。炎のかたまりは、まるでさっき見たばかりの映像を繰り返すかのように膨れ上がり、まがまがしい輝きを放ちながら、ぼくたちの上に落下した。



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