第235話 ありがとう、ごめんなさい
「私はその誘いを、受けることにしたの」と、柏木が言った。
ちょっと待ってくれ。その誘いを受けた、だって?
それは嘘だ、と叫んでしまうところだった。だって、そのパーティーに参加したのは、アネットのはずなんだから。アネットもそう言ってた。けれど、そう話す柏木の目は悲しみに満ちていて、とても嘘をついているようには思えなかった。ぼくはアネットを見た。アネットは、ただおびえたような視線を、柏木に向けている。こちらも、話の内容に驚き混乱はしているけど、ついていた嘘がばれた、という顔つきではない。けど、死者は自分の記憶を、自ら歪めてしまうらしい。もしも彼女が、死者だったとしたら……。
いや、少し落ち着こう。
もしかしたら、ここの調査に入ったAランクパーティーは、二つあったのかもしれない。それとも、パーティーに加わった臨時メンバーは二人いて、合計で6人だったのかもしれない。美月はそんなことを言っていなかったけど、彼女の情報が間違っていた、と言う可能性だってあるんだから。いや、待てよ。それ以前に、どうして死者である柏木が、こんなことを話せるんだ? 死者は、自分が死んでいることがわかるような記憶を、ねじ曲げるんじゃなかったのか……?
落ち着こう。落ち着いて、もう少し彼女の話を聞いてみよう。
ぼくは、混乱した思考をひとまず頭の隅の方に追いやって、柏木の言葉に耳を傾けた。
「そのパーティーの人たちは、危険な依頼だから断ってくれてもいい、と言ってくれた。なにしろ、中に何があるかわからない世界に入っていくんだからね。そんな場所だから、本当は斥候役になる人を探していたみたい。ちょうど、アネットさんのようなタイプを。けど、そういうジョブを持っていて、かつ依頼を受けてくれるような人がいなかったので、それなら攻撃力の強い人を、ということになった。それで、私に話が回ってきたの」
「どうして郁香は、そんな危険な依頼を受けてしまったの?」
「どうしてって、決まっているじゃない。美月たちに会いたかったからよ」
白河の問いに、柏木は強い語調で答えた。
「会ってもう一度、一緒に暮らしたかった。戦争なんかのない、普通の暮らしを。一人になってしばらく経ったけど、私はどうしても、その思いを捨てることができなかった。そのせいか、最近はまた、体調が悪くなってきていて……。だから二つ返事で、その依頼を受けたの。
急ぎの依頼だったから、私たちはすぐにハーシェルに来て、この『裂け目』の中に入った。しばらくの間は、やっぱり怖かったよ。見たことのない真っ暗な世界で、死んだ人が時々、襲ってくるんだもの。けどすぐに、楽しみになってきた。この暗闇のむこうに、武明たちがいる。そして私を見つけて、私に会いに来てくれる。そんな気がしてきたから。
そして、この世界に来て四日目に、私の願いはかなったの」
柏木は目を伏せた。願いが実現したという話なのに、なんだかしゃべりづらそうにしている。その理由には見当がついたので、ぼくは彼女にこうたずねた。
「そのAクラスパーティーと、一ノ宮たちが出会ったんだね」
「うん」
「そして、戦いになった。その結果、Aクラスパーティーは全員、殺されてしまった」
「……うん。そう」
「ぼくたちが、そのパーティーの人たちを殺した……?」
答えづらそうにうなずいた柏木を見て、一ノ宮が愕然とした表情になる。聖剣が手から離れて、高い音を立てて地面に転がった。柏木はあわてて、
「あ、でも、一ノ宮君たちのせいじゃないよ。あの人たちが死んでしまったのは。私は最初から、あなたたちと会ったら、一緒に行くつもりだった。それをあの人たちが、止めたんだもの。武明が、『郁香を返せ!』と言って戦ってくれた時は、少しうれしい気持ちもあったんだよ」
そうか。そういうことだったのか。だから一ノ宮たちは、四人の冒険者を殺したのか。
その四人にしてみれば、生きている知り合いの魔術師を、三人の死者がさらっていこうとしているように見えたんだろうから、止めようとするのは当たり前だ。けれど一ノ宮たちの目には、彼らは自分たちのパーティーメンバーをかどわかした、無法者たちと映っていたんだろう。それで戦いになって、『無法者』を殺してしまったんだ。
「それにあの人たち、一ノ宮君たちはもう死んでいるんだって、説得し始めたでしょ。ものを食べてないはずだとか、水も飲んでいないだろうとか、トイレに行っていないのは憶えていないのか、とか……あれがまずかったと思う。そんなことをしたから、一ノ宮君たちの感情を、かえって逆なでしてしまったんだ」
「……」
柏木の言葉に、一ノ宮は低くうなるだけだった。柏木は話を続ける。
「そしてとうとう、私は武明たちの元に、戻ることができたの。私は持っていた荷物のほとんどをその場に置いて、その場を去ることにした。
あ、そうだ、ギルドから貸与されたっていう、方位がわかる魔道具。後衛だったせいか、私が持たされていたんだけど、あれもその時に、捨ててしまったと思う。もう、元の世界に戻るつもりはなかったから。後で、ユージ君が拾ってくれたみたいね。悪いけど、ギルドの人に返しておいてくれないかな。あれ、けっこう高価なものみたいなんだ」
「ああ、それはかまわないけど……。ちょっと待って。荷物のほとんどを捨てた? じゃあ、食料は?」
「もちろん、捨てちゃったよ。美月たちが食べたり飲んだりはしないことは、聞いていたからね。だから、私も、何も食べなかったし、水も飲まなかった。できるだけ、美月たちに近づいていきたいと思って。ごめんね、武明。時々水筒を持ってきてくれたけど、あの中はもう、空になっていたの」
ぼくは愕然とした。柏木は、この先も上条たちと一緒に暮らしたいと望み、食事などを一切口にしなかったという。それはつまり、「私も死にたい」ということだろう。
間違いなく、彼女は徐々に衰弱していっただろう。一ノ宮たちと同行してからまだ数日程度しかたっていないから、食事抜きはそこまでのダメージではあるまい。けど、水抜きはまずかったんじゃないだろうか。そうだ、彼女はトイレにも行っていない。もしかしたら、お湯で体を拭く際にでも済ましていたのかもしれないけど、それでも日に一回だ。尿が出ないってけっこうまずい、って、どこかで聞いたことがある。さらにその上、眠ってもいないだろうから……。
もともと、勇者の病で体力を失っていたんだ。その体が、そんな生活に、さらには極大魔法の連発に、耐えられるはずがない。そしてとうとう、彼女は望みの通り、死者となってしまった……。
ああ、そうか。ぼくはまた一つ、納得した。柏木の記憶には、死者に起きるはずの記憶の改ざんがないように見える。けど、その記憶の歪みは、自分が死者であることを認めたくないがためのものだった。だけど柏木は、死者になりたい、上条たちとともにいたいと願って、その通りに死者になった。それなら、記憶を歪める理由はない。
「やっぱり、苦しかったけどね。お腹がすくのはじきになれたけど、のどの渇きと、体の奥の方の痛みが……。
でも、それももうおしまい。これでやっと、私は本当の意味で、みんなと一緒になれた」
二人目の柏木は、一人目の柏木から離れて、勇者パーティーの方へ歩いていった。彼女の元へ、白河が駆け寄る。
「郁香。今の話は、本当なの?」
「ごめん、美月。隠していて。でも、本当のことなんだ。それとごめんね、みんなと一緒になるのが遅くなっちゃって」
「遅くなんかない、早すぎるわよ。
……そう。私たちは、ずっと前に死んでいたのね」
この言葉に、柏木が無言でうなずいた。
「そしてあなたは、たった今、亡くなったばかり」
柏木はもう一度、うなずいた。
それを見た白河は、一歩下がって、一ノ宮と、上条に視線をやった。三人が、何やら無言でやり取りをかわす。白河はうなずき、柏木に向き直って、こう言った。
「郁香。今まで、本当にありがとう。それから……ごめんなさい」
そして、一つの魔法を発動した。
「──《リザレクション》」
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