第237話 絶対に、何度でも
二人目の柏木の姿が消えたのを見て、一ノ宮は地面に寝そべったままの柏木に歩み寄っていった。
「柏木さんの様子はどう?」
横にいたアネットに尋ねる。アネットは柏木の顔と胸に手をやって、
「……息はしていて、心臓も動いてはいる。けど、どちらも時々、止まっているみたい。動いている時も、それがほとんどわからないくらい、弱々しい」
一ノ宮は柏木の横に片膝をついて、柏木の手首をとった。うなずいて白河を呼び、ヒールの魔法を掛けてもらったけれど、状態は改善しなかったらしい。ぼくは柏木に、鑑定をかけてみることにした。その結果は、
【種族】マレビト
【ジョブ】魔導師
【体力】1/21
【魔力】1/91
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「体力」のステータスは、確かに0ではなくなっていた。けど良く見ると、その数字は震えるように細かく変動していて、「1」と「0」の値を往復している。生き返ってはいるけど、かなりきわどい状態らしい。
一ノ宮は首を振って、
「一度亡くなってしまった人を、無理に蘇らせたんだ。当面は、こんな調子なのかもしれないね。アネットさん、申し訳ないけど、しばらく彼女を見ていていただけませんか」
「うん。わかった」
一ノ宮は立ち上がって、今度はぼくの方にゆっくりと歩いてきた。ぼくは尋ねた。
「なあ、一ノ宮。君は、自分が死者だってことが、わかってるの?」
「さすがに、こんな光景を見せられてはね。二人目の柏木さんが現れて、その後で消えてしまった。その上、消えた柏木さんに、あなたたちは死者で、自分はあなたたちと同じ死者なろうとしてパーティーに加わった、なんて話を聞かされたんだ。
もちろん、彼女の言葉が嘘である可能性もある。けど、彼女の話を聞くにつれて、いくつかの出来事を思い出してきた。それを考えあわせると、まったくの嘘だとはとても考えられなかった」
一ノ宮の言葉に、白河もうなずく。いくつかの出来事というのは、例えば何を食べたか覚えていない、どこで寝たか覚えていない、いつから、どうしてこの暗い世界にいるのか覚えていない……といったことだろうか。
そうか。フロルによると、死者たちは本能的に、自分の死に気づくのを拒否する。だけどそれには例外があって、高い精神力をもったものなら気づくこともある、とも言ってたっけ。こいつらは勇者と聖女なんだから、その例外に該当してもおかしくはない。上条だってステータスだけを見れば、精神力はかなり高かったはずだ。
「思い返してみると、さっき現れた魔王ケイリーと名乗った魔族、あれも案外、本物のケイリーだったのかもしれないね」
「うん。かもね。それで、君らはこれからどうする? ぼくが話した闇の精霊のことは、嘘じゃない。だからぼくは、これからラールの元に行かなければならないんだ。一ノ宮たちも協力してくれるんなら、ありがたいんだけど」
一ノ宮はしばらく考えていたけど、やがてゆっくりと首を横に振った。
「ぼくたちはおそらく、ラールとの戦いには参加できないだろう。戦って勝てるかどうか、ということではなくて、戦うこと自体ができない気がする。言葉では、うまく説明しにくいんだけど……」
「実は私も、同じことを感じているんです」
白河も同意した。
「おそらく、私たちがこの世界によって作られたものであるため、この世界を司るものに対しては、反抗することができないのではないでしょうか。普通の人間も、世界によって『作られた』と形容されることはありますが、この世界の死者というものは、人間などよりもはるかに不自然で、例外的な存在なのでしょう。司るものに戦いを挑めば、それだけで瓦解してしまうほどに。
実を言うと少し前から、この感覚はあったんです。あの揺らぎの源に近づいていくほどに、本能的な恐怖というか、あそこに近づいてはならない、決して触れてはならないという、心の奥底から発せられる叫びのようなものが。
ここまでは理性で抑え込んできましたが、ようやく、その理由がわかったような気がします」
「だからこれは、君に返しておくよ」
一ノ宮は、地面に落ちていた聖剣を拾って、ぼくに差し出した。
「これからこの剣が必要になるのは、間違いなく君の方だ。それに、君がこれを握っていた時も、剣は光っていたよね。ということは、君も勇者になったんじゃないのか? ぼくが死んだ後で」
「あ、うん。実は」
「それなら、この戦いは君に任せるよ。新しい勇者殿」
ぼくが聖剣を受け取ると、一ノ宮はぼくの肩を軽く叩いた。そして回れ右をして、魔力とは反対方向、これまで歩いてきた方に向かって、歩き出した。上条と白河も、彼に続いた。その背中に向かって、ぼくは問いかけた。
「君らは、これからどうするんだ?」
「さっきも、柏木さんに話しただろう。ぼくたちはこれからも、勇者としての旅を続けていく。そしてこの姿が消えてなくなるまで、この世界の人々を、助けて回るつもりだ。これこそ、ぼくたちにふさわしい望みだったのかもしれないね」
「本気なのか?」
ぼくは尋ねた。ここは楽しい娯楽も、おいしい食事も、安らかな眠りもない世界だ。周囲には満足な光さえなく、目に入るのは死者たちだけ。こうしたことを意識しない死者ならともかく、それを自覚した上でこの世界を旅するのは、おそらくは想像を絶する苦しみになるんじゃないだろうか。そんな地獄のような生活が、いつまで続くのか、わからないんだから。
けれども一ノ宮は、向こうを向いたまま、はっきりとうなずいた。
何か、思うところがあるのかもしれない。もしかしたら、自分が現世で犯した同級生殺しの罪を無意識のうちに感じ取っていて、その償いをしようとしているのかも。全然間違っているのかもしれないけれど、なんとなく、ぼくにはそう思えたんだ。
その横で、上条が小さな声で言った。
「でもおれ、ほんとは、郁香と一緒にいたかったんだよなあ……」
「バカなこと言ってないの。ほら、行きましょう」
白河に軽く小突かれて、上条は情けない声を上げた。一ノ宮は最後に一度だけ振り返って、こう言った。
「じゃあ、ユージ。柏木さんのことは頼んだよ」
三人が、暗闇の中に去って行く。その姿は次第におぼろげなものになり、やがて闇に消えていった。
彼らが見えなくなったところで、ぼくは後ろを向いた。
アネットが、柏木の横にひざまずいた格好のまま、おびえたような目でこっちを見ていた。ぼくの頭の中で、様々な考えが交錯した。
アネット。もしかしたら、君は……。
君はぼくを探していて、ぼくと同じマレビトだった柏木に引きつけられ、彼女たちのパーティーの近くに潜んでいたのか?
そして、隠密状態のまま勇者パーティーとの戦いを目撃し、彼らの口論を聞いて、ここが死者の世界であることを知ったのか?
一ノ宮たちが去った後、そこに捨てられていた方位の魔道具を拾った。そして死者の世界にいるという事実と、自分が死者ではないという自認の整合性を持たせるために、「私がこの世界の調査に来た」という物語を、おそらくは無意識のうちに、作り上げたのか?
彼女を鑑定すれば、はっきりするのかもしれない。その結果を見れば、彼女が死者であるかどうかが、一目でわかるだろう。そしてすべてが明らかに──。
けれども、思いとどまった。
そんなこと、ぼくはしたくはない。それに、それで何かが変わるわけじゃない。ぼくは、今ぼくができることを、しなくてはいけないんだ。
「アネット」
ぼくが呼びかけると、彼女はびくんと体を震わせた。ぼくは彼女に近づいていって、彼女の体を抱きしめた。
「アネット。ぼくはこれから、闇の精霊の元に行ってくる」
「ユージ……。本当はぼくも、一緒に行きたいんだけど……」
「いや、アネットは、柏木さんを頼む。この状態の彼女を、放って置くわけにはいかないからね。ここに残って、彼女を守ってあげて欲しい。効果があるかどうかわからないけど、念のため、ポーションを何個か置いておくよ。それから」
ぼくはマジックバッグからポーションを取り出しながら、
「もしもぼくがすぐに帰ってこなかったら、彼女を連れて、元の世界への出口である『裂け目』まで連れていってくれ。君が持っている魔道具があれば、進むべき方向がわかるはずだ。あ、そうだ。君は一緒に外に出なくてもいいからね。彼女だけ、裂け目の外に放り出してくれればいい。たぶん外では、冒険者や騎士が、裂け目の動きを見守っているはずだから」
「そんな、嫌だよ! ユージがいなくなるなんて──」
「もちろん、帰ってくるよ。今のは、本当に念のための話。彼女のことを、一ノ宮に頼まれてしまったから。
アネット一人だけで運ぶのは大変だろうから、絶対に帰ってこなくちゃだな」
「うん。絶対だよ」
「もちろん」
ぼくはうなずいた。必ず、ここに帰ってくる。この先に、どんなに厳しい戦いが待っていたとしても。そしてこの世界を出て、アネットと一緒に暮らすんだ。そのためなら。
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