第58話 奴隷三原則

 表通りから路地に入ったところにある、落ち着いた外観の建物。ぼくはそのドアを開けて、中に入った。


 受付の女性に用件を告げ、案内された部屋へ向かう。立派なソファーに掛けて待っていると、年若い女性がドアを開けた。彼女の後ろから、初老の男性が入ってくる。男性はぼくの対面に座ると、こう挨拶した。


「当商会で支配人を務めさせていただいております、イクセルと申します」

「ユージです。冒険者をしています」


 ぼくが挨拶を返すと、イクセルは訳知り顔でうなずいた。


「なるほど。ということは、ユージ様は戦闘のできる奴隷をお望み、ということでよろしいでしょうか?」



 そう。ぼくは今、『マルティーニ奴隷商会』に来ていた。


 二度も殺されたおかげで、けっこう強くなったぼくだけれど、困っていることが二つあった。

 一つは、一人だけで活動していると夜営に苦労する、ということだ。夜営の際には、魔物や夜盗の襲撃を警戒するために、寝ずの番を置かなければならない。だから一人きりの冒険者だと、眠ることが出来なくなってしまうんだ。探知のスキルをオンにしたまま寝る、という裏技はあるけど、あれはあくまで緊急避難用。何度も夜中に起こされれば、結局は寝不足になってしまう。

 それならパーティーを組めばいいと言われるかもしれないけど、それはそれで問題が起きるんだ。


 というのは、もう一つの困りごとである、マジックバッグの扱いだ。あれはとても便利なものだから、使わない手はない。だけど、パーティーを組んで活動するとなれば、当然、バッグのことがパーティーメンバーにばれてしまうだろう。

 そしてこの世界に住む人というものを、ぼくには今ひとつ、信用できていない。大高とも話したけど、この世界の常識は、地球とはちょっと違うような気がしている。極端なことを言うと、この世界の基準でいう「いい人」は、自分の利益のためなら簡単に他人を殺すことが出来る、そんな気がするんだ。

 そんな人たちに、高価で貴重なマジックバッグを持っていることが知られたら、どうなるか。バッグを奪い取るために、あっさりとぼくを裏切り、殺そうとするんじゃないかと思う。

 それなら元の世界の人と組めばいいんだけれど、大高たちではちょっとレベルが離れてすぎていて、一緒に冒険者をする気にはなれなかった。だから、アーシアさんを紹介したんだけどね。


 そこでぼくが考えたのが、奴隷だった。奴隷が主人の命令を聞いて、決して裏切らないのなら、奴隷とパーティーを組むのが一番簡単で、安全だろう。イクセルが即座に

「戦闘用ですね」

と聞いてきたことからすると、奴隷のこういう使い方は、こっちでは一般的なんだろうな。

 地球に住んでいた人間としては、奴隷を買うことに抵抗はあるよ。だけど、なにしろここは、殺し殺されが当たり前の世界だ。ぼくたちは、そのルールの下で生きていかなければならない。よっぽど強くて恵まれているやつ(例えば勇者とか、聖女とか)でなければ、自分だけに縛りルールを設定してなおかつ生き残っていく、なんてことはできないと思う。

 それに、いくら奴隷反対を訴えたところで、ぼくがこの世界の仕組みを変えられるわけではない。できることといえば、たとえば購入した奴隷の待遇を良くしてあげて、差別無く接してあげる、くらいじゃないだろうか。

 これは偽善かもしれない。けれど、しない善より、する偽善なのだ。


 ……といったことを言い訳にして、ぼくは奴隷を買いに来ていたのだった。


 あ、そうだ。本当に裏切らないのか、そのあたりはちゃんと、確認しておかないとな。


「その前に聞いておきたいんですけど、奴隷というのは、主人を裏切ることはないんですか?」

「はい。正確に言えば、『主人を裏切ろうと思うことが出来ない』のです」


 たぶん初歩的な質問だったと思うけど、イクセルは嫌な顔もせず、丁寧に答えてくれた。


「これは一種の魔法による洗脳術でして、主人を裏切ろうとする意思そのものをなくしてしまいます。

 この洗脳に含まれる命令は、『主人を裏切ってはならない』の他にも、『主人に害意を持ってはならない』『前掲の二項目に反するおそれのない限り、自分を守らなければならない』が含まれております。なお、主人からの逃亡や、ある行為を看過することで主人に危害が及んでしまう場合も、『主人への害意』とみなされます。

 この術は、奴隷の体に刻まれる奴隷紋によって維持されます。これは魔法陣の一種で、ここには魔法的な洗脳を維持するための術式が組み込まれております。紋が首や心臓に近い位置に刻まれることが多いのは、術式を無理やりに除去されるのを防ぐためです」

「奴隷術を解除することはできないんですか」

「それぞれの奴隷紋の中に、解除のためのキーワードのようなものが入っておりまして、それを使えば、解除も可能です。当然、それを知っているのは術を施した者だけですので、解除を希望される際には、当商会にお申し付けください。

 なお、この術式は非常に強力であることが知られておりまして、この正規の方法以外で解除した例は、私は存じておりません」


 イクセルは自信満々の表情で、奴隷術の効果について太鼓判を押した。


「故意ではなくアクシデントで主人の言いつけにそむく、あるいは主人を傷つける、ってことはないんですか」

「なるほど。例えば戦いの最中、魔物を狙って放った一撃が、誤って主人に当たってしまう、といった場合ですね。それは先ほどの禁則には触れませんので、起こりえます。ですがそれは、信頼のおける仲間との間でも、起きうることでしょう。

 念のため申し添えますが、奴隷の心の中ではどんな思いがあるのか、そこまでは私にもわかりかねます。主人に心服しているように見える奴隷が、本当に心服しているのかどうか。主人の遺言によって解放された奴隷の例をいくつか聞いておりますが、このあたりはなかなかに、複雑なものがあるようですね。

 ですが、これもまた、信頼している仲間についても、同じことが言えるのではないでしょうか」


 なるほどなあ。こう言われるとちょっと不安にもなるけど、売るには不利なこともちゃんと話してくれるあたりは、商人としては信用できそうな相手みたいだ。ぼくはさらにいくつかの点を確認した。


「主人が死んだ時には、奴隷はどうなるんでしょう。主人が死んだら奴隷状態が解除されてしまうか、逆に自分も死のうとする、なんてことはありますか?」

「いえ、奴隷術が主人の生死によって影響されることはありません。例えばですが、主人が事故にあって、生存が絶望的な状態になったとしても、奴隷は主人を見捨てることなく、なんとか助けようとするでしょうし、万が一、主人が亡くなってしまった場合も、遺体を守ろうとするなど、奴隷の考える最善の措置をとろうとするでしょう。

 奴隷が自死する、などということももちろん、ありません。奴隷はひとつの財産ですからね。主人の相続人に相続されることになるでしょう。その際には、奴隷術のかけ直しが必要になりますが」

 この説明に、ぼくはうなずいた。せっかく蘇生スキルで生き返ったのに、いったん死んだら奴隷に助けてもらえなくなる、なんてことはないようだ。


「奴隷ががんばってくれたら、解放してあげることも考えてるんですが、解放したあとも、主人の命令を守らせることはできるんですか? 例えば、奴隷にだけ明かしていた秘密を、他人に話してはいけない、とか」

「ああ、その場合は、奴隷術を解除したあとで、改めて限定的な術をかけることになります。これは『誓約の魔法』と呼ばれておりまして、仕組み自体は奴隷術と似ていますが、術式の規模も違いますし、堅牢さも劣ります。その分、魔法陣も小さくなりますので、例えば手首や足首など、目立たない場所に紋を入れることが多いですね」

「わかりました。では、どんな人がいるのか、みせてください」



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