第149話 リノリウムの壁
第五層の入り口は、これまでのエリアとは様子が違っていた。
転移陣の部屋を出ると空き部屋があるのはいつもどおりだけれど、その部屋の外にも、ドアが待っていたんだ。しかもそれは、この世界では見慣れた木や鉄製のドアではなく、プラスチックのようななめらかな質感のものだった。一ノ宮がぼくに言った。
「昨日の夜に話したとおり、この層は迷宮エリアだ。だけど、第一層とはかなり様子が違っているらしい。まずはこの扉だ。ユージ、頼んだよ」
ぼくはうなずいて、扉の前へ出た。まず、ドアを叩いてみると、見かけと違ってかなり固い手応えが返ってきた。筒型のドアノブを回そうとしたけど、鍵がかかっているのか、まったく動かない。ぼくはノブを握ったまま、罠解除のスキルを発動した。
「何してるんだ?」と上条。
「『罠解除』というスキルを使ってるんだよ。それで鍵を開けてるんだ」
「どうして『罠の解除』で、鍵が開けられるんだ?」
「鍵っていうのも、仕組みとしては罠みたいなものだからじゃない? 相手を傷つけるか、傷つけないかが違うだけで」
それだけ言って、鍵の方に意識を戻す。どうやらこの鍵は、魔力の流れによって動作する、魔術的な錠前みたいなものらしい。罠解除のスキルがなくても、魔力操作が上手い人なら開けられるだろう。けっこう、苦労するかもしれないけれど。
ぼくは、把握した魔力の流れを、スキルによってせき止めてみた。すると、魔力の流れ方が変わって、全体からドアの部分だけが切り離された。ノブに力を入れると、今度は抵抗なく回転して、ドアが開いた。
「開いたよ」
「中の様子は?」
一ノ宮が即座にきいてくる。今度は、探知のスキルを使った。めいっぱいの距離を調べるため、探知の網はレーダー形式に。そうして返ってきた多数の反応は、ある種の規則性が感じられるような配置に並んでいた。
「探知できるのは、三十体くらいかな。今は動いてはいないみたいだ。この迷宮、全体の形は円形で、同心円状に壁が並んで、道を作っているんだっけ?」
「そうだよ。今日の目的地は、その円の中心だ。道は一本道になっているわけじゃなく、途中で行き止まりになったり、壁が途切れて二叉の通路になっていたりして、迷路のようになっている。例によって、ぼくたちには正解のルートはわかっているけどね。じゃあ、中に入ろう」
一ノ宮がドアを開けた。ぼくたちは彼を先頭に、迷宮に入っていった。
ドアの向こうの景色は、またしても、これまでのエリアとは全く違っていた。「迷宮」というと、なんとなく、第一層で見たような石で作られた壁と薄暗い天井をイメージしてしまうけど、ここの光景はもっと現代的というか、ぼくらにとっては見慣れたものだった。
壁も床も天井も、地球で言うリノリウムのような、すべすべした質感をしている。色は明るめのグレーで、なんとなく学校の廊下を連想させた。内部は明るく照らされているけど、発光石で光っているのではなく、天井全体が乳白色の光を放っている。これも、LEDの間接照明に似たものを感じさせた。
白河も、同じようなことを思ったんだろう。こんなことを言った。
「なんだか、病院の中を歩いているみたいですね」
「うん、日本の建物にそっくり。こんなこと、記録には書いてなかったけど」
「それは書けないですよ。その記録を書いた人は、私たちの世界のことなんて知らなかったんですから」
白河と柏木の問答を聞きながら、ぼくはそれとはまた別の違和感を感じていた。どうして、この廊下はこんなにきれいなんだろう。この迷宮は、これまでに何度かクリアされているし、それ以上の回数、踏破が試みられている。繰り返し戦闘があったはずなのに、床や壁には傷一つ無かった。なんとなく、嫌な予感がする。
そして、ぼくの脳裏で、それとは別のアラームが鳴った。探知のスキルだ。
「敵が動き出したよ。ぼくらの侵入が、感知されたみたいだね。……もうすぐ、一体目が来る」
ぼくの言葉に、みんなはすぐに迎撃の態勢を整えた。一ノ宮と上条が前衛、ぼくが後衛のいつもの隊形だ。迷宮の通路は、ドアを入った直後にほぼ直角に右に折れて、左に緩く弧を描きながら、先へ続いている。そんな一本道の向こう側から、それは姿を現した。
「……あれが、ゴーレムか」
上条がつぶやいた。そう、この迷宮に出てくる魔物(と言っていいのかどうか微妙な気もするけど)はただ一種類。ゴーレムだけだ。
『ゴーレム』というと、ぼくはなんとなく金属製の動く彫像か、そうでなければ積み木を重ねて作ったような箱形のロボットを想像してしまう。けど、出てきたものは、もう少し人間の形に近いものだった。色は全身、緑かかったグレーで、頭部には大小二つの目のようなものが付いている。だいたいのイメージとしては、「ラ○ュタ」にいた、苔むしたあれに近いかな。あれほど手は長くないし、もっと全体に凹凸のない、のっぺりした姿をしているけど。
ゴーレムはゆっくりと、ぼくたちに近づいてきた。そして三メートルくらいの距離のところまでくると、そこで立ち止まって、左手を前に出した。手の甲を突き出した形で、そのまま静止する。こちらを攻撃してくるような素振りはなかった。相手の動きを警戒して、ぼくたちもじっと、動かずにいた。柏木が言った。
「何をしてるんだろう。こちらの様子を、探ってるのかな」
「わからない。けど、注意してくれ。記録によると、そのうちに──」
一ノ宮の言葉の途中、ゴーレムはいきなり、騒々しい音を立て始めた。音の割れたラッパのような、耳障りな音だ。それとともに、頭部にある二つの目のうちの左側、小さい方が、赤く点滅を始めた。
「──あんな感じで、音と光を出す。それがしばらく続いた後で、戦闘になったらしい」
「こっちから攻撃する?」と柏木。
「準備はしておこう。戦わずにすめば、その方がいいんだが……」
だけど、ゴーレムが発する音はやむことはなく、光の点滅は次第に周期が早くなっていった。十数秒後、急に警報音が止まった。同時に光の点滅も止まって、左目は強い、赤い光を放つようになっていた。それとともに、何とも形容のしようがない、聞こえるか聞こえないかぎりぎりくらいの高い周波数の音が、ぼくの耳に届いた。
「キィィ───」
「攻撃!」
「《サンドアロー》」
一ノ宮が叫び、柏木が土系統の攻撃魔法を唱えた。中空に生成された土の矢が、敵目がけて襲いかかる。矢がその胸に当たって、ゴーレムがバランスを崩した。その刹那、ぼくたちのわずか頭上を、白く輝く光の線が通り過ぎていった。
「《サンドアロー》!」
柏木が、重ねて魔法を発動する。土の矢は、今度はゴーレムの顔に当たり、魔物はゆっくりと仰向けに倒れた。だけど、二つ目の矢が当たる直前、その大部分が、さっきの白い光によって吹き飛ばされるのがわかった。どうやらあの光は、ゴーレムの右眼から発射されたものらしい。ちらっと背後を見ると、壁の一部が、えぐられたように変形していた。上条が叫んだ。
「こいつ、目からビームかよ!」
「まずい! 畳みかけろ!」
「《ライトアロー》」
一ノ宮の声を受けて、白河が光魔法を放つ。だけど放たれた光の線は、ゴーレムの体に当たると、はじけるように消えてしまった。たいしたダメージがあったようには見えない。続けて、柏木も詠唱を終えた。
「《ファイアーアロー》! 《ファイアーアロー》!」
大きな炎の矢が、ゴーレムの体を包む。続いて、もう一発。しかし、ゴーレムを破壊することはできなかった。熱で赤くなったゴーレムの体は、赤い色のままゆっくりと動き出し、手をついて、立ち上がろうとした。
「《アイスランス》」
再び、白河の魔法だ。大きな氷の槍を食らって、ゴーレムは再び転倒した。白河としては、赤熱直後の冷却によるダメージを狙ったのかもしれない。だが、これでもゴーレムは動きを止めなかった。さっきと同じゆっくりとした動きで立ち上がり、こちらに向けて歩き出そうとしている。ボディの色が赤からまだらな灰色になっただけで、その体に大きな傷はついていない。必死の形相で、柏木が次の呪文を唱える。
「《サンダーウォール》!」
ぼくたちの前に、雷でできた壁が生み出された。それはゆっくりと移動して、ゴーレムに近づいていく。魔法の上級者になると、魔力で作った火や雷の壁を思い通りに移動させることができるそうだけど、柏木はすでにその領域に達しているらしい。青白く鋭い光を輝かせながら、雷のカーテンは次第に円の形を描いていく。そして、四方からゴーレムを包み込むと、激しい光の明滅と共に、その体を蹂躙した。
雷光が収まった後には、動きを止めたゴーレムが、少し反り身になり、中途半端に左手を挙げた姿勢で立っていた。その左目には、先ほどまでの赤い光は灯っていなかった。
少しの間をおいて、上条が言った。
「……やったか?」
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