第148話 炎の繭

「おい、なんか、やばそうだぞ」

「柏木さん、魔法攻撃を!」

「わかってる、わかってるけど、揺れが──きゃー!」

 巨大な炎の塊を見て、一ノ宮が指示を出す。けれど、柏木はそれどころではなさそうだ。

「白河さん、光の壁はもつかな。あれの重ねがけはできる?」

「やってみます」

 白河が呪文の詠唱を始めた。その間にも、ワイバーンの炎はさらに大きくなっていく。白河の詠唱が終わるのとほぼ同時に、ワイバーンが雄叫びをあげ、それと共にブレスが発射された。

「グゥルワァア!!」

「《ライトウォール》!」

 大きな炎が走り、ぼくらを包む光の壁に衝突した。あっという間に壁が砕け、炎はその内側にある、できたばかりのもうひとつの壁に衝突する。わずかな瞬間、炎と光は拮抗しているように見えたけど、その直後、二つ目の光の壁も砕け散った。が、それとともに炎の塊もまとまりを失い、幾重もの炎の帯となって、四方八方へ散っていった。どうやら、相打ちの形になったらしい。

「助かった、のか?」

 一ノ宮がつぶやいた。周囲はブレスの残骸が舞い踊っていて、ぼくらの視界は赤い波で覆われてしまっている。炎以外、何も見えない。ぼくはとっさに、探知スキルの反応を確認した。返ってくる反応は、たった一つだけ。だがその一つは、今まさに、ぼくらがいる位置に重なろうとしていた。

「敵が来る! 気をつけて!」

 ぼくが叫び、橋が大きく揺れ続ける中、一ノ宮は剣を構えた。が、予期したような襲撃が来ない。

「来ないぞ?」

 ぼくはもう一度、探知の反応を確認した。間違いなく、ぼくたちと敵の位置は重なっている。ぼくは再び叫んだ。

「上だ!」

 その時、ぼくたちを包んでいた炎の繭がほどけて、外の世界が再び顔を見せた。そこには、ぼくらの頭上、目前まで迫ったワイバーンが、牙をむく姿があった。その体が橋に迫り、今まさにその牙が届こうかという寸前、詠唱が響いた。

「《アイスランス》!」

 柏木の声だった。さっきの初撃とは段違いの大きさと速さの、氷の槍。十分に魔力を練ったのだろうその槍が、大きく開いた魔物の口の中へ吸い込まれていった。

「グゥルブ──」

 氷魔法を受けた魔物の口から、大量の血が噴き出した。ワイバーンは体を硬直させ、ぼくらの立つ橋の横をわずかにかすめて、通り過ぎていく。血のしたたりを後ろにたなびかせ、背後に首を曲げてこちらをにらみつけながら、魔物ははるか下に見える雲を目がけて、真っ直ぐに落ちていった。

 ぼくはほっとひと息ついて、こうつぶやいた。

「橋が大きく揺れていたおかげで、ぶつからずにすんだみたいだね」

「柏木さん、ありがとう。助かった──」

 一ノ宮の言葉が、なぜか途中で途切れた。そして、なんだか面白そうな表情で、ぼくの背後に視線をやっている。振り向くとそこには、柏木を抱きかかえた姿の、上条が立っていた。両手を使って、胸のあたりで横抱きにしている。いわゆる『お姫様抱っこ』の格好だ。

 三人から視線を集められて、柏木は顔を赤くした。

「しょうがないじゃない。こいつが、俺に任せろ、なんて言うんだから。俺が支えているから、おまえは魔法に専念しろって、急にこんなことされて」

「さっき響いた君の悲鳴は、それだったのか?」

「いや、あのね、私も喜んでこうされたわけじゃないのよ。だけど、強い魔法が使えるのは私と美月しかいないし、こうでもしないと、とても魔法なんて打てないと思ったし──」

 柏木の言い訳めいた台詞は、長々と続いた。あまりにもあわてていて、自分がまだ抱かれた格好でいることも、忘れているらしい。やれやれ、とんだラブコメだな。ま、迷宮攻略なんて殺伐とした舞台には、たまにはこんな光景、あってもいいか。


 そんなふうにちょっと気を抜きかけた時、ぼくの意識に、なんだか引っかかるものがあった。

 何だろう。何か、忘れているものはないだろうか? ぼくは改めて、探知スキルの反応をチェックした。するとそこには、さきほどとまったく同じ位置に、魔物の反応が残っていた。さっきのワイバーンが、まだ死にきっていないんだろうか。ぼくは探知を切ろうとして、もしや、と思い直した。いや、違う。もしかしたら、さっきのワイバーンはもう死んでいて──。

「下だ!」

 三度みたび、ぼくは叫んだ。和やかな談笑が即座に終わり、全員の視線が下を向く。板と板の隙間を通して、一頭のワイバーンがすぐそこまで迫っているのが見えた。翼が半ばちぎれて、そこから出血しているところを見ると、一ノ宮が最初に切り捨てたワイバーンらしい。

 既に、かなり近くまで接近されている。今から魔法を詠唱して、間に合うだろうか? ぼくは白河と柏木を見た。だけど二人は、戸惑ったような表情を浮かべて、すぐには反応できないようだった。すると突然、上条が叫んだ。

「俺に任せろ!」

 と言うやいなや、上条は柏木を放り投げた。悲鳴を上げる柏木の体を、一番近くにいたぼくが、あわてて受け止める。両手が自由になった上条は、背中に回していた大盾を手にして、自ら橋の外へと、飛び出していった。宙に浮いた体がロープに引っ張られて、振り子のように戻ってくる。そして一瞬、まるで重力が逆向きに働いたかのように橋の裏側に直立して、襲い来るワイバーンを迎え撃った。

「シールドバッシュ!」

 上条の雄叫びと共に、彼の体とワイバーンの巨体が交差する。ワイバーンの悲鳴があがり、その首が大きくねじれるのが見えた。悲鳴は中途で途絶え、魔物の体が硬直した。そしてその不自然な格好のまま、まるで空をずり落ちるように、魔物はゆっくりと下へ落ちていった。次第に落下の速度を増しながら、ワイバーンの巨体は雲の合間に消えていった。

 ぼくはもう一度、探知のスキルを使った。敵の反応は、残っていない。

 今度こそ、終わったようだった。


 一ノ宮とぼくとでロープをたぐり、上条を引っ張りあげた。橋の上に戻ってくると、上条は上機嫌で、今使った技の説明を始めた。

「どうよ、俺のシールドバッシュは! 盾を使った、カウンター攻撃だ。今まで、大きな敵と接近戦にならなかったから出番がなかったけど、かなりでかいダメージになるんだぜ。これであのワイバーンにも、とどめを──」

「ちょっとあんた!」

 うれしそうにしゃべり続ける上条に、柏木が詰め寄った。上条はびっくりしたような表情で、彼女の顔を見つめる。こいつ、何怒ってんだ? とでも言いたげな表情だった。そんな顔を見た柏木は、さらに激高して、

「今のは何よ! 女性を、放り投げるなんて。しかも、そのあと自分から、橋の外に飛び出していくなんて! そんなことしたら、私も落ちそうになるに決まってるじゃない! 私とあんたは、ロープでつながってるんだから。だいたいあんたは昔っから、女性の扱いかたが──」

 どうやら、この二人のラブコメは、早くも終わってしまったらしい。いや、これはこれで、違う種類のラブコメなのかな。


 上条と柏木の言い争いは、橋を渡りきり、転移陣の小屋に着くまで続いた。


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