第222話 甘い生活、の黄昏
そんな生活が4日くらい続いたころ、ぼくはだんだん気になってきていた。
気になったと言うのは、夜のアネットのことだ。あ、アレの事ではなくて、アレが終わった後の彼女のことです。夜の間、彼女はテントの中でぼくと一緒に寝ているんだけど、夜中にテントから出ては、しばらくして戻ってくる、という行動を繰り返していた。彼女はいったい、何をしているんだろう?
これが現世なら、もしかしたら浮気を疑うところなのかもしれない。けど、さすがにここでそれはない、とは思った。なにしろここには、生きている人なんてほとんどいないんだから。
まあ可能性としては、既に死んでしまった人との逢瀬、という線も考えられないではないけど、ぼくはそれもないだろう、と踏んでいた。なにしろぼくと彼女は、こんなにラブラブなんだし(←エビデンスとしては弱い)。
そうではなくて、なんだか心配になっていたんだ。彼女がたった一人で、何か悪いものと戦っていそうな気がして。
そこでぼくは、アネットの後をつけてみることにした。
夜になり、いつもの行為を終え、二人抱き合いながら眠ってからしばらくしてのこと。ぼくをハグしていたアネットの腕が緩んだ。ゆっくりと、身を起こす気配がする。アネットは、彼女の顔をぼくの顔に近づけ、ほおに軽くキスをした。そして体を起こしたけれど、すぐに再び身をかがめて、今度は唇にキスをしてから、テントの外に出ていった。
探知スキルで探ると、彼女は魔力の衝突が感じられるのとは逆の方向、つまりぼくたちが進んできた方へと歩いていく。探知範囲のぎりぎりまで離れるのを待ってから、ぼくも行動を起こした。アネットも、探知は持っているはずだからね。なんとなくだけど、ぼくが動いたのを、彼女には知られたくないと思ったんだ。
それにしても、さっきは危なかったなあ。まさか、二回目もキスしてくるなんて。二回目の時は不意を突かれて、危うく声を出しそうになってしまったよ。でも、これで浮気の線は、完全に消えたよね。さっきはないだろうと言ったけど、やっぱり心のどこかでは、気になっていたのかもしれない。
ぼくは百メートル以上の距離を開け、念のため隠密のスキルもオンにして、アネットの後を追った。アネットから離れているせいもあるんだろうけど、ぼくの探知には、彼女以外の反応は入ってこない。アネットには、何かが来るのがわかっているんだろうか。その何かは、いったい何だろう?
浮気でないのなら、敵の可能性が高いんだろうね。そして戦いになるのなら、ぼくがこうして後をつけているのも、助太刀するため、という大義名分ができる。うん、全然後ろめたくない。
それにしてもアネットは、どうして一人で戦おうとするんだろう。ぼくに休んで欲しいというのはわかるけど、戦いというのは常に命がけのものだ。彼女の命がかかるくらいなら、ぼくの睡眠時間くらい、いくらでもくれてあげるのに。
そうしてしばらく歩いた頃、前方から、一つの反応が現れた。
反応の強さ自体は、それほど大きなものではない。ただ、やがて闇の中から現れた男のいでたちが、ちょっと特殊だった。真っ黒な上着に真っ黒なズボン、さらには真っ黒な帽子をかぶり、首には金色のネックレスを下げている。
年齢は三十代半ばくらい、きっちりとセットした金色の髪と鋭い眼光は、映画で見たマフィア、それも下っ端ではなくてちょっと上の方の人物を思わせた。あ、ネックレスあたりは、どっちかというと日本のヤクザの方が近いのかな。
男はゆっくりと歩いてくると、同じく男に向かっていたアネットのすぐ前で立ち止まった。
「ずいぶんと、ご無沙汰だったじゃないか」
ズボンのポケットに右手を突っ込んだまま、男は言った。アネットは、少し顔を伏せ、いつもの彼女らしからぬ小さな声で、
「……うん。ちょっと、いろいろあって……」
「まあいい。おれもちっと、妙なところに迷い込んじまったみたいでな。少しばかり、連絡を取るのが遅くなった。
それで? おまえに与えた指令、あれはどうなった。まさか、忘れたわけじゃあないよな?」
「忘れてはいない。けど……」
「けど?」
アネットは少し間を置いたあと、はっきりとこう答えた。
「ごめんなさい。もう、この仕事はできない」
「……なんだと?」
威圧するように、男がドスのきいた声で問い返した。
「だから、ボクにはもう、この仕事はできないんだよ。暗殺者はもう、終わりにする」
「仕事を辞めるだと? おまえの弟は、どうするつもりだ」
「お、弟は、ボクが助ける! 薬のお金はなんとかするよ。だから、仕事の方は──」
「もしかして、男でもできたのか?」
男にこう言われて、アネットはびくりと震えた。そして、小さくうなずいた。
「うん。ずっと、一緒にいたい人ができて……」
「そうか。おまえも、大きくなったなあ。おれが拾ってやった時は、ガリガリに痩せ細った、きったねえチビだったのに。王都のスラム街で、ほんの気まぐれに食いかけの串を投げてやったら、砂まみれになったそれにむしゃぶりついてな。それからそこを通るたびに、おれにすがりつくようにして、飯をせがんできたっけ。
あのガキが、立派に育ったもんだ──」
男はそんな思い出話のようなことを口にしながら、アネットに一歩、二歩と近寄った。そして表情も変えずに、その右足を思い切り、水平に振り抜いた。
いきなりのヤクザキック。もろに食らったアネットは、悲鳴を上げて吹っ飛んだ。
「──なんてことを、言うと思ったか?
御託なんぞ並べてねえで、早いところあの冒険者、ユージとか言うやつのタマを取ってこい!」
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