第62話 さすごしゅ
日が落ちて、夜になった。
二人で過ごす、初めての夜だ。こういうと、なんだかロマンチックに聞こえるかもしれないけど、どちらかというとぎこちなくて、なんだかその場に居づらい感じだった。とにかく、会話が続かない。共通の話題があるとしたら、明日からの冒険者としての活動の話くらいだけど、それにも限度がある。だいたい、それではロマンチックとはほど遠い。
とりあえず、部屋が暗くなったので、灯りをつけることにした。
「ライト」
ぼくは生活魔法のライトを唱えた。顔の前に小さめの電球くらいの明るさの光の点が現れ、そのまま宙に留まる。ぼくは魔力を調整して光の点を浮遊させ、天井近くまで移動させた。目に入る位置にあったら、邪魔だからね。地球の室内照明の明るさには遠く及ばないけど、まあこれくらいの光があれば、生活に不自由はしないだろう。
ふと横を見ると、リーネが驚いた表情を浮かべていた。
「あの、ユージ様、それは……」
「え? ライトを唱えたんだけど」
「生活魔法の? 光を動かすなんて、そんなことができるのですか?」
「ああ。やっているうちに、できたんだ」
ぼくは王城を追い出されて以来、魔法の練習のつもりもあって、夜になったらライトで部屋を明るくしていた。それを続けているうちに、光の点を動かしたり、ずっと照らし続けたりすることが出来るようになっていた。
「初めて見ました。さすがは、ご主人様です」
正面から感心されて、ぼくはちょっと照れくさくなった。獣人は魔法が苦手と言うから、こんな小さなことでも、驚いてくれたのかな。
だけど、その後はまた、会話が途切れてしまった。さっきまでは赤の他人で、境遇もなにもかもが違うんだから、当たり前と言えば当たり前かもしれない。でも、一緒に暮らしていくのなら、やっぱりコミュニケーションって大事だろう。人間関係というのは第一印象が重要だそうだし。今日はその大事な、一日目なんだ。
何か言おうとして、思いとどまる。そんなことを繰り返して、心の中で口をぱくぱくさせていると、リーネが立ち上がった。
「あの……ユージ様、お茶はいかがですか?」
「ああ、お茶? そうだね。ちょっと、飲みたいかも」
「では、下に行って、いただいてきましょうか」
宿屋ではふつう、お金を払えばお湯やお茶(例によってハーブティーだけど)をもらうことができる。時間が遅いと、だめだけどね。今はまだ早めの時間なので、それを持ってきてくれるというんだろう。だけどぼくは、部屋を出ようとするリーネを制して、
「じゃあ、お茶を入れてくれないかな。道具は、持ってるから」
と、バッグからお茶用の魔道具と、お茶っ葉の入った袋を取り出した。リーネは「はい」と答えて作業に移ろうとしたけど、ちょっとびっくりした顔になって、
「これ、ハーブティーじゃありませんね。もしかして紅茶、ですか」
「うん。買ってあったんだけど、あまり使ってなくて」
前にも書いたけど、この世界では紅茶は高級品だけど、お金を出せば買えないことはない。以前、ちょっと大きめの依頼のお金が入った時に、奮発して買っておいた茶葉だった。
「何かきっかけがあったら、飲みたいなと思っていたんだ。パーティー結成記念ということで、一緒に飲もうよ」
「え、私もですか?」
「もちろん。リーネも、パーティーの一員なんだから」
ぼくがこう言うと、リーネは少し困ったような顔で、それでもうなずいてくれた。魔道具の使い方がわかるかと聞いたら、「似たような品を見たことがあります」との答だったので、後はリーネにまかせることにした。
お湯が沸くまでしばらく待った後、リーネはティーポットとカップにお湯を入れた。いったんお湯を捨てて、ティーポットへ茶葉を入れる。一杯、二杯。そして、再び沸騰したお湯をポットに注いで、フタを閉めた。二分ちょっと蒸してから、ポットの中をスプーンで少しだけかき回し、二つのカップに交互に注ぎ分けた。
ちなみに、某刑事ドラマで有名な、高ーい位置からカップに紅茶を注ぐ方法、あれはあんまり意味はないんだそうです。あれって
「ユージ様、どうぞ」
ぼくはさっそく、紅茶に口をつけた。いつものハーブティーとは違う、しっかりと濃い赤い色。ひとくち含むと、独特の渋みが口いっぱいに広がり、少し遅れて、爽やかな香りが鼻に抜けた。ハーブも悪くはないけど、このストレートで心地よい味わいは、やっぱり違う。久しぶりに家に帰ってきた、という感じだった。
あー。緑茶も飲んでみたいなあ。どこかに売ってないだろうか。
「うん、美味しい」
「ありがとうございます」
ぼくの前の椅子で、リーネも自分のカップに口をつけていた。その表情は満足げで、これまでで一番リラックスしているように見えた。お茶を入れるのも手慣れていたし、奴隷になる前は、リーネもお茶が好きだったのかもしれない。
「これからはお茶の係は、リーネに任せようかな。そうだ、この魔道具とお茶っ葉、預けておくよ。毎日紅茶ってわけにはいかないけど、何かあった時には、またこうやって飲もう」
「ありがとうございます。がんばります」
用事を言いつけられたというのに、リーネはなんだかうれしそうだった。
だけど、一難去って、また一難。
お茶で少しだけ会話が弾んだのも束の間、お茶道具を片付けた後は、再び無言の行に戻ってしまいそうになっていた。ぼくは何とかして、話題をつなごうとした。
「あ、そうだ。体を洗うのは、いつもはどうしていたの?」
「体ですか? 桶にお湯をもらって、タオルで拭いていましたが」
「じゃあ、これからも同じでいいよね。ちょっと早いけど、お湯を作ろうか」
ぼくは買っておいた手桶を取り出して、「ウォーター」を唱えた。水がたまったところで、「ファイア」を連続で唱える。だんだん水が温まってきて、桶の水から湯気が上がってきた。どっちが先に使う? と聞こうとしたら、
「ユージ様、今のは……」
リーネが、またもや驚きの声を上げた。よほどびっくりしたのか、口が少し開いたままになっている。
「生活魔法の、ウォーターとファイアだよ。そんなに珍しくないだろ」
「魔法自体はそうかもしれませんが、それだけ制御された魔法を、連続して放つのは見たことがありません。それに、『ライト』も発動したままですよ?
二つの魔法を同時に発動するのは、たいへん難しいと聞いたことがあります」
リーネはぼくの顔を見つめて、
「さすがは、ご主人様です」
聞き覚えのある台詞を、もう一度いわれてしまった。こんな美人からまっすぐにほめられるのは、くすぐったいけど、ちょっとうれしい。
でも、二つの魔法を同時にってのは、そんなに難しいのかな。それほど苦労せずに、できた気がする。そうか、「魔力」のステータスがかなり上がったから、魔力の大きさだけでなく、それを使う能力も上がったのかも。
でなければ、地球にいるころは音楽聞きながら勉強とか、テレビ見ながらスマホとか、普通にやっていたからかなあ。もしかしたら、それで並行作業の下地ができていたりして。
「えーと、じゃあ、ぼくが先に洗わせてもらうけど、いいかな」
「はい、どうぞ。では私は、後ろを向いていますね」
リーネにくるりと後ろを向かれて、ぼくは今さらながらに気がついた。ぼくの後は、リーネも体を洗うんだよな。洗うと言うことは、当然服を脱ぐわけで……
ぼくは手早く洗い終えると、そそくさと体を拭き、使ったお湯を窓からこぼした。あ、これ、別にマナー違反ではないです。排水の設備なんかも整ってはいないから、こんなところも中世ヨーロッパ風になっている。そして改めてウォーターとファイアでお湯を作って、リーネの前に置いた。
「ユージ様のお使いになったお湯でけっこうでしたのに」
「魔法の訓練も兼ねているから、気にしないでいいよ」
「ありがとうございます。それでは、使わせていただきます」
リーネは一瞬だけ躊躇したあと、服を脱ぎ始めた。さすがに恥ずかしそうな表情になって、ちょっとほおが赤らんでいる。ぼくはあわてて後ろを向いた。
しばらくすると、ちゃぷ、ちゃぷ、と小さな水の音がし始めた。
ぼくは天井を見上げて、ライトの魔法を心持ち暗めにした。その際、ほんの一瞬、視野のほんの端っこに、リーネの裸の背中が入った。
獣人族と言っても、体中に毛が生えているわけではないんだね。彼女の背中は、ヒト族とあんまり、変わらない姿に見えた。しっぽの近くからは、小麦色の毛が生えてきているけれど。そうか、しっぽってお尻のちょっと上のあたりから、あんなふうに生えているのか。二の腕の向こうに少し見えているのは、たぶん、バスト。すらりとした体型だと思っていたけど、胸のふくらみは意外に豊かで──。
ぼくはふるふると首を振った。
いやいやいや。まだ一緒に暮らし始めて、一日目だぞ。自制です。さっき、そう決めたばかりじゃないか。
けど、水の音が終わるまで、ぼくのこぶしが開くことはなかった。
体を洗ってしまったら、もう本当にすることがない。これも前に書いたと思うけど、この世界の夜は早いのだ。
「じゃあ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
ぼくたち二人は、それぞれのベッドに入った。
もちろんぼくは、こっそりと隣のベッドに忍び込む、なんてことはしなかった。
でも、もしも何かが起きてくれるのであれば、こちらとしては全然、異存はなかった。
……
…………
…………………
期待したようなことは何も起きずに、その夜は更けていった。
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