第154話 溶岩のうねり

 顔を殴りつけてくるような熱気を我慢しながら、ぼくたちは吊り橋に一歩を踏み出した。

 橋の上には、溶岩が冷えて固まったらしい、黒い岩石がごろごろしていた。溶岩の一部が、橋の下から打ち上がってきているんだろう。それが体にかかったりしたら危険なので、ぼくたちは念のため、橋の中央を進んでいった。


 二つの島の間は、距離にすれば二百メートルもないくらいだ。だけど、たったこれだけの距離が、地獄のような行程になった。

 一歩進むごとに、熱気が強くなるような気がする。ローブにいくら魔力を込めても、涼しくなんてならなかった。体中からひっきりなしに汗がしたたり落ち、そこから蒸発した水蒸気が視界を包む。さっきからなんだか、頭が痛くなってきたような気がした。早く渡りきらないと、本格的な脱水症状が起きてしまいそうだ。

 ぼくはまだましなんだろうけど、上条と、上条の分の魔力も使っている柏木は、大丈夫なんだろうか。そう思って後ろを振り向くと、二人は少しふらふらしながら、それでも互いに支え合うような格好で、最後尾を進んでいた。

 こんなに暑いのなら、いっそのこと走った方がよかったのかもしれない。けれど、一ノ宮はそんな指示は出さなかったし、ぼく自身、とても走る気になんてなれなかった。ぼくたちはみな、一歩一歩、足を前に出すだけで精一杯だったんだ。


 だけどやがて、恐れていたことが起きた。

 橋の右側にある溶岩の一部が不自然に沈み込み、ぽこん、と大きな泡立ちを作った。続いて、橋の左右の面で、同じような泡が相次いでできあがった。ぼくは叫んだ。


「一ノ宮、魔物だ! 左右両方から、二十匹以上いる!」


 その声が終わるよりも早く、泡の少し手前の溶岩の海から、魔物が跳ね上がってきた。体長は二メートル以上はあるだろうか、頭部を除く体全体が、赤熱したマグマに覆われている。おそらくこれが、マグマフィッシュという魔物なんだろう。

 形は魚に似ているけれど、きれいな流線型にはなっていない。頭部もごつい感じで、マグマから少しだけ覗いている鱗もやけに大きく、フィッシュと言っても現代の魚ではなく、どちらかというとシーラカンスのような古代魚よりの姿だった。

 その巨大な魚が、体中に大量の溶岩をまとわせて、ぼくらに向けて飛び込んできたんだ。

 狙われたのは、列の後方にいたぼくと上条、柏木。探知のスキルで予めそれと察していたぼくは簡単によけられたし、心配だった上条も、それまでふらついていたのが嘘のような素早い動作で柏木を片手に抱き、前へ飛んだ。

 怪魚は二人がいた床面に頭をぶつけると、大きくはね上がって、出てきたのとは反対側の溶岩の中へ落ちていった。


「あっぶねっ!」


 上条が叫んで、体を引く。マグマフィッシュがはねた時に、体についていた溶岩が周囲にまき散らされたからだ。あんなものに少しでも触れたら、大火傷になるだろう。ついつい、まだ赤熱している溶岩の破片を見ているうちに、二匹目、三匹目の魔物が、溶岩から飛び出した。


「《アイスランス》!」


 二匹目も、一番後ろにいた柏木たちを襲い、柏木は氷魔法で応戦した。マグマフィッシュの頭部に氷の矢が命中する。だけど、飛翔するコースは少しずれたものの、魔物は傷を受けた様子もなく、溶岩に戻っていった。

 どうやら、矢の先端が溶かされて、単なる氷の固まりになってしまったらしい。氷魔法なら溶岩にも対抗できるんじゃないかと思ったけど、向こうの熱量が高すぎて、あまり効果的ではないようだ。

 三匹目のマグマフィッシュは、最初の二匹よりもはるかに高くはねて、最初からぼくらの頭上の通り過ぎるようなコースを飛んできた。そのまま反対側の溶岩に飛び込むのかと思ったら、この魔物はぼくらの真上で激しく体を振り、体についていたたくさんの溶岩を、ぼくらの上にまき散らした。


「《ウィンドウォール》」


 白河が即座に、風魔法を詠唱する。横向きの強い風に抑えられて、溶岩の粒はぼくらの脇に落ちて、地面に転がった。その跳ね返りをよけながら、上条は悪態をついた。


「あの野郎、わざとやりやがったな!」

「溶岩を体にまとわせているのは、一種の魔術かもしれないな。でなければ、あれだけの量の溶岩が体に付着したり、それが急にはがれ落ちたりするとは思えない。上条、あいつらに剣は通ると思うか?」

「難しいな。皮膚が硬そうな上に、周りが溶岩で覆われている。それに、あれだけ熱いと、剣の刃がどうなるかわからねえ」

「ぼくも同意見だ。けど、ぼくらの目的は魔物を倒すことじゃない、聖剣を持ち帰ることだ」


 襲ってきたマグマフィッシュは今の三匹だけで、残りの二十匹ほどは溶岩の海の中を泳いでいる。今のうちに、と判断したんだろう。一ノ宮が号令を掛けた。


「全員、覚悟を決めてくれ……走るぞ!」


 ぼくたちは橋の上を駆け出した。ローブの中は、これまで以上の熱と蒸気がこもり、不快を通り越して、一歩ごとに体がダメージを受けているかのように感じた。いや、感じただけではなく、間違いなくダメージになっているだろう。けど、そんなことは意識に浮かばないよう押さえ込んで、ぼくは足を動かした。

 二十メートル、そして三十メートル。ようやく橋の真ん中あたりまで来て、それまでの緩やかな下りが終わろうかというあたりで、変事は起きた。


「また来るぞ、一ノ宮!」

「今度は何匹だ!」

「全部だ! 二十匹全部が、いっぺんに来る!」

「──え?」


 一ノ宮は驚きの声と共に、走るのを止めた。

 周囲を見まわすと、溶岩の海が、一面に盛り上がっていたんだ。橋が下にたわんだ位置に来て、視点の位置が下がったためにそう見えたのではない。本当に、溶岩が盛り上がっている。溶岩の一部は津波のように橋桁の上にまで達して、ぼくらの行く手をふさいでしまった。

 振り返ると、ぼくたちの後ろの橋桁も、いつの間にか溶岩に埋もれている。一ノ宮が叫んだ。


「一体、どうなっているんだ!?」

「前と後ろにある溶岩の下で、マグマフィッシュが六匹ずつ、固まっている。さっきも話してたけど、あいつらは魔術的な力で、溶岩を体にまとわせることができるらしい。たぶん、何匹かまとまると、その力がぐんと強くなるんだろう。そうやって溶岩を集めて、水面、というか溶岩の海の面を、盛り上げているんだ、」

「なんだって? ということは、残りのマグマフィッシュは」

「うん。橋の左右にも、マグマフィッシュの群れがいるよ。だから、周り一面の溶岩が、あんなに上に上がってるんだ。どうやらこれが、あいつらの狩りのやり方らしいね」


 このエリアでのぼくたちの目標は、魔物を倒すことではない。だから一ノ宮は、戦闘ではなく逃走を選択した。それは正しい判断だったと思う。けどそれは、魔物の方も同じだったんだ。

 魔物にとっての目的も、ぼくたちに勝つことではなく、ぼくたちを自分たちのエサにすること──そのためには、戦う必要なんてない。ただ単に、自分たちの住処である溶岩の中に引きずり込むだけで、勝手にぼくたちは倒れてしまう。実にシンプルで、リスクの少ない戦略だった。

 ぼくがそんなことを考えているうちに、周りを取り囲む溶岩のうねりがさらに高く盛り上がり、そしてそれが、ぼくたちに向けて近づいてきた。

 マグマフィッシュの群れが、身にまとった溶岩と共に、四方八方から押し寄せているんだろう。探知スキルの反応も、その考えを裏付けていた。マザーアラネアのローブがどれだけ高性能でも、このままでは打ち寄せた溶岩によって、みんな焼き尽くされてしまう。ぼくは言った。


「一ノ宮、何か策は?」

「──」


 一ノ宮から、答は返ってこなかった。



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