第155話 あれはただの生活魔法

 答が返らなかったので、ぼくは急いで周囲を見まわした。

 ぼくらを取り囲む溶岩の幅は、十数メートルはある。体力のステータスが上がったとは言え、とても飛び越せる距離ではない。それなら、土魔法か氷魔法で、階段のようなものは作れないかな? 氷魔法は、柏木が作った氷が溶けたスピードを見ると、ちょっと無理そうだ。渡っている間に、溶けて壊れてしまうだろう。土魔法も、ぼくにはそこまで細かい操作はできそうもないし、もしかしたら渡っている間に、土が溶かされてしまうかもしれない。溶岩って、土や岩が溶けたものだもんな。

 でも、そうか。土魔法か……一つ思いついたことがあったので、ぼくは柏木の方を振り向いた。

「柏木さん、サンドウォールを頼める? できるだけ固くて軽い、土の板が欲しい。この五人が乗れるくらいの大きさ──いや、二人乗りを三つの方がいいか。そのくらいの大きさで!」

「え? うん、わかった」

 柏木はすぐさま土魔法を唱えて、言われたとおりの板を作った。できあがったうちの一つはぼくが持ち、残りを上条と一ノ宮に持たせる。その間にも、溶岩は刻一刻とぼくらに近づいていた。

「じゃあ、これを使って、雪で子供がソリ遊びをする、あの要領で、溶岩を滑っていこう。三つしかないから、柏木さんは上条と、白河さんは一ノ宮とペアで。上り坂だから、助走でできるだけ勢いをつけてね」

「でも、これだと滑りはしないし、溶岩の熱にも耐えられないと思うけど」

「それはなんとかする。時間がないから、行くよ。せーの、っで!」

 みなの返事を待たず、ぼくは土の板を手にして、溶岩に向けて突っ込んでいった。

 他の四人は、ちょっと躊躇ちゅうちょしていたけど、他に手段はないと判断したんだろう。すぐに、ぼくの後ろに続いてきた。板が溶岩に接する直前、ぼくは魔法を唱えた。

「《ウォーター》」

 そのとたん、板の下から勢いよく白い煙が上がり、三つの板は飛び込んだそのままのスピードで、溶岩の上を滑走した。坂は上り坂になっているとは言っても、そこまでの角度はついていない。三つの土のソリは、徐々にスピードを落としながらも、らくらくと頂を越えて滑り続けた。そして溶岩地帯を過ぎ、橋げたの上に戻ってくると、ソリには急制動がかかって、ぼくは前方に放り出された。

「きゃっ!」

「イテっ! ちっくしょう」

 他の二組も、同じ目にあったらしい。五人全員が、橋げたの上に投げ出されていた。柏木と上条なんて、互いに抱き合った格好で、橋の上をごろごろと転がっている。一言、からかってみたくなったけど、そんな暇はなかった。溶岩のうねりが見る間に変形して、こっちに向かってきたからだ。マグマフィッシュも、獲物を取り逃がしたのに気づいたらしい。ぼくはすぐさま立ち上がって叫んだ。

「走れ!」

 目的地である聖剣の部屋へ向けて、ぼくたちは走った。目指す部屋までの距離は、わずか数十メートルほど。だけど、このわずかな距離がきつかった。それ以前からの悪条件は、まったく変わっていなかったからだ。熱気と熱風、汗、水蒸気、激しい頭痛と刺すような目の痛み。橋げたについている、ほんのわずかな上りの傾斜が、とてつもない急角度の坂のように感じられた。ぼくは奥歯を噛みしめて、必死になって走り続けた。

 だけど、坂を登っているということは、マグマフィッシュのフィールドから離れているということでもあった。

 しばらく走ってから後ろを振り返ってみると、他の四人も、ぼくのすぐ後ろをついてきていた。魔力の少ない上条、体力に劣る女子二人も、なんとか足を動かしている。彼らを気遣う余裕がなかったことに、この時になって初めて気がついた。

 そして、その背後に見える溶岩のうねりは、先ほどよりもずいぶん低い位置まで戻っていた。

 探知スキルに映る魔物の反応も、さほど大きな動きは見せていない。さっき、マグマがうねりを作っていた時には、魔物が数匹ずつ固まりになっていたけど、それも既にばらけ始めていた。

 どうやらマグマフィッシュたちは、ぼくらのことを諦めたらしかった。

 とうとう、ぼくは吊り橋を渡りきり、目的の島に上陸した。小屋のドアを思い切り引っ張り開けて、中に転がり込む。ぼくに続いて、一ノ宮たちも部屋になだれ込んできた。

 全員が倒れ込むように床に身を投げ出し、アラネアのローブを脱ぎ捨てる。ぼくは、バッグから取り出した水筒の水をがぶ飲みして、そのまま仰向けになった。それと同時に、強烈な疲労感が押し寄せてきた。この層をスタートしてからゴールするまで、実際にはそれほどの時間は経っていないはずだ。だけど、この層の高熱は、意外なほどに強く、ぼくの体を蝕んでいたようだった。


 しばらくは荒い息づかいだけが聞こえ、誰も、何もしゃべらなかった。やがて、柏木が思い出したように魔法を詠唱した。

「……あ、そうだ。《アイスウォール》」

 部屋の中央に、大きな氷の壁ができた。さっきと違って、今回はすぐに溶ける様子はない。氷から漂ってきたひんやりとした空気が、部屋中を満たした。汗だらけの体には、少し寒く感じるくらいだったけど、そのくらいでちょうど良かった。

 ようやく人心地がついてきたところで、上条が口を開いた。

「部屋の中は、少しは暑さがましなのか。そういえば、この層に来た最初の部屋も、そんなに暑くはなかったもんな」

「おそらく何かの仕掛けがしてあるんだろうけど、助かるな……ところでユージ」

 上半身を起こしながら、一ノ宮が聞いてきた。

「さっき、溶岩を滑っていったのは、何の魔法だったんだ」

「あれ? あれは、ウォーターだよ」

「ウォーター? そんな水魔法、あったっけ」と柏木。

「違う違う。水魔法じゃなくて、ただの生活魔法の『ウォーター』。いつも、飲み水や体を拭くお湯を出しているだろ、あれだよ」

 そう。柏木の作った土の板にまとわせていたのは、ウォーターで出した、ただの水だった。ただし、板の下を包み込むような形になるように、調整はしていた。以前は同時に起動しておける魔法は二つまでだったけれど、毎日の練習(主にお風呂の用意)で、三つまでは同時に維持できるようになっていたんだ。

「ただの水で、あんな事ができるのか?」

「うん。聞いたことないかな。高温にした鉄板に水滴を垂らすと、その水滴が板の上で浮いて、滑るように動き回るんだよ。あれと同じ原理なんだ」

 垂らした水滴は、高温部に触れるとすぐさま一部が蒸発して、水蒸気の層ができる。それによって、水滴は板の上に浮きあがる形になるんだ。宙に浮いているから、板との間に摩擦が起こらず、水滴は滑るように、板の上を動く。「ライデンフロスト効果」というんだそうだ。

 今回は、溶岩があまりにも高温だったので、強烈な水蒸気の圧力が生じた。そのため、ぼくたちの体重がかかっても、浮くことができたようだ。その分、大量の水が蒸発し続けたので、ウォーターで水を出し続けるのが大変だったけど。成功するか失敗するか、出たとこ勝負ではあったけれど、なんとかうまい方に転がってくれた。

「そうか。なんにしろ、助かったよ……これで、最終層もクリアだ。あとは」

 一ノ宮は、奥に続く部屋のドアを見た。

「剣を抜いて、持ち帰るだけだ」


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