第156話 戻らなかった光

「そろそろ、行こうか」

 そう言って、一ノ宮は立ち上がった。

 ぼくの体には、まだだるさが残っている。他のメンバーも、特に上条の疲れが取れていないように見えたけれど、後は聖剣を抜いて、転移陣を起動させるだけだ。魔物との戦いはないはずだから、どうせ休むのなら、迷宮を出てからの方がいいだろう。ぼくたちは一ノ宮に続いて立ち上がり、一ノ宮は、この迷宮では最後になる、白いドアを開けた。


 ドアの向こうは、いつもの転移陣の部屋とは、少しだけ違っていた。作りや飾りが豪華になっているのではない。部屋の奥行きが、倍ほどに広くなっていたんだ。手前のほう、ドアから入ったすぐ先には、見慣れたいつもの転移陣が刻まれている。そしてその奥は、床が一段高くなっていて、その中央に直方体の台座が置かれていた。そしてその台座には、一本の剣が刺さっていた。

 わずかに赤い光を放っている転移陣を通り過ぎて、ぼくたちは台座の周りに集まった。剣は台座に深く刺さっていて、刀身はまったく見えない。剣の柄は、ちょうどぼくらの腰くらいの高さにあって、その柄の部分には、細かい彫刻で紋章のようなものが刻まれていた。この紋章が何を意味するのかはわからないけど、いかにも高級そうな見栄えだった。

 これが今回の攻略の目標、「聖剣」に間違いないだろう。

 良く見ると、台座の前面にも、文字のようなものが刻まれていた。その文字は前面だけでなく、左右の側面、それからおそらく背後の側面にも刻まれているようだった。今は使われていない文字なのか、まったく読むことはできなかったけど、これがおそらく、一ノ宮が言っていた「すべてを捧げよ」とかいう文句なんだろうな。

 ぼくは聖剣を眺めながら、台座の背面に回ろうとして、思わず「わっ」と声を上げてしまった。

「どうした?」と一ノ宮。

「あっぶない。落とし穴があった」

 台座の後ろ側の床に、大きな穴が空いていた。一辺七十センチほどの正方形の穴で、中からはオレンジ色の光が漏れている。上半身だけ前に出して中をのぞき込むと、穴の中は赤黒い溶岩で満ちていた。ただし、部屋の外のものとは違って、流れたり沸騰したりする様子はない。ただ静かに、光と熱を放っていた。上条が顔をしかめて、

「こんなとこにも溶岩かよ」

「少し、魔力の動きを感じます。温度などが管理されているのでしょうか? 火山と言うよりも溶鉱炉の中、といった印象ですね。まるで、剣の素材を作っているかのようです。ということは、ここが──」

 白河はここで言葉を切ったけれど、言いたいことはわかった。事前の説明にあった、台座の横の溶鉱炉。古い聖剣を置いておくという裏技が発見されるまでは、この穴に、生きた人間を落としていたんだろう。

「かもしれないけど、今のぼくらには関係のない話だね。

 じゃあ、剣を抜くよ」

 一ノ宮は一歩進み出て、右手で聖剣の柄をつかんだ。そのまま、ゆっくりと引き上げていく。台座の中からは、今まさに打ち終わったばかりのような、美しく輝く刀身が現れた。その表面には、一ノ宮が見せてくれた古い聖剣とよく似た、文字のような図形が刻みこまれていた。日本刀とは形が違うけれど、この剣の姿にも、洗練された美しさが感じられる。

 聖剣を台座から抜ききると、一ノ宮は両手で柄を持ち直し、ふん、と気合いを入れた。

 そのとたん、刀身から光が溢れて、部屋の中を明るく照らした。

「これはすごい。軽く力を入れただけなのに、これだけ反応してくれるのか。おそらく、光属性の魔法が付与されているんだろう。全力を込めたら、どれだけの力を発揮してくれるか、想像もつかないな。それに、なんだか体が軽くなったような気もする。バフの効果も持っているのか? ……すごい、本当にすごい。さすがは『聖剣』と呼ばれるだけのことはある」

 一ノ宮は興奮したように、「すごい」を繰り返した。

「ねえ、一ノ宮君、あれ」

 何かに気がついたらしい柏木が、一ノ宮の背後を指さした。そちらを向くと、隣の部屋の印象が少し変わっていた。床に描かれた魔法陣から、光が消えていたんだ。だけど一ノ宮は、さしてあわてた素振りも見せずに、

「転移陣から魔力が消えているね。なるほど。聖剣を抜いたら、転移ができなくなるのか」

「これ、剣を抜いたせいなの?」

「おそらくは。剣を抜いたことがスイッチになって、魔法陣に魔力が供給されなくなったんだろう。ただでは、聖剣は持っていけないということだね。ここから出るには、代わりになるものを捧げなければならない、というわけだ」

 一ノ宮は、マジックバッグの中から古い聖剣を取りだした。鞘から古い剣を抜き、代わりに新しい聖剣を入れる。新しい聖剣は、すんなりと古い鞘に収まった。それをマジックバッグに入れると、残った剣を持って、一ノ宮は改めて台座に向き直った。そして、手にした剣を、ゆっくりと台座の穴へ刺し込んでいった。やがて古い聖剣は、完全に台座に収まった。

 しばらくの間、みなはじっと動かずに、黙って剣と台座を見つめていた。


 だけど、何も起こらなかった。

「……ん?」

 台座から何か反応があるわけでもなく、転移陣にも赤い光は戻らなかった。聖剣と転移陣の間を、きょろきょろと視線を行き来させても、何の変化も見えない。一ノ宮は、刺し込んだ剣を一度抜いて、改めて台座に刺し直した。だけど、状況は変わらなかった。背後にある魔法陣は、相変わらず暗いままだ。ぼくは質問した。

「どうしたんだ?」

「……わからないけど、これでいいはずだ。さあ、地上に帰ろう」

 一ノ宮はこう答えて、みんなに転移陣に入るよう促した。全員が魔法陣の中に入り、一ノ宮が呪文を唱えた。

 だけどやっぱり、何も起こらなかった。

「なあ。もしかしたら、なんだけどさ」

「なんだ」

 再び台座に向かい、もう一度聖剣を指し直そうとする一ノ宮に向けて、ぼくは言った。

「それって、聖剣じゃあないんじゃないか」

「聖剣ではない?」

「うん。要するにその聖剣、偽物なんじゃない?」

 一ノ宮はぎょっとした表情で、こちらに振り向いた。

「まさか」

「けど、剣を刺しても何も起こらないってことは、そういうことだろ」

「王家がわざわざ、偽物を用意して渡したって言うのか? そんなことをする理由がどこにあるんだ」

「いや、王様たちも、偽物とは思っていないのかもしれない。本物だと思ってとっておいたものが、偽物だったんだよ」



────────────────


 ここで、ちょっとだけ予告です。

 次回あたりから、3章の後書きで書いた「もしかしたら賛否両論」の部分に入ります。一応書いておきますと、彼が「あんなこと」になってしまう件については、それなりの設定があります。その設定自体がご都合主義的だと言われれば、まあそのとおりなんですが……。


 できれば、温かい目で見てやってください。


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