第171話 ガラスに映る姿

 ギルドを出たぼくは、目の前に広がる王都の道を眺めた。

 このイカルデアは、大陸有数の大都市だ。ちゃんとした戸籍制度がないからきちんとした数字ではないらしいんだけど、人口十数万人くらいはあるんだそうだ。そんな都会だけあって、地方の街とは行き交う人の数が違う。ここに召喚された直後は、そんなこと感じなかったけどね。あの頃は、日本にある都会の街並み、人通りと比べてたんだろう。それがこんなふうに感じられると言うことは、ぼくもこの世界に、だいぶ慣れてきたんだろうね。召喚されてから、もう一年がたったからなあ。


 そんな、ちょっとした感慨にふけりながら歩いていると、横から元気な子供の声が飛んできた。

「ユージ!」

 脇道から飛び出してきたのは、十歳くらいの男の子だった。その後から、三つくらい年下の女の子がついてくる。レオとユーリの兄妹だった。

「レオか。何か新しい情報はある?」

 レオはぼくを路地の方に引っ張ってから、早口にしゃべりだした。

「うん! 勇者様が魔王国の都近くまで攻めていって、そこで合戦になったんだって! 昨日、酒場に来た冒険者が、そう話してた」


 この兄妹とは、王都の裏通りで出会った。通りを歩いていると、小さな女の子が、わんわんと大きな声で泣いていた。その隣では男の子が、どうしたらいいかわからないと言った顔で、ただただ女の子の頭をなでている。女の子の方が、片足を少し引きずっているのが気になった。

 とは言え、子供が泣いているだけなら、まあありがちな光景だ。ぼくはそのまま通り過ぎようとしたんだけど、どういうわけかフロルがぼくから離れて、その子の前にふわふわと飛んで行った。すると女の子がぴたりと泣き止んで、不思議そうな顔で、フロルが浮かんでいる場所を見つめたんだ。

 あれ、この子もしかして、フロルが見えるの? 街中では、霊体になっているのに……と思っていると、フロルがぼくの方を向いて、

<ユージ、大変よ! 女の子が泣いているの。助けてあげて?>

 フロルがこんなことを言うのは珍しいので、ぼくは二人に声をかけてみた。それが、ユーリとレオだった。


 後でユーリに聞いてみたところ、彼女はフロルが見えていたわけではないみたい。ただ、何かがいるような気がしたので、そこに視線を向けていただけのようだ。実際、彼女に鑑定スキルを使ってみたけど、精霊術のスキルは持っていなかった。フロルによると、小さな子供のうちは、こういうことは時々あるらしい。

 ただユーリの場合は、フロルの方もなんとなく彼女が気になったので、近くに寄っていったんだと言う。もしかしたら、ユーリがもう少し大きくなったら、精霊術に目覚めるのかもしれないな。

 ちなみに、彼女が泣いていたのは、たいした理由ではなかった。転んで、地面に顔を打ってしまったんだそうだ。ヒールをかけてあげたら、すぐに治りました。それ以来、なんとなくなつかれてしまって、良く話をするようになっていた。


 この二人は孤児だそうで、レオが下働きをしている酒場に、住まわせてもらっているんだそうだ。この世界、社会福祉なんてほとんど発展していないから、親がいない子供は、自分で働かないと食べていけない。孤児院はあるらしいけど、あんまり良くない噂もちらほらと……。そうなると、スラム街に流れて、さらに良くない環境へと落ちてしまいがちだ。それに比べれば、ちゃんとした仕事をして、住まいと食事にありつけているこの二人は、恵まれている方なのかもしれない。

 そうは言っても、十分なお金を持っているわけでは、もちろんないだろう。そこでぼくは、酒場で聞いた噂話を教えて欲しい、と彼にお願いすることにした。戦争の情報が欲しかったからね。こういう情報集めって、酒場に入って話を聞く、ってのが定跡だと思うんだけど、残念ながらぼくは、お酒が飲めない。何回か試してみたんだけど、どうしても体が受け付けなかった。だから、彼に頼んでみたんだ。噂話に対して情報料を払ってあげれば、レオたちの小遣い稼ぎにもなって、一石二鳥だし。

「勇者様って、すっごく、強いんだよ!」

「へー。魔王国の都の近くで、か。で、戦いはどうなったの?」

「勇者様が聖剣っていうのを持っていてね。たったの一撃で、魔族の軍隊を打ち破った、って言ってた!」

 レオは両手を腰に当て、胸を張ってこう答えた。勇者が魔族を破ったとしても、べつにこの子にいいことがあるわけじゃないだろう。それでも、自分のいる国が勝った話は、やっぱり話していてうれしいらしい。ユーリはというと、兄の後ろに隠れるような位置に立って、その目はフロルのいる場所に向けられている。フロルは彼女に手を振ってるけど、そこまではわかっていないらしい。

 それはともかく、魔族の都近くでの戦い、か。

 一ノ宮の話だと、一時は魔族軍に国境線付近まで押し戻されていたという話だったけど、再び攻め込んだみたいだな。さすがは勇者と聖剣、といったところか。まあ、一撃で敵軍を破った、ってところは、話を盛っているんだろうけど。

「そうか、ありがとう。魔王と勇者が戦ったとか、そう言う話はなかったの?」

「うーん、そんな話は聞いてない。でも、勇者様が勝ったって話で、酒場は大盛り上がりだったよ」

 勇者が参戦して魔族軍を破ったというのは、先日から何度も聞いている話だったりする。その意味では、戦いの場所が違うだけで、さして耳新しい情報ではなかった。けど、情勢が変わっていない、というのも一つの情報だろう。ぼくは、さっきギルドでもらったお金の中から銀貨を二枚取り出して、レオに渡した。

「じゃあこれ、情報料。また、何かあったら頼むね」

「二枚ももらっていいの?」

「ああ。一枚は、妹さんの分」

「わかった。ありがとう、ユージ!」

 レオはこう言うと、くるりと回れ右して、脇道の方へ戻っていった。ユーリも小さくお辞儀をして、ゆっくりと兄の後に続く。今日も少し、片足を引きずっているな。これは、かなり前に馬車に跳ねられて、それ以来だという。犯人の馬車は、そのまま走り去ってしまったんだとか。こういう古傷って、王城からくすねてきた高級ポーションでも、治らないんだろうなあ。

 フロルもなんだか心配そうに、ユーリの歩き方を見ている。そして、ぼくの方を振り向いて、

<ねえユージ、ちょっと一人にしてもいい? あの女の子、ちょっと見ておいてあげたいの>

<ああ、かまわないよ>

<すぐに戻ってくるから、寂しがらないでね>

 こう言うと、フロルはぼくから離れて、ユーリの後についていった。彼女もそれに気がついたらしく、また上の方を向いて、こてんと首をかしげている。レオも立ち止まって、ユーリが自分に追いついてくるのを待っていた。と、彼は急にぼくの方を見て、こんなことを聞いてきた。

「勇者様って、ユージと同じくらいの歳なんだってね。ユージは勇者様を、見たことある?」

「いや、ないね。以前、パレードがあったって聞いたけど、ぼくは最近、ここに来たばかりだから」

「オレ、そのパレードで見たよ! 遠くて、顔まではよくわからなかったけど、でも会えばすぐにわかると思う。なにしろ、髪の毛が真っ黒だったから!」

 レオはそう言うと、追いついた妹と共に、脇道へと去っていった。


 ぼくは兄妹を見送ると、イカルデアの通りを少し歩いた。王都の中央通りとあって、中にはけっこうな高級店もあり、この世界では珍しいガラスのショーウィンドウ(と言っても、壁一面がガラスになっているのではなく、縦横50センチほどの小さなものだけど)もある。光の加減で、そのガラスが鏡のように、ぼくの姿を映し出していた。

 そこに映るぼくの髪は、この世界ではとてもありがちな銀髪に、そして瞳の色もごく一般的な、銀色がかった青色になっていた。


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