第110話 聖女の守り

「そうなれば、十年前の騒乱が再現されることにもなりかねません」


 アーチボルド将軍の言う「十年前の混乱」とは、カルバート王国各地で反乱が起き、その機に乗じたヴィルベルト教国の軍勢が、王国内に侵入した時のことを指しているのだろう。王国全体が大混乱に陥ったその時の騒乱は、ラインダース平原の会戦でビクトル・レングナーという英雄が現れ、敵の大将を討ち取ったことで鎮めることができた。

 だが、そのビクトルも、今はすでに亡き人となっている。


「こたびの戦争は、もともと、我が国の威信を回復し、勇者様の権威を確立するためのものでした。これまでの戦いで、既に我が軍の精強さは示すことができましたし、勇者様の力も、遠からず示すことができるでしょう。そうなれば、もはや戦いを続ける意味はなくなるのです」

「では、アーチボルド様はどうされるおつもりなのですか?」

「これから王太子殿下にお会いして、進言させていただくつもりです。魔王を討ち、魔族を滅ぼすなど、現実的な目標ではない。このあたりで、魔王国との講和を探るべきである、と」


 アーチボルドは答えた。これは、戦術面の指揮を行う司令官の進言としては、異例なものかもしれない。このことで不興を買えば、司令官の交代といった事態もありうる。だが彼は、いかにも軍人らしい、腹の据わった顔つきをしていた。既に決心は固いのだろう。白河はうなずいて、


「なるほど。あなたが王都におられたのは、そのためだったのですね」

「はい。聖女様は、いかがお考えでしょうか」



 白河は、すぐには答を返さなかった。彼女はしばらくの間、窓の外に広がる庭園を見つめていたが、すっとアーチボルトに視線を戻して、


「私は別の世界から来て、別の世界に戻っていく人間です。この世界の人間ではありません。ですから、あなたがたの中で起きたことに、口を出す資格は無いでしょう」


 この答を聞いたアーチボルドは、やや失望したような表情を示した。召喚された当初、聖女は『争い』や『戦争』そのものを忌避していたということを、彼は耳にしていた。そのため、彼女なら自分の意見に賛成してくれるものと思っていたのだろう。

 だが、白河は続けた。


「ですが、私が個人的に接することになった人が、既に自分の道を決めているのなら……その人を応援することは許されると思います」


 白河は手にしていたバッグから、細い鎖につながれた小さな護符を取り出した。そしてもう一つ、同じくらいの大きさの魔石を出して、その魔石を護符に組み込む。すると、護符の全体にわずかに赤い光が灯った。白河はそれを、日本ならお守りを入れておくような小さな袋の中に入れて、その口を紐で結んだ。


「この護符には、これを持った人の精神や、身体能力を活性化する魔法が組みまれています。それほど強い効果のあるものではなく、いわばお守りのようなものですが」


 白河は、手にした護符をアーチボルドに向けて差し出した。


「お受け取りいただけますか? 常日頃から身につけていれば、きっとあなたは、あなたの信じる道を進むことができるでしょう」

「これはかたじけない。必ずや、わが身の側に置いておくようにいたしましょう」


 アーチボルドは喜んで護符を受け取った。そして、ふと窓の外を見て、


「少し暗くなってきましたかな。聖女様は、今日の宿はお決まりですか? もしよろしければ、今日は拙宅に泊まって行かれたらどうでしょうか」

「ありがとうございます。お言葉に甘えたいと思います」


 白河は微笑みを浮かべて、紅茶のカップに口をつけた。


 その翌朝、白河はアーチボルド邸の玄関先で、使用人に見送られて馬車に乗ろうとしていた。すると邸宅の裏側から、馬に乗ったアーチボルド将軍が飛び出してきた。彼の後ろからは、あわてた様子の馬丁が追いかけてくる。アーチボルドは白河に気づくと馬を止め、放り投げるように手綱を馬丁に渡して下馬し、白河に歩み寄ってきた。


「おお、聖女様! 昨日はつまらぬ話をお聞かせしてしまい、失礼いたしました!」

「いえ。こちらこそ、昨晩はお世話になりました。おかげさまで、ゆっくり休むことができました」


 白河は一礼したが、アーチボルドは彼女の言葉など聞いていないかのように、


「おかげでこのとおり、迷いが吹っ切れましたわい! なんともつまらぬことに悩んでいたものだと、我ながらあきれております。

 ヴィルベルト教国やイザーク王国が攻め込んできたところで、打ち破ってやればよいのです!

 なんとも簡単な話でした。そうと決めたからには、王都なぞにとどまっているわけにはいきません。今すぐにでも、戦線に戻らなくては!」


 そして、くるりと体を半回転させると、馬の元にかけ戻り、再びその背に飛び乗った。


「それでは、失礼いたします! 天も御照覧あれ! このアーチボルド、必ずや魔王を討ってご覧に入れますぞ!」


 こう叫ぶと、アーチボルドは馬の腹を強く蹴って、邸宅の門を走り出ていった。

 この様子を見ていたメイドの一人が、戸惑った表情でつぶやいた。


「旦那様は、いったいどうされたんでしょう」


 白河は答えた。


「心配はいりません。ご本人もおっしゃっておられたように、迷いがなくなったのでしょう」


 ◇


 その後、白河も馬車に乗り込んで、アーチボルト邸を出た。一人きりの馬車の中で、白河はこんな独り言を漏らした。


「パメラ様に『ブレイブ』の魔法陣を教えていただき、それを刻んだ護符を用意しておいた甲斐がありました。ただ、少しだけ効き目が強すぎたかもしれませんね。次に使う時には、調整しておいたほうがよさそうです」


 味方の士気を鼓舞する、ブレイブの魔法。護符の大きさからもわかるとおり、それほど強い魔力が込められていたわけではない。だが、そんな護符を肌身離さず、身につけていたとしたら……アーチボルドの一夜にしての変心は、このためだった。パメラ王女も、まさかこの魔法がこんな使い方がされるとは、考えていなかっただろう。

 白河は、窓から見える王都の景色をしばらく眺めた後、こう続けた。


「この国にはぜひとも、魔王との戦いを続けていただかなければなりません。そして、魔王の首を取っていただかなくては。

 なぜならそれが、私たちが元の世界に戻るための、条件なのですから」



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