第56話 スイートなチート
食堂を出たぼくは、大通りを進んで、一軒の店の前に立ち止まった。
大きくはないけれど、ちょっと高級っぽい、けれどもお客さんの姿はなくて、閑古鳥が鳴いていそうな店だ。新田が、ドアの上に掲げられた看板を読みあげた。
「ランドル商会?」
「うん。食品関係の卸が主な仕事らしいんだけど、今日はそれとは別の用件」
ぼくはドアをノックして、しばらく待った。が、何の応答もない。ここはお店でもあるんだから、中に入ってしまってもいいのかな。このあたりの、こっちの世界の細かい常識が、よくわからない。こういうところからも、ぼくたちだけで商売をするという案は、無理がありそうな気がする。
ぼくは店の主人の名前を呼びながら、ドアを開けることにした。
「アーシアさん、いますか」
しばらくして、奥から物音がした。厨房へと続くドアを開けて出てきたのは、アーシア本人だった。彼女はぼくを見ると、微笑んで会釈をした。
「あ、ユージさん。お久しぶりですね」
「アーシアさん、こんにちは。お元気そう──」
と言いかけて、彼女の目の下にクマがあるのに気がついた。ずいぶん、疲れている様子だ。山賊から助けた時よりも、全体に生気がないような印象を受ける。
「──でしたか?」
「正直に言いますと、あのあとがたいへんでした。
ユージさんのおかげで荷物は無事に戻ってきましたが、あの荷物はこちらからアイロラへ送ろうとしていた品だったんです。今は山賊の動きが激しいらしく、代わりの運送手段がなかなか手配できなくて……。
それに、御者をしてくれていたのはうちの従業員で、実質、支配人のような仕事をしてくれていた人でした。その人が亡くなったので、後の処理が──」
アーシアは、はあ、と大きなため息をついた。
「ごめんなさい、私の事ばかりお話しして。今日はどのようなご用件でしょう?」
「ちょっとアーシアさんにお願いというか、相談があってきたんです。ああ、その前に」
と、ぼくは大高たちを紹介した。三人は、商会の若い女主人の前で、やや緊張した様子だったけど、
「さっき、ユージのおかげで、と聞こえたけどさ。あれはどういう意味だ?」
「このまえ、常設依頼の魔物を狩りに森に出かけたら、山賊に襲われている馬車があったんだよ。それを助けたら、馬車に乗っていたのがアーシアさんだったんだ」
「そんなテンプレが、おまえに起きてたのかよ……」
黒木はびっくりしたような、あきれたような表情でぼくを見た。大高は、ちょっと引き気味の立ち位置で、盗み見るようにアーシアに視線を送っている。ルイーズで少しは慣れたかと思ったけど、やっぱり女性は苦手なのかな。ぼくはアーシアに向き直って、
「こいつらは、ちょっと前まで、ぼくと一緒に冒険者パーティーを組んでいたメンバーです」
「ああ、そうなんですか。でしたら皆さん、お強いんでしょうね」
「い、いえ、それほどでもありません」
アーシアの素直な返しに、新田は決まり悪そうな顔つきで答えた。アーシアはまた微笑んで、
「それで、ご相談というのはどのようなことでしょう? 先ほども少しお話ししましたとおり、依然として商会の方が苦しくて。満足のいくようなお礼は、難しいかもしれないのですが……」
「いえ、お願いしたいのは商会の関係ではありません。そうではなく、『ランドル菓子店』のアーシアさんに、お話があるんです」
「ああ、スイーツ! そうか、そうでした!」
大高が叫んだ。ぼくはにやりと笑って、
「そうだよ。お城にいるころ、さんざん商品開発をしてきたじゃないか。やっと思い出した?」
「思い出しましたぞ! たしかにあの知識は、ひとつのチートに違いありません」
興奮してうんうんとうなずく大高の姿に、アーシアは少し引き気味になって、
「あのう、どうしたんでしょうか。チートというのは、いったい何なんですか」
「説明の前に確認しておきたいんですけど、ランドル菓子店ではどんな品を、どうやって売っていたんでしょうか。この国で売れているのは、どんなお菓子ですか?」
「そうですね。よく食べられているお菓子といえば──」
この世界のスイーツ事情について尋ねると、アーシアは次のような説明をしてくれた。
一般的なスイーツというと、やはり焼き菓子が主になるようだ。中にナッツを入れたり、ドライフルーツを入れたり、生地の原料を変えたり混ぜたりの工夫はあるものの、どれも焼き菓子であることに変わりはない。
「黒くて甘いクリームが入ったお菓子が売れている国もあるそうです」
というのは、もしかしたらあんこのことだろうか。
そして、購入してくれるのはやはり上流階級が多く、貴族や大店の商人などが主な顧客だったそうだ。材料となる砂糖や牛乳などはかなり高価だから、一般の人にはなかなか手が届かないのだろう。
そのため、店頭売りはほとんどしておらず、注文を受けてから商品を作って、それを配送するという仕組みになっている。ここのお店は小さなカフェが併設されて、店売りもしていたそうだけど、こういうところは例外的だそうだ。
「ランドル菓子店は、母が趣味で開いていたようなものでしたね。このカフェにお友達を招いて、よくお話しをしていました……。
母が亡くなってからは、商会の運営の方でばたばたしていて、あまり力を入れることができなくて。先日、とうとう店を閉めてしまいました。看板だけは、まだ残してあるのですが」
「なるほど、よくわかりました。
話を聞いた限りでは、クリームを使った菓子や、ホイップさせた生地はないみたいだね」
「そうですな。ユージ君、これはいけますぞ!」
大高は、相変わらず興奮したような口調だ。ぼくは片手を上げて彼を抑えて、
「それで、お願いというのはですね、アーシアさん。こいつらと一緒に、スイーツ──お菓子の販売をする気はありませんか?」
「お菓子の販売?」
アーシアは、長いまつげをぱちぱちとさせた。
「オオタカさんたちは、菓子店をされていたことがあるんですか?」
「いえ。ですが、菓子を作ったことはありますし、たぶんあなたの見たことがない、変わったレシピをもっているんです。うまくいけば、売れると思いますよ」
「うまくいけば、ですか。ですが、お菓子の販売と一口に言っても、なかなか簡単なものではないのですが……」
アーシアは返事に困ったように 語尾を濁した。まあ、商売の素人にいきなりそんなことを言われても、簡単にイエスとは言えないよね。
「では、実際にお菓子を作らせてください。それを食べた上で、判断してもらえませんか?」
ぼくたちはカフェの裏にある厨房に場所を移した。先日、店を閉めたばかりとのことで、魔道具のコンロ、オーブンなどは使えたし、小麦粉やバター、砂糖といった材料もある程度残っていた。冷蔵の魔道具の中には、卵や牛乳も並んでいる。
「さて、何を作りますかな? 卵や牛乳もあるようですし、簡単なところで、例のプリンなどはいかがでしょう」
「それもいいけど、ホイップした生地を知らないっていうんだから、ふわふわパンケーキなんてどう?」
「なるほど、それもいいですな。初めて食べた人には、衝撃的でしょうし」
「レシピは覚えてるよね? じゃあ、作るのは大高が指示してよ。アーシアさんが協力してくれることが決まったら、実際に作るのは、大高たちなんだからね」
ぼくの言葉に、大高は軽く目を見開いた。そして力強く、うんとうなずいた。
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