第124話 一緒に行かない?

「ぼくと一緒に行かない?」


 この言葉に、それまで笑顔を浮かべていたアネットの表情が、少し固くなったように見えた。


「ユージと?」

「うん。一緒に、旅に出ない?

 ぼくたちは二人とも、冒険者としての力量はそこそこあると思うし、けっこう相性もいいと思うんだ。なにしろ、あの魔物だらけの迷宮の中で、生き残ってこれたんだからね。ぼくたち二人なら、どんなに厳しい旅でもやっていける。そう思うんだ」

「ボクたち、二人で……」

「あ、でも、そんなに無理な旅をするつもりはないし、危険な依頼を受ける必要もないよ。なにしろ今回は、かなりのお金を稼げたから。とりあえずは、この街を出るつもりだけど、その後はのんびりと、気楽な旅をするつもりだ。

 そのうちに旅が嫌になったら、どこかの街に落ち着いてもいい。冒険者をするのが嫌になったら、他の生き方、例えばなにかの商売をしてみるのも、いいかもしれないね。そのくらいのお金は、手に入るはずだ」

「他の、生き方……」


 アネットはまた、ぼくの言葉を繰り返した。


「まあ、そんな先のことはわからないにしてもさ。とりあえずは、一緒に行かない? 迷宮でやっていたように、お互い助け合いながら、冒険者をやっていければな、って思ってるんだ。どうかな?」


 ぼくはアネットの目を見つめて、彼女の返事を待った。


 リーネのことが、頭に浮かばないわけではなかった。けれど、アイロラの街で別れてから、彼女とはずっと会えていない。あれ以来、いろいろなところを旅してきたけど、彼女も彼女の妹さんも見かけることはなかったし、それらしい情報さえつかむことができなかった。

 この広い世界で、たった一人だけで彼女たちを探すなんて、どだい無理なことだったんだ。心の底では、ぼくもそのことに気づき始めていた。そしてそもそもの話、リーネ自身、戻ってくるつもりなんて無いのかもしれないことも……。

 もしかしたら、彼女と再会することなんて、もうないのかもしれない。

 それならいっそ、このままアネットと一緒に暮らしていけたら──。



「ごめん。一緒には行けない」


 けれども、アネットはゆっくりと、首を横に振った。


「ユージと一緒にいられたら、きっと楽しいと思う。けど、ユージも想像がついていると思うけど、ぼくは暗殺者ギルドの一員だ。簡単に組織を離れることはできない。

 それに、実はぼくの弟が、厄介な病気にかかっていてね。治療に、かなりのお金がかかるんだ。こんな仕事をしているのは、そのためなんだよ」

「でも、お金なら──」

「お金だけの問題じゃない。要するに、組織が弟の所在を知っている、ってことさ。そんなぼくが、勝手にギルドを抜けたりしたら……」

「そ、そうなんだ」


 ぼくは、頭の中が真っ白になった。


 あー、やっちゃった。やっちまった。

 なんだか遠いところにあるように感じる意識の中で、ぼくは言うべき言葉を探していた。なんとかこの場を、取り繕える言葉を。こんな変な空気のまま別れることになるくらいなら、こんなこと、言わなければよかった。

 でも、しかたがないじゃないか。それがぼくの、したいことだったんだから。

 それに、アネットは「自分は殺し屋で、あなたは標的に過ぎない」なんて言い方はしなかった。そんな形式的な言葉ではなく、彼女自身の言葉で断ってくれた。ぼくのお願いを真剣に受け止めて、真剣に考えてくれたんだ。それがわかっただけでも、告白した甲斐はあったんだよ……。

 でももしかしたら、こんなことを考えること自体が、取り繕いってやつだったのかもしれない。


 ぐるぐると空転する思考の外で、ぼくはなんとか、言葉を絞り出した。


「わかった。それなら、しかたないね。とっても、残念だけど」

「けれど、もし」


 アネットは、ぼくの手に彼女の手を重ねてきた。思考の大部分が空転していたぼくは、つい反射的に、声を上げてしまった。


「あ、アネット?」

「もしも、そういったことを清算することができたのなら、その時は、ユージと一緒にいたい」


 ぼくは思わず、アネットの顔を見つめた。アネットも、ぼくを見つめ返してくる。思考の空転が止まり、遠くにあった意識が現実に戻ってきた。彼女の顔がだんだんと近づいてくる。そして、その小さな唇がぼくに触れそうになった時、アネットは急に顔を離して、


「ねえユージ。お願いがあるんだけど」

「な、なんでしょうか」

「あの精霊様、君のそばで見ているんでしょ。今も、ぼくたちのことを……どこかよそに行ってくれるよう、お願いできない? 今だけでもいいから」

「そ、そうですね」

<聞こえてるよね、フロル?>


 ぼくが念話で呼びかけると、中空にあった光の玉が、少女の形に実体化した。


「だめなの! 本当にユージは、危なっかしいんだから。忘れたの? この間も、わたしがいない時に危ない目に会ったのよ」

「覚えてるよ。この前は、本当にありがとう。でも今日は、怖い魔物もいないし──」

「えー、ユージ知らないの? 女って、こわーい魔物なのよ」


 フロルはそんな大人びた台詞を吐いた。けど、てのひらサイズの女の子にこんなことを言われたら、なんだかおかしな感じになってしまう。と、フロルは急にぽんと手を打って、


「あ、でも、どっちにしろ、だいじょうぶなのよね。痛い目に会うのはユージなんだから、これも経験かもしれないの。

 じゃあ、わたしはそのへんの森で遊んでくるから。ユージ、またね」


 フロルはそう言うと、再び光の玉に戻って、窓から出ていってしまった。窓の木戸がぱたりとしまる。ぼくとアネットは思わず顔を見合わせて、吹きだしてしまった。そしてすぐに、真面目な表情に戻った。

 ぼくたちは改めて、お互いの顔を寄せ合った。アネットのまつげが伏せられ、柔らかくて温かい感触が、ぼくの唇に伝わってきた。ぼくはゆっくりと上体を預けていき、彼女の体に、ぼくの体を重ねた。



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