第123話 再会

 アネットは窓の縁から降りて、ぼくの部屋に入ってきた。ここ、二階なんだけどな。窓から忍び込むなんて、実に暗殺者らしい登場のしかたといえば、そのとおりだ。でも、べつに暗殺者として来ているわけじゃないんだから、ドアから入ってくればいいのに。


「……久しぶり」

「うん」

「なかなか来ないから、もう会えないかと思ったよ」

「ごめん」


 今日のアネットは、迷宮で過ごした時に着ていた革鎧は身につけていない。体にフィットした、黒っぽい色の服に身を包んでいる。顔が隠れるような革の兜もつけておらず、ちょっとかわいらしい、気弱そうな顔つきが、月に照らされてはっきりと見えていた。

 こうしてみると、最初に男の子と思ったのが不思議なくらいだ。女性っぽい顔が見えているせいか、なんとなくだけど、その下にある胸も、すこしふくらみを持っているように思えてしまった。


「今まで、何をしてたの?」

「ちょっと体調を崩してね。三日ほど、寝込んでたんだ」


 ああ、そうか。アネットは一度、迷宮で倒れたんだっけ。体調がまだ戻っていないところに、あれだけ走り回ったりしたら、しばらく動けなくなってもおかしくはないよな。


「もう大丈夫なの? 無理してない?」

「いや。しばらく休ませてもらったからね、すっかり良くなったよ」

「そうか。それなら、良かった」


 それきり、沈黙が続いた。彼女に会いたいと思ってはいたけれど、いざ二人きりになってみると、どんな話をしたらいいのか、わからなくなっていた。迷宮の中では、あんなに自然に話せていたのになあ。


「と、とりあえず、こっちに来て座らない?」


 ぼくはベッドの隣をぽんぽんと叩いた。女の子をベッドに座らせるのは失礼かもしれないけど、ここはもともと一人用の、そんなに高くもない部屋だ。ベッド以外の家具なんて置かれていない。座ってもらうのは、ベッド以外になかった。

 アネットも気にはしないようで、黙ってうなずくと、ぼくの左隣に座った。


「えーと、それでさ。アネットは──」

「ぼくのことより、ユージはどうしていたの?」


 話をつなごうと苦労していると、アネットの方から話を振ってくれた。


「ぼく? すごい大騒ぎになって、たいへんだったよ。ギルド長の前に連れていかれて、じきじきに事情を聞かれてさあ。どうして迷宮に入ったのか、どうやって迷宮の主を倒したのかって、何回も同じことを話す羽目になった。

 あ、アネットのことは一言も話していないから、そこは安心して」

「どうやって倒したか、ね。どう説明したの?」

「フロルのことを話したら、とんでもない騒ぎになりそうだからね。魔物同士が戦って相打ちになった、って言っておいたよ。ぼくが倒したわけじゃありません、って」

「もったいないなあ。せっかく、ヒーローになれるチャンスなのに」

「とんでもない。そんなめんどくさいことは、願い下げだよ。それに、あれを倒したのはぼくの力じゃないというのは、本当だからね」

「あの精霊様は、今もそばにいるの?」

「いるよ。まだ、あの時のような大人の姿には、なれないみたいだけどね。さすがに、少し魔力を使いすぎたんだって」


 実を言うと、フロルはぼくたちのすぐそばにいた。アネットが訪ねてくるとすぐに、ぼくの胸のあたりから小さな光が抜け出していたんだ。今は、なんだか興味深げに、ぼくたちの周りを漂っている。精霊術の使えないアネットには、見えていないようだけど。


「そういえば、迷宮はどうなるんだろう。ぼくたちが脱出した時は、ほとんど魔物がいなくなっていたよね。ストレアは迷宮で成り立っている街だって聞いたけど、大丈夫なのかな」

「ああ、それはたいした騒ぎにはなっていないみたいだよ。そもそも、アラネアが迷宮の主になってからは、迷宮からの産物は激減していた。だからどちらにしろ、主を倒して、一度リセットする必要があったんだ。

 主が倒されても、迷宮の奥から湧き出てくる魔素はなくなったわけじゃないから、そのうちに、魔物はどこかから寄ってくる。最深部のあの部屋にも、やがては新しい主が住むことになるだろうね」


 アネットはここで、少しいたずらっぽい笑いを浮かべた。


「街で騒ぎになっているのは、むしろユージのことかな。なにしろ、ストレア迷宮の『事実上の踏破者』なんだから」

「え、何それ?」


 聞き慣れない言葉に、ぼくは思わず問い返してしまった。


「事実上の踏破者、だよ。迷宮からマザーアラネアの魔石を持ち帰った冒険者がいたので、彼を迷宮の事実上の踏破者と認定する。こんなことを、ギルドが発表したんだ。冒険者たちの間では、ユージという冒険者が踏破した、って噂になってるよ」

「なんだよそれ。しばらくの間は黙っていてくれるって、ギルド長と約束したのに」


 ぼくが少しむくれると、アネットは軽く笑って、


「だけど、実際にこれまで苦労していたマザーアラネアが倒されて、その魔石がなくなっている。そして、迷宮から何かを持ち帰った冒険者が目撃されてるんだ。あの魔石はどうなったんだとか、いろいろと問い合わせがあったんじゃないかな。ギルドとしても、何かしらの発表をしなければならなかったんだろう」

「でも、ぼくの名前を出さなくてもいいだろうに」

「ああ、ユージの名前は、正式には発表はされていないよ。たぶん、ギルドの職員あたりが、しゃべったんじゃないかな」


 ぼくはがっくりした。そうか……ギルドに抗議したいところだけど、たぶん無駄だろうな。この世界にプライバシー保護とか、個人情報の保護なんて考え方、あるとは思えないから。


「なんだか、面倒ごとが増えそうだなあ。いよいよ、この街から出て行かないとまずそうだな。

 それでアネット、ちょっと相談というか、お願いがあるんだけど」

「何?」


 ぼくは思いきって、今の思いを口にした。


「ぼくと一緒に行かない?」



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