第68話 ふるさとの景色

 翌日の早朝、ぼくたちはリトリックの街を出た。


 どうせなら護衛の依頼でも受けたかったんだけど、そんなに都合のいいものはなかったので、ぼくとリーネ、二人だけの旅路になった。依頼を受けて、そこから跡をたどられても面倒だから、これで良かったのかもしれない。

 あ、乗合馬車は最初から選択肢にはありませんでした。あの手の乗り物って、限界ぎりぎりまで人を乗せようとするから、どいうしても馬の歩みが遅くなる。結局、ぼくらが歩くのと、それほど変わらないスピードになってしまうのだ。それになにしろ、お尻が痛いしね。体力やスタミナ、そして夜営に不安がなければ、歩いた方が快適だ。

 それに、二人だけならマジックバッグをおおっぴらに使える、というのも大きい。バッグのおかげで、道中の食事はリトリックでの買いおきで済ませることができた。温かいままの食事を取り出すたびに、リーネは

「さすがはご主人様です」

と言ってくれたけど、たしかにあのまずい携行食糧のことを考えれば、

「さすごしゅ」

の価値はあるよね。


 寝るのは、簡易型のテントの中。テントと言うより、非自立型のツェルト、が近いかな。このあたりは、まだそれほど寒くはなっていないんだけど、簡易型でもテントがあるとないとでは、けっこう違う。

 考えてみれば、マジックバッグがあるなら、ちゃんとしたテントを組み立てておいて、そのままバッグに収納……でも良かったのかな。今度、探してみよう。出し入れを目撃される危険があるから、使いどころが難しいけど。

 ただ、狭いテントの中なら、リーネと二人、寄り添って寝られるかも……と思ったのは、当てが外れた。当たり前だよね。夜は交代で、寝ずの番をするんだから。


 その道中で、こんなことがあった。

 ぼくたちは、なんとなくホコリっぽいような景色の中を歩いていた。緑の少ない土色の大地が広がり、その間を縫うように、ちょっときつめの上り坂が続いていく。息を切らすほどではないけど、背中の荷物が少ししんどいかな、と思える程度の上り坂だ。坂を登り切り、ようやく峠に着いてみると、それまでとは全く違う景色があった。

 目の前には、見渡す限りの緑の草原が広がっていた。

 背の低い草が切れ目なく続き、そのところどころに、白い花の群落が点在している。名前も知らない鳥が高くさえずり、また別の鳥がそれに答えるように、遠くで鳴いているのが聞こえる。はるか遠くに見える麓の方には、もやが薄くたなびいていた。麓まではずっとゆるやかな下り坂が続いていて、段ボールを敷いた上に座ってちょっと足を蹴りさえすれば、どこまでも滑っていけそうだ。


「ユージ様ユージ様、ここで一休みしませんか」


 リーネが珍しく、はしゃいだような声を上げた。ぼくがうなずくと、リーネは道の脇に座るのではなく、草原の中へと入っていった。どうやら、近くに見える花の群落を目指しているらしい。花の中に入ったリーネはこちらを振り返って、高く手を振った。その楽しそうな様子に、ぼくも思わず笑顔になった。

 ぼくもリーネに追いつき、二人並んで、草の上に腰を下ろした。白い色はリンドウに似た小さな花で、一つの枝に五つか六つ、鈴なりになって咲いている。それが辺り一面に、咲きそろっていた。その花に左の手を添えながら、リーネが言った。


「なんだか、ふるさとを思い出します」

「リーネのふるさとって、どんなところ?」


 何の気なしにした質問だったんだけど、リーネはこの問いに、少し間を置いて答えた。


「アリトナというところです。といっても、ヒト族にはわからないでしょうね。エルネスト連邦の中にある国で、正式には自治区、というんですか? その一つです」

「エルネスト連邦か。カルバート王国の東にある、カルバートに征服された国が独立した時に、できた国だっけ。獣人が多くて、獣人だけしか住んでいない場所もある、と聞いたことがあるな」

「はい。アリトナはその、獣人だけの国ですね」

「それがどうして、この国に来たの?」

「父に売られたからです」

「え、お父さんに?」


 ぼくは思わず問い返した。


「はい。エルネストは、形の上では一つの国ですが、実態は小さな国々の集まりで、連邦内の国同士の争いも、頻繁に起きています。

 二年前、隣接するヒト族の国が、突然、アリトナに攻め込んできました。敵が侵入してきたのが、私たちの部族の土地に近かったため、私たち部族も戦いに参加しました。これは全面的な戦争ではなく、小競り合いのようなもので、はっきりした決着がつかないまま、戦いは終わりました。エルネストでは、よくあることです。

 ですが、戦いに参加した私の父は、帰らぬ人となりました。父は部族の族長で、みなの先頭に立って戦っていたんです」

「あれ、だけどさっき、父親に売られたって──」

「それは、義理の父のことです。私の家は代々族長を務めていましたが、子供は四人姉妹で、長女の私を含めた全員が女性でした。族長は男性がなるのが決まりでしたので、部族の中で二番目に有力な家の男が母と再婚し、族長になりました。

 あいつは、実の父の子供である私たちが、目障りだったんでしょう。結婚してすぐに、私たち姉妹を邪魔者扱いしはじめました。

 当然、私はそんな義父に反発しました。私は、自分の力に自信があったんです。女ながらに男たちの中に交じって、魔物狩りにも参加していましたからね。私は義父に対して折れることはなく、二人の口論は絶えることがありませんでした。母は病弱でしたし、私たちの部族では妻は夫に服従するのが当然とされていましたから、何も言いませんでした。

 そんなことが続いていた、ある日のことです。家族で夕食を食べていたら、急に眠くなったんです。今までに感じたことのないような、強烈な眠気でした。おそらく、薬を盛られたんでしょう。次に目が覚めた時には、私は見知らぬ家にいました。その時には既に、奴隷術をかけられた後でした

 業を煮やしたあいつは、私を奴隷に売って、部族から追い出したんです」

「族長の娘に、そんなことを? ずいぶん荒っぽいことをするな」

「もしかしたら、故郷では私は奴隷に売られたのではなく、家を飛び出した、という話になっているのかもしれません。実際に、家を出て一人で生きていくことも、考えていましたから。

 それ以来、故郷には帰っていませんし、家族とも会えていません。たぶん、母はだいじょうぶでしょう。族長の血を引いているのは義父ではなく、母ですから。

 ですが、妹たちは、もしかしたら私と同じ目にあっているのではないかと思います。眠りに落ちる寸前、妹たちを見たら、彼女たちもテーブルに伏していましたから」


 なんとも、重たい告白だった。こんな話が始まるとは思ってもいなかったので、ぼくは何も声を掛けてあげることができなかった。


「申し訳ありません。こんなに素敵な場所で、変な話をしてしまって」


 リーネは、少しさびしげに笑った。きれいなお花畑の中で、ぼくたちはただ黙ったまま、座り込んでいた。

 確かに、この楽しげな景色の中で聞く話ではなかったかもしれない。でも、こんな話をしてくれたということは、以前よりはぼくに心を開いてくれるようになった、ってことなんだろう。そう思うようにしよう。


 その後も、山賊や強い魔物に出会うことはなく、ぼくたちは五日ほどでデモイの街に到着した。



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