第184話 隠密Level9
その夜、ぼくたちはさっそく行動を開始した。
時刻はたぶん、午前二時を過ぎたくらいだろう。ただでさえ夜の早いこの世界で、草木も眠る丑三つ時。隠れていた地下道から地上に戻ったら、そこはほとんど光の差さない、真っ暗な世界だった。どうやら、今夜は新月らしい。うん、M:Iをするのなら、こういう夜だよね。
「こちらへ」
ぼくの目と鼻の先、真っ暗な空間から、小さな声が聞こえた。メイベルだ。とは言え、暗闇に紛れて、彼女の姿はまったく見えない。今の彼女は昼間のメイド服ではなく、頭から爪先まで黒ずくめの、いかにも忍び、といった衣装に着替えているからだ。さっきはふくよかな印象を与えていた胸のあたりも、なんとなく小さくなっている。サラシでも胸に巻いているのかね。そういえば、アネットもそうだったし。
そう言うぼくも、実は同じ服をもらって、黒一色の格好になっていた。鎧がないとなんとなく防御面で不安になってしまうけど、なんでもこの布地は繊維に特殊な金属を織り込んであるそうで、革鎧以上の防御力はあるし、ある程度の魔法耐性も持っているらしい。
ちなみに、ぼくはすでに隠密スキルをオンにしているけど、メイベルはまだ、このスキルを使っていない。使ってしまうと、味方のはずのぼくも彼女を見つけることができず、後をついて動くことができなくなってしまうからだ。なのに、まったくと言っていいほど彼女の気配を感じない。これで隠密をオンにしたら、ほとんどの人は彼女を認識できないだろう。剣とか槍とかの武術でもそうなんだろうけど、スキルとは別に、こういう熟練の技、というのがあるみたいだね。
ぼくは彼女の後をついて、できるだけ音を立てないよう注意しながら、小走りに走った。木陰や建物の壁沿いを縫うように進み(道路を横切る時は、なんとなく緊張した)、やがて一棟の建物の外で止まった。僕たちが召喚されてすぐのころに寝泊まりをしていた棟から、少し離れたところにある建物だ。もちろん、建物の正面玄関から入ったりはしない。メイベルは建物裏手の窓の下に立つと、ジャンプして片手で窓枠の下にぶら下がり、もう片方の手で木戸を開けた。たぶん、予め細工をして、鍵を開けてあったんだろう。
彼女に続いて、ぼくも窓から建物に侵入する。入ってみると、そこは小さな物置のような部屋だった。その、ちょっとほこりっぽい部屋を横切り、静かにドアを開ける。その先にある廊下は、外よりもさらに真っ暗だった。外からの明かりも、魔道具の灯りもない廊下を、メイベルは迷いなく進んでいく。このまえ見せてもらったステータスには、確か「暗視」のスキルもあったよな。その力なんだろうか。ぼくにはそんなスキルなんてないから、ただ彼女の気配だけを頼りに、その後ろを付いていった。
そんな二人が走っているのに、廊下にはなんの物音も響かず、しんと静まりかえったままだ。実は、メイベルからは服と一緒に、替えの靴ももらってあった。この靴、足裏が薄くてちょっと頼りない感じもするけど、床へのフィット感がすごいんだよね。しかも、全然音がしない。本職は、道具も一流どころをそろえてあるんだなあ。
こうして、誰にも気づかれないままに、ぼくたちは廊下を進んでいった。
やがて、進んでいく廊下の先が、ほんの少し明るくなった。メイベルは手で止まれの合図をして、走るのをやめる。そこからは忍び足で(シャレではない)歩いていくと、廊下はしばらくいったところで左に折れていて、光はその折れた先から来ているようだった。廊下の角まで進み、壁を背にして角の向こう、光の方向をのぞいてみる。すると、30メートルほど先の突き当たりに両開きのドアがあり、その両脇に二人の騎士が立っているのが見えた。光は、その壁に掛けられた魔道具のランプのものだった。
「あそこです」
極限まで小さく絞った声で、メイベルはぼくに告げた。続けて、ここで待っているようにと命じた直後、目の前にいるはずの彼女の姿が、急に薄くなったような気がした。たぶん、隠密のスキルを発動したんだろう。そしてぼくの側から離れて、曲がり角の陰から出た。そのまま目標のドアに向かって進んでいく。廊下の真ん中を堂々と、隠れる素振りもなく。
だけど、警備の騎士たちの反応はなかった。
それはそうだろう。そこにメイベルがいる、とわかっているぼくでさえ、すでに彼女の姿を目では捉えられなくなっているんだ。探知スキルの精密モードで、なんとか彼女の行動を追えてはいるけど、これでもかなりきつい。
隠密スキルって、レベルを極めるとこんなこともできるんだな。なるほど、警備の騎士が少ないのはどうしてかと思っていたけど、確かにこんなスキルの前では、いくら数がいてもそれだけでは意味がないのかもしれない。
とうとう、メイベルはドアまでたどり着いた。そこでひざまずくと、右手でドアに触れ、祈りを捧げるように頭を少し垂れた。今度は罠解除のスキルで、ドアの解錠をしているらしい。その作業にはかなりの時間がかかっているようで、4~5分も経ってから、ようやく彼女は立ち上がって、ぼくの方に戻ってきた。もちろん、帰り道でも騎士たちに見つかることはなかった。
「鍵を開けてきました」
メイベルが小声で報告した。
「機械錠と魔法錠の組み合わさったもので、それなりに高度な錠前でしたが、問題はありませんでした」
「でも、かなり時間がかかってましたよね」
「機械式の錠前のほうが、部品を動かす時に、音を立ててしまいそうだったからです。それを防ぐために、時間をかけました。
ただ、問題は錠前ではなく、ドアの方ですね」
「ドア?」
「ええ。あのドアは金属製で、頑丈そうに見えますが、かなり錆びついています。ノブを回したり、ドアを開閉する時に、音がしそうです。私の隠密スキルで、ある程度は注意を分散できるとは思いますが、それで防ぎきれるかどうか……」
メイベルは言った。複雑な錠前や人手をかけた警備より、さびたドアのほうがやっかいだなんて、ちょっと皮肉だな。
「それじゃあ、どうします?」
「このまま、少し待ちます」
そう言うと、メイベルは背を壁にもたれさせ、目をつぶった。休憩しているような、何かを待っているような、そんなポーズだった。だけど、待っていたら何が変わると言うんだろう。そのまま十分以上が経過し、今日はあきらめた方がいいんじゃない? と声をかけようとした時、ぼくの背後からかすかな音が響いてきた。
「ねえ、メイベルさん。向こうから、何か聞こえてきたんだけど……」
「足音ですね。そろそろ、見張りが交替する時間のようです」
メイベルは落ち着いた声で答えた。だけど、足音が聞こえてきたのは、ぼくたちが入ってきた方向だ。そして廊下は一本道。つまり、ぼくたちは前と後から、騎士にはさまれてしまったことになる。一方だけと戦うなら二人対二人になるだろう(交替ってことは、たぶん二人組だよね)から、倒すのはともかく、戦って逃げられない人数ではないかもしれない。でも、そうなれば間違いなく今日の任務は失敗で、おそらくは警備も強化されて、次からの侵入が難しくなるだろう。
よくあるのは、何か小さなものを投げて、物音を立てる。見張りが「なんだ、変な音がしたぞ」とそっちを見に行っているうちに、ドアから侵入……って方法なんだけど、さすがに安直かな。いったいどうするんだろう。と思っていると、メイベルはぼくの手を取った。
「私の体のどこかに、手を触れていてください。絶対に、離れないように。それから、音も立てないようにしてください」
ぼくはこくこくとうなずいた。その時、後ろの方の廊下から、ランプの光と共に、二人の騎士が姿を現した。何やら談笑しながら、こっちに近づいてくる。足音だけでなく、身につけた鎧がこすれているのだろう、キリキリという金属音も響いてきた。位置関係だけで言えば、ぼくたちの姿は見えているはずなのに、彼らもやはり、なんの反応も示さなかった。メイベルに触れているから、ぼくにも隠密スキルの効果が及んでいるんだ。だけど、新手の騎士たちは、どんどんこちらに近づいてくる。いったい、どうするんだ?
するとメイベルは、ぼくの手を引いて、目的のドアの方へと進んでいった。
さっきと同様、真っ正面から、二人の騎士に近づいていく。ドア横にいる騎士の姿が、だんだんと近くなってきた。さっき、メイベルが鍵を開けた時も気づかれなかったんだから、今度もだいじょうぶなはず。頭の中では、そうわかっていた。けど、心の方は納得していないらしく、騎士たちの姿が大きくなるにつれて、ぼくの心臓の鼓動はどんどん早くなっていった。緊張で足がもつれて、歩くだけで音を立ててしまいそうになる。そうならないよう、ぼくは必死に足を動かした。
メイベルは、表情を変えることなく、歩みを進めていった。そして、ドアまで到着すると、ぼくの左手を自分の右肩に置き、そうして空いた手でドアノブを握った。その姿勢のまま顔を後に向けて、新手の二人の騎士が近づくのを、じっと待った。
背後の話し声が、次第に近づいてきた。副官の指示のしかたがどうの、今度入ってきた新人の態度がどうの。時々笑い声を挟みながら、そんな話をしている。ドアの両側で彼らを待っている二人は、無言のままだ。警備中は無駄話などしないのか、それとも長時間の警備で疲れているのか。とうとう、交替の二人が前任の二人の前に到着し、ぼくとメイベルは、この狭い空間の中で四人の騎士に囲まれる形になってしまった。
騎士たちの息づかいが聞こえる。ぼくの心臓はますます強く脈打ち、なんだか自分の呼吸音も聞こえてしまいそうで、思わず息を止めてしまった。手を離すな、とメイベルに言われたけど、ちょっとしたことで手が滑ってしまいそうな気がする。ここで手を離したらどうなるんだろう。ぼくの姿がいきなり、四人の間に現れるんだろうか? そうなってはならないと思えば思うほど、手がいうことを聞かなくなるような気がして、ぼくは自分の左手の上に、右手をゆっくりと重ねた。
新手の二人のうちの一人が、相手に声をかけた。
「お疲れ様。交替の時間だ」
「遅いぞ。交替の時間に遅れるのは、規律上、ちょっと問題じゃないか?」
「バカを言うな、逆に早いくらいだぜ。そうだな。十分は、余裕を見て出てきたかな。その分はサービスしといてやるから、今度何かおごれよ」
「ぬかせ」
親しげに会話を交わすと、ドアを背にしていた二人が大股で一歩前に進んで、もう二人の前に立った。四人は気をつけの姿勢を取り、右手を胸に当てる。カン、と大きな金属音が響いた。交替する時の儀礼というか、儀式のようなものだろうか。四人はそれぞれの位置を交換し、新手の二人がドアの両脇に立った。勤務を終えた二人の騎士は回れ右をして、ドアから遠ざかっていく。
その二人が廊下の角を曲がったころ、ドアの向かって右側に立った騎士が、もう一人に向かって話しかけた。
「なあ」
「なんだ」
「いつも思うんだが、ここって暇だよな」
「しかたがないだろう、これも仕事だ」
「どうせなら、ここで剣術の稽古でもしないか? そうすりゃ暇つぶしになって、剣の腕も上がる。一石二鳥だ」
「バカを言うな。そんなことをしていたら、警備に支障が出てしまう」
「だから、警備に支障が出ないようにやるのさ。例えば、こんなふうに」
と言うと、右の騎士はいきなり剣を抜き、下からすくい上げるようにして、左の騎士に向けて切りつけた。
キン、と金属音が響き、廊下の中を反響しながら遠ざかっていく。左の騎士も素早く応じて、自分の剣で攻撃を防いだのだ。そして、相手を軽くにらんで、
「何をする」
「いや、わかってるだろ。寸止めだよ、寸止め。見張りのあいだ中、お互いに相手を抜き打ちで攻撃してもいい、ってことにしておけば、警備の練習にもなるんじゃないかな、って」
「……なるほど。なかなかのアイデアだ。今度、ニコ隊長に具申しておこう。おまえの考えとして、な」
「いや、それはなんていうか……あの人、こういうことは、融通が利かないから……」
右の騎士は剣を治め、その後はおとなしく、見張りの仕事に戻った。
ただ、彼がさっき放った一撃は、ドアの前でかがんでいたぼくとメイベルの、ちょうど首のあたりを横切っていたはずなんだけど……。
その時、ぼくとメイベルは、既にドアの向こう側にいた。
種を明かせば、簡単なことだった。ドアを開ける時に出る音が問題になるのなら、別の音をかぶせてしまえばいい。メイベルは、騎士が胸に手を当てた時にドアノブを回しきり、騎士が足音と金属音を立てながら歩いていくのに合わせて、少しずつドアを開閉した。メイベルは見張りの交替する時間や、交替の際にどんな動作をするかを、予め知っていたんだろうね。だから、こんな芸当ができたんだろう。
音が重なったとしても、音がしてくる方向が違えば、それでばれてしまうようにも思える。だけど、人間は真後ろから音がすると、どの方向から音がしたのか、わからないのだそうだ。ぼくも初めてヘッドフォンを使った時、後ろに誰かがいるような気がして、びっくりしたことがあったっけ。真後ろから音がすると、あれの逆が起きるんだ。見張りの騎士も、後ろからの音を、自分たちの前を去っていく騎士たちが立てた音と、勘違いしてくれたんだろう。
いやー、それにしても、最初っからぎりぎりだったなあ。
「それでは、先に進みましょう」
なんでもないような顔で、メイベルがぼくを促した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます