第117話 マザー・アラネア
内側から見た、円形のドーム型球場。
この場所を見て、真っ先に連想したのはそれだった。全体はお椀をひっくり返したような半球形になっており、発光石があるためか、天井もほの明るく光っている。この光も、なんとなく球場を思わせるものだった。
もちろん、周囲に観客席などはない。その代わりに、そこら中に多数の穴が開いていて、それぞれの穴からは、大小様々なアラネアが鈴なりになって、ドームの中をのぞいていた。
ぼくたちが行き着いたのは、迷宮の最深部だった。迷宮の主が住む、元の世界のゲームなら、「ボス部屋」などと呼ばれていた場所だ。間違いようがない。なぜなら、この部屋──「部屋」と呼ぶには大きすぎる場所だけど──の中には、巨大なアラネアが三頭、待ち構えていたからだ。
どのアラネアも、胴体の高さが十メートルは超えていそうな大物ばかり。体長は、足までいれると三十メートルは軽く超えてしまいそうだ。三頭ともが、「クイーンアラネア」級の化物。特にそのうちの一頭、他の二頭にはさまれて部屋の中央に鎮座している一頭は、見た目からして異常だった。大きさこそ両隣とさほど変わらないけれど、二頭の体が黒と灰色の毛で覆われているのに対して、このアラネアは全体が金色に輝いていた。
この異様な外観、二頭のクイーンアラネアを従えているかのような配置、そしてなによりも、問答無用でぼくたちにのしかかってくる、強者の発する迫力と圧力──魔物と対面して、こんなにも恐怖を感じたのは初めてだった。以前、わずかの時間対峙して瞬殺されたオーガの変異種でさえ、これほどではなかった。鑑定する必要もないくらいだ。こいつがクイーンアラネアの変異種、「マザーアラネア」なのは、間違いなさそうだった。
背後から迫る魔物の群れに押し出されるようにして、ぼくたちはボス部屋の中に飛び込んでいった。不思議なことに、部屋に入ると、後ろのアラネアたちはついてこなかった。
ぼくの頭に、ゲームなんかでよくあるきまりごと、「ボス部屋には、ボス以外のモンスターは入ってこない」というルールが浮かんできた。けど、たぶん、そういうことじゃないんだろう。強烈なオーラを放つマザーアラネアは、彼女の子孫であるはずのアラネアたちにとっても、畏怖すべき存在なんだ。もしかしたら、魔物たちにとってこの部屋は、一種の聖域になっているんじゃないか……そんなふうに思えてならなかった。
ぼくはアネットを地面に下ろした。だけど彼女も、三頭のアラネアから発せられる圧力をひしひしと感じているらしい。まともに立っていることができず、マザーアラネアを見上げたまま、力なくしりもちをついた。
それが合図になったかのように、クイーンアラネアのうちの一頭が、ゆっくりと近づいてきた。ぼくはアネットをかばうように前に進み、小剣を捨てて、マジックバッグから刀を取り出した。
けれど、刀を構えてはみたものの、いったいどうすれば、この窮地を乗り切ることができるんだろう。アネットのジョブは暗殺者で、ぼくは暗殺者ではないけれど、スキルの構成は似たようなもの。二人に共通するのは、個別の敵を陰から狙うのに適したスキルはあるけど、大量の敵、巨大な敵を正面から倒す手段に乏しいことだ。
かろうじて使えそうなのは「隠匿」だけど、既に発見されている現状では、これで身を隠すことはできない。そもそも、これだけ大量の魔物に囲まれていては、隠れたとしても逃げ出すことは不可能だろう。一応は持っている魔法系のスキルも、威力自体はたいしたものではない。こんな大きな魔物を倒すことなんて、とてもできないだろう。
もしかして、いや、もしかしなくても、これって詰んでるんじゃない?
そうかもしれない。けど、なんの抵抗もせずに、魔物に食べられてあげるつもりはなかった。ぼくは、スキルの中ではかろうじて使えそうな「強斬」を選ぶと、魔物に向かって駆け出した。
クイーンアラネアの頭部を目がけ、一直線に走る。それに気づいていないはずはないのに、敵はなんの反応も見せなかった。矮小なヒト族が示す抵抗なんて塵芥のようなもの、とでも思っているのだろうか。それならそれでいい。ぼくは刀を大上段に構えて、振り下ろす前に別のスキルを使った。
「縮地」
ぼくは接敵する直前に、わずかに走るコースを変えた。ぼくの体はアラネアの頭部ではなく、少し右側にある足に向かって急速に近づいていく。そして、一本の足の関節部分を狙って、スキルを乗せた斬撃を放った。
「強斬!」
ぼくの刀は間違いなく、狙い定めた箇所に当たっていた。
けれどもその瞬間、ぼくは腕に激しい衝撃を感じて、あやうく刀を手放してしまうところだった。クイーンアラネアを包むぶ厚い外殻が斬撃をはねかえし、その力が、ぼくの手に返ってきてしまったんだ。
ぼくは縮地スキルを連続で発動、即座に進行方向を変えて、今度はアラネアの頭部に向かった。そして、もうひとつの弱点であるはずの目を狙って、「強斬」と「連斬」の連携スキルを発動しようとした。
「強連ざ──まずい!」
その寸前、ぼくはとっさに三度目の縮地スキルを発動して、右横へ飛んだ。今まで経験したことのないスキルの連続発動に、体の節々が悲鳴を上げ、割れるような頭痛がぼくを襲った。が、そうせざるを得なかった。クイーンアラネアがぼくの方を向いて、その大きな口を開いたからだ。あっと思った次の瞬間、ぼくのすぐ脇を、大きなブレスの波動が通り過ぎた。
「ユージ!」
アネットの叫び声が聞こえた。ブレスの直撃は避けることができたものの、その余波を受けただけで、ぼくはすごい勢いで後ろに吹っ飛ばされていた。部屋の壁直前まで転がったところで、アネットにしがみつかれて、ようやく止まることができたほどだった。
ぼくはすぐに、立ち上がろうとした。が、体のそこら中が痛くて、即座には動けなかった。特に右の脇腹あたりと、右手の上腕がめちゃくちゃに痛い。右手はなんだかぐらぐらしているような感じで、どうやら、骨をやってしまったらしい。
けど、それどころではなかった。それ以外の体の部分は、どうにか動いてくれたので、ぼくは体が発する警告を無視して立ち上がり、刀を構え直した。
だけど、もう一度アラネアに切りかかっていくことは、ぼくにはどうしてもできなかった。
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