第211話 死者たちの行動原理

<何か来たみたいだね>


 ぼくは答えた。前方から、何らかの反応が近づいている。この異界に来て初めて現れた、もしかしたら敵かもしれないものだったけど、ぼくは少し、ほっとしていた。探知スキルが、こっちの世界でも通用することがわかったからだ。なにしろ、ここまでは何にも反応が返ってこなくて、本当に何もいないのか、それともここでは探知スキルが通用しないのかが、今までわからなかったんだ。

 反応は一つだけで、それはかなりのスピードでこちらに向かってくる。そしてすぐに、相手の姿が見えた。大きさは人間よりも一回りほど大きく、全身を包む毛は真っ黒。長い両手をだらりと下げたままの格好で、地面を走ってくる。胸の筋肉もたくましく発達していて、形はゴリラに似ているけど、顔はニホンザルのほうが近い。実際に出会うのは初めてだけど、ギルドの資料で見た覚えがあるな。ブラックエイプという魔物だ。

 たしか、大きさのわりに身軽で、森の中では、木の上を自在に飛び回る。知能は高く、集団で攻撃してくるけど、道具や魔法を使うことはない、といった説明だったと思う。でもこいつ、カルバート王国よりもっと南、イザーク王国のあたりに生息しているんじゃなかったっけ。あ、そうか。ここは死者の国だから、熱帯に住むとか寒い地域を好むとか、そういったことも関係なくなってくるんだな。

 ブラックエイプはぼくを見ると、「オオゥ」という雄叫びと共に、両腕を振り上げた。そして、近づいてきたスピードそのままに、こちらに突進してくる。ぼくは腰に下げた剣に手をかけ、魔物が近づくのを待った。敵と交差する寸前、体を右にずらして攻撃をよけると同時に、剣を横なぎに払って、エイプの腹をかっさばく。エイプは体をくの字に曲げ、地面をごろごろと転がった。そして再び、起き上がることはなかった。


 こうして、異界での初めての戦いは、実にあっさりと終わった。


 まあ、大きいとは言っても、サルだし。それに集団ではなく、一匹しかいなかったからね。元の世界で戦ったとしても、こんなものだったろう。フロルから聞いていた説明でも、死者の国の魔物は、基本的には、生きている時と能力は変わらない、ということだったし。

 ただ、その後に起きたことが、ぼくを少しだけ驚かせた。

 地面に倒れたブラックエイプは、しばらくの間は、ひくひくと体を動かしていた。それがまったく動かなくなって数秒後のこと。

 エイプの体が突然、霧のように消えてしまったんだ。


 そういえば、腹を切ったというのに、地面には出血の跡もない。迷宮の中でだって、こんな風に魔物が消えたりはしなかったのに。なんていうか、元の世界のゲームに出てくる魔物みたいだな。ただし、ゲームとは違って、目の前で消えたブラックエイプは、ドロップ品なんてものは残していかなかった。ぼくはフロルに聞いた。

<ねえフロル。倒した魔物が、消えてしまったんだけど>

<そうですね。それは、異界で『死んだ』──現世から見れば、すでに死んでいる者たちですが、ここではこう呼ばせてもらいます──死んだ者は、魔素に戻っていくからです>

<魔素に戻る?>

 ぼくが問い返すと、フロルはひと息入れてから、ちょっと長めの説明を始めた。


<ええ。以前にもお話ししたと思いますが、この異界には、現世で言う『生き物』はいません。そもそも光がありませんから植物も育ちませんし、それを食べる動物、その動物を捕食する動物もいないんです。ここにあるのは土や岩、ごく少量の水といった非生物と、それを取り巻く魔素だけです。

 ただし、現世の生き物が亡くなり、魂がこちらに流れ着くと、事情が変わってきます。その魂には、生きていた頃の経験が、一種の『痕跡』というか、『刻印』として残っているのです。その跡に、この世界に充満する魔素がまとわりついて、その者の生前の姿をとることがあります>

<うん、そんな話だったね。でも、どうしてあいつは消えたの? あいつの元になった魂自体が、なくなってしまったのかな>

<死者が倒されても、魂が消えるわけではありません。ただし、魂は大きな打撃を受け、そこに刻まれていた痕跡も薄れてしまいます。そのため、魔素をつなぎとめることができなくなって、姿が消えてしまうのです>

 ふうん、そう言う仕組みなのか。あれ、待てよ。ちょっと変だな。

<でも、死んだら魂がこちらに来るんだとしたら、どうしてここはこんなに殺風景なんだろう。他にもいろいろな動物とか、魔物とか、ヒト族や魔族の死者だって、もっとたくさんいてもおかしくないのに>

<魂が生前の姿をとるためには、痕跡が深く刻まれている必要があります。その深さを決める要素はいくつかあるようですが、一般的には、サルやヒト族、魔物の特異種など、知能や能力の高いものに限られます。小動物のたぐいが見あたらないのは、そのためですね。さらに、知能の高いもののうちでも、生前に強烈な生涯を送ったものでなければ、魂の痕跡は深くならないようです。

 それから、死者の数が少ないのは、彼らはやがて消えていくからでもあります。たとえ他のものに倒されなかったとしても、魂の痕跡は、だんだんと摩耗していくからです>

 なるほど。ちょっと違うかもしれないけど、この異界から消えるっていうのは、「成仏」みたいなものなのかもしれないね。フロルが、さらに説明を付け加えた。


<ちなみに、死者はその魂に最も深く刻まれた姿、代表的には『その者の最盛期の姿』あるいは『死の直前の姿』で現れることが多いです。ヒト族などでは、持っていた装備や武器も再現されますが、これは『痕跡』にそれらの記録も残っているためです。もっとも、それらが再現しているのは武器の見た目や固さと言った、ある程度の性質までで、例えば聖剣が持つとされる特殊能力などは再現されませんが>

<そういうことだったのか。でも、魂に刻まれた姿で現れるんだとしたら、例えば『自分は勇者だ』と思いこんでるやつがいたら、ここでは勇者になれるの?>

<いいえ。その場合に再現されるのは、『自分が勇者だと思いこんでいる普通のヒト』、になるでしょうね。実際の肉体は、そのような能力をもってはおらず、そうした経験が痕跡として残っているわけではないのですから>

 なるほどねえ。と感心したあとで、ぼくにはもう一つの、重大な疑問が湧いた。

<ってことは、あいつら、自分の意志というか、意識を持ってるの?>

 この質問に、フロルは少し迷ったように時間をおいてから、

<その問いの前提となる、『意識とは何か』という問題が、ひどく難しいものなのですが……あえて一言で答えるのなら、『その通り』です。

 死者たちは、魂の痕跡に従って再構成されます。それは必ずしも生前の肉体そのものではなく、外観、骨格、筋肉など、痕跡として残りやすいものに限られるのではありますが、中でも最も痕跡となりやすいのは、死者たちの考えていたこと、つまり『心』です。その心を形成する器官が再現されるのですから、彼らは『意識を持っている』と言ってしまってよいでしょう。

 ただし、その再現された意識もやはり、生前のものそのままとは限りません。元となるのは、魂に『刻まれた』意識ですから。意識の中でも魂に刻まれやすいもの、多くは『死の直前に胸に刻まれた思い』が強く現れます。

 従って、その思いや願いをかなえようとすることが、彼らの行動の基本原理となります……この異界で、それが実現可能であるかどうかは、わかりませんが>

 元の世界で言う、「未練」ってやつになるのかな。なんかこのあたりも、地球の幽霊と似てないこともない。だとしたら、さっきのエイプは、ヒトに対する強い恨みでもあったのかな。そしてぼくに倒されることで、あのエイプは成仏できたのかも……。

<それから、再現されるのは、彼らがまだ死んではいない段階の意識なのですから、彼らは自分が死んだことに気づいていない場合がほとんどですね。そのことに気づくきっかけがあったとしても、そこから目をそむけてしまうことが多いです。場合によっては、異界での行動の記憶まで、後付けで変更されてしまうことがあります。

 このあたりは死者たちの、いわば本能的な拒否反応なのでしょう。例外はあるようですが、それはかなり高い精神力をもったものに限られ──>

<フロル、ストップ。何か来る>


 探知スキルに新しい反応が入ってきたので、ぼくはフロルの言葉をさえぎった。前方に、四つの反応が現れたんだ。それらはひとかたまりになって、ゆっくりと歩くようなスピードで、ぼくの方へ近づいてきた。たぶんだけど、こいつらは魔物ではないかもしれない。というのは、その反応の方向に、小さな灯りが見えたからだ。あれはおそらく、灯りの魔道具か、あるいはライトの魔法だろう。この世界に来て初めての、人の姿をした者との対面になるかもしれない。それが生きているか、死んでいるかは別にして。


 反応はどんどんと近づいてきて、やがて人の形をした四つの陰が、おぼろげながら見えてきた。向こうもこっちに気がついたみたいで、警戒した様子で、手を腰の剣にかけている者もいる。どうやら、剣士タイプが二人、魔術師タイプが二人みたいだな。ぼくたちは双方共にスピードを落としながら、ゆっくりと歩み寄っていった。

 とうとう、お互いの距離は二十メートルほどにまで縮まった。彼らが持っている灯りが強くなる。どうやら、光の強さが調整できる魔道具らしい。だけど暗視スキルのあるぼくにとっては、それ以前から既に、十分な明るさになっていた。あれ? あいつらってもしかして──。

 四人のうちの一人が、突然、ぼくを指さして大声を上げた。


「な、なんでおまえが、こんなところにいるんだよ!」


 ぼくの前に現れたのは、この世界に一緒に召喚された元の世界の同級生たち。松浦大和、浜中康功、美波真奈、田原玲奈の四人だった。



────────────────


 えー、ほんとうに念のために付け加えておきますが、この「死者の国」の設定は、特定の宗教とか宗派の教義などは、参考にしていません。全部、頭の中で作りました。まあ、いろんな教義や俗説的な考え方が既に頭に入っていて、それが材料になってはいるでしょうから、似たようなものがどこかにあるかもしれませんけど。

 こんな設定に凝ろうとするから、どんどん時間がなくなるんだよな!


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