第173話 レモンはしぼる派?
中央通りを抜けて、ぼくは王都の中央広場に着いた。
広場はいつもどおり、行き交う人であふれていた。人々の話し声や笑い声で、耳をふさがれるような感じがする。その
「自爆玉」については、当面、放っておくことにした。一度だけ取り出してみたけど、それは野球のボールよりもちょっと大きめの、真っ黒な玉だった。名前からすると、この玉に火魔法が込められているんだろう。商人が盗賊に襲われた時に備えた、自衛用の武器? でも、だとしたら「自爆」という言葉が物騒すぎる。この名前からすると、スパイとか忍とかが任務に失敗した時、敵を巻き込んで自決するための道具だよね……。
こんなヤバいもの、放って置くに限るだろう。そもそも、どうやって使うかもわからないんだし。
歌声の元に着いてみると、そこには三十人ほどの人垣があった。その真ん中にいたのは、一人の吟遊詩人だ。元の世界で言うと、ストリート・ミュージシャンかな。年はぼくより少し上くらいで、慣れた感じで、聴衆に囲まれて歌を歌っていた。彼が奏でているのは、勇者の物語だ。異世界から召喚された勇者が、聖女と手を取り合い、数多くの困難を乗り越えて、ヒト族の敵である魔王を打倒する……。
歌の内容自体は、この世界ではごくありふれたものだ。特徴的なのは、彼が手にしている楽器だった。普通の吟遊詩人は、リュートっていうんだっけ? なんとなく日本の琵琶に似た楽器を演奏していることが多い。けど、彼が持っているのは、どう見てもギターなのだ。
形が似ているだけで、詳しい人が見たら全然別物なのかもしれない(本物のギターの弦が何本かさえ、ぼくは知らないし)。けど、とにかく外見はギターそのものだった。響いてくる音色もギターに似ていたし、左手で弦を押さえ右手でつまびき、時にはかき鳴らす演奏方法も、まさしくギターだった。
そのギターがジャン、と鳴って、歌が終わった。聴衆からまばらな拍手が起き、詩人はかぶっていた帽子を取って、人々の間を歩いて回った。帽子にコインを入れる人も、そそくさと逃げ出す人もいたけど、ぼくはさっきギルドで受け取った銀貨のうちの一枚を取り出して、そこに入れた。男はぼくにちらりと視線を送ってきたけど、すぐにほかの人たちの方へ歩いて行った。
しばらくして人垣が消えた頃、ぼくは帽子の中のコインを数えている詩人に歩み寄った。
「お疲れ様、エルドレット。いい歌だったね」
「いい歌? 冗談じゃない」
詩人は眉をあげ、不機嫌そうに言い返してきた。
「こんなのは、ぼくの歌じゃない。上から押しつけられて、歌わされているだけだ」
吟遊詩人が全員そうなのかどうか知らないけど、このエルドレッドという詩人は、自分で作詞作曲も行う。その上、楽器まで自分の手で作ってしまうという、なんていうか、かなり創造性豊かなやつなのだ。彼が手にしているギターも完全オリジナルだそうで、過去の勇者は関係ないらしい。
そうして彼が作った曲というのは、これもまたかなり独特で、はっきり言って、この世界の人々には人気が無い。エルドレッドと初めて会ったときには、彼の歌を聴いている人はほとんどおらず、小さな子供がぽかんと口を開けて、彼を見ているだけだった。でも、ぼくは最後までその曲を聴き、彼の差し出す帽子に銀貨を入れた。彼の音楽に、なんとなくだけど、元の世界を思い出させるものがあったからだ。
それ以来、この偏屈な詩人と言葉を交わす仲になっていた。
「歌わされてるって、誰に?」
「騎士団のやつらだよ。当面、愛やら恋やらの歌は禁止で、勇者様が魔王と戦う歌だけにしろ、だってさ。ったく、クソつまらねえ。そんなのは、大昔からほかのやつらが、何十万回と歌ってきたじゃねえか。よく飽きねえよな。俺が歌いたいのは、そんな曲じゃねえんだ」
手にしたギターをジャン、と鳴らすと、エルドレッドは彼が作った歌を歌い始めた。そうして奏でられたのは、どことなく昭和の昔のフォーク・ソングを思わせる、そんな曲だった。貧しい男と貧しい女が出会い、狭い部屋で一緒の生活を始める。けれど、生活の苦しさのため、やがて二人は別れてしまう……。
それにしても、歌わされてる、か。国民の戦意高揚のため、というやつなのかな。授業で日本の現代史を習ったせいか、こういうのってなんとなく、いやーな感じがするよね。
しばらく歌ったところで、エルドレッドは急に演奏を止めた。
「おっと、このへんで止めとくか。これ以上歌ってると、面倒なことになりそうだからな」
「その方がいいかもね。ところで、最近は勇者や、魔族との戦争の関係で、何か新しい話は入ってない?」
ぼくが尋ねると、エルドレッドは少し顔をしかめて、
「なんだ、さっきのコインは、やっぱりそういう金か。歌への礼じゃないのかよ」
エルドレッドは、そう言って顔をしかめた。吟遊詩人というのは、ストリートで歌うだけじゃなくて、酒場や食堂などいろいろなところに顔を出す。自然といろんな話が耳に入ってくるので、情報屋としては優秀みたいだ。ぼくとしては、そんなつもりは、あんまりなかったんだけどね。教えてくれるなら、喜んで聞きますけど。
「いや、そう言うわけじゃないよ。ぼくは君の歌、わりと好きだよ」
「まあ、どうでもいいけどな。たいした話は入ってないし。勇者が魔族の軍を破ったとか、最近は聖剣を手に入れて大暴れしているとか、そんな話くらいだ」
「そっか。確かにどっちも、新しい情報じゃないね。でも、ありがとう。また新しい曲ができたら、聞かせてよ」
「ああ。戦争なんて早く終わりにして、自由に歌わせてもらいたいもんだな」
エルドレッドは軽く手を振って、ぼくから離れていった。
◇
吟遊詩人と別れたぼくは、裏通りにある一軒の食堂に向かった。今の時間はたぶん、四時過ぎくらい。ちょっと中途半端な時間だったので、ぼくはドアを開けながら、一声かけた。
「今、やってますか?」
「おう、ユージか! もう始めてるから、食っていきな!」
食堂の大将が、店の奥から顔を見せた。デリックという豪快な親父さんで、ねじったタオルを、はちまきのように頭に結んでいる。元の世界では時々見かけたけど、こっちの世界でこんな格好をするのは、この人くらいだろう。
「じゃ、いつもの定食と、アレをお願いします」
「あいよ!」
デリックが引っ込むと、替わって出てきたのは、ぼくと同い年くらいの女性だった。マリオンという、この食堂の娘さんだ。つり上がった眉毛がちょっと勝ち気そうな、きれいな顔立ちの子。マリオンは木製のコップに入れた水を、ぼくが着いた席に置いてくれた。こういうサービスも、この世界では珍しくて、少し懐かしい。
「一丁、上がったぞ!」
大将の声が響いた後、マリオンが厨房に入り、お皿を二つ持って出てきた。彼女はそれを置くと、「おまちどおさまでした」といいながら、ぼくがテーブルに置いてあったコインを回収した。ぼくの視線は彼女から離れ、目の前の料理に引き寄せられた。
そこにあるのは、まず一皿目は、お米。これは実は、そこまで珍しいものではない。日本米ではなく東南アジアあたりの米っぽいんだけれど、お米を出してくれる食堂は、大きな街だとそれなりにあったりする。地球のヨーロッパにだって、リゾットがあったもんね。
そして二皿目が、トリの唐揚げだった。それもただの唐揚げではない。間違いなく、下味に「しょう油」が使われている。なんと、あのしょう油だよ! 尋ねてみたところ、これは「ソイ」という調味料で、東方のとある地域で作られているものらしい。原料は豆だそうだから、魚醤などではなく、本物のしょう油っぽい。さっそく、デリックにお願いして、仕入れ先を教えてもらいました。そして即、大量購入。これでおしょう油、ゲットだぜ!
まあ、トリのほうは鶏ではなく、それっぽい魔物の肉なんだろうけど、それでも十分においしかった。さすがは大国の首都だけあって、いろんな地域からいろんな人が集まって、いろんな食文化も入ってくるんだな。その文化の中に、しょう油があったんだろう。さっきの水のサービスも、しょう油を使っている地域の習慣なのかもしれない。もしかしたら、そこには緑茶もあったりして。
そして、それだけではない。マリオンが追加で持ってきた小皿に乗っていたのは、大豆そっくりの豆だった。ちょっと、表面に粉を吹いたような見た目になっている。マリオンはそれをテーブルに置きながら、
「はい、くさり豆です」
「ありがとう」
「それにしても、よくこんなもの、食べる気になりますね。ユージさんだけですよ、これ注文するの」
彼女はあきれたような口調でこう言った。ぼくは気にせずにくさり豆にフォークを入れ、ぐるぐるとかき回す。ねっちょりとした手応えがして、豆は糸を引き始めた。くさり豆……文字のとおりだと、腐った豆だ。ただし、この豆でおきているのは「腐敗」ではなく「発酵」。実はこれ、納豆なんだ。
「納豆」と「豆腐」は、昔は今の納豆が「豆腐」、豆腐が「納豆」と呼ばれていたのが、いつのまにか逆になったんだよ……というのは、時々耳にする、名前雑学の一つだ。実際にはこれは間違いで、昔から納豆は納豆と呼ばれていた、が正解らしい。が、それは前の世界での話。虚心坦懐にこの品を見たら、「豆の腐ったもの」と呼んでもおかしくないだろう。と言うわけで、こちらでは、この料理はくさり豆と呼ばれている。
ただ、この名前と、それから見た目も良くないんだろう。ほとんど注文されることはなく、事実上のまかない、というかデリックしか食べていない品になっていたらしい。それをぼくが見つけて、定食と一緒に注文するようになった、というわけだった。
この納豆、実はマジックバッグの中に、大量に保存してあったりする。納豆菌(かどうかはわからないけど)と大豆っぽい豆があれば、自作もできるかも……と思って、いろいろ試行錯誤してみたんだ。いつまでもこの街にいるつもりはないからね。鳥カラは無理でも、納豆だけでも自給できるようにしておきたいな、と。
まあ、実際にやったことは、ゆでた大豆に納豆を混ぜて、保温しただけなんだけどね。その「保温」がけっこう難しかったんだけど、結果、とりあえずは納豆っぽいのができた。出来はばらばらだし、時々ヤバそうな色のが出るし、味もちょっと落ちるけど、とりあえずは納豆っぽい。それが、バッグに入ってるんだ。これで納豆もゲット!
とはいえ、この街にいる間は、本物の納豆を食べておいた方がいいだろう。というわけで、ぼくはすっかり、この店の常連になっていた。あの懐かしの唐揚げ定食と、しょう油と納豆……イカルデアなんて嫌いだけど、この食堂のことだけは、来て良かったなと思っている。
納豆をかき混ぜながら、ぼくはレオとエルドレッドから聞いた話を思い返していた。
勇者が聖剣を手にして戦い、今では魔族の都近くまで、攻め上がっているという。その噂が事実なら、勇者による魔王軍掃討は順調に進んでいるようだ。ただ、魔王を倒した、なんて話は出ていないから、両者の直接対決までは至っていないんだろう。
あれ、ちょっとおかしいかな。グラントンの迷宮を攻略して、一ノ宮が聖剣を手にしてから、一月くらいは経っている。まだ魔王とぶつからないというのは、ちょっと遅くないだろうか。でも、この世界の軍隊の進軍速度がどのくらいかなんて、ぼくにはわからないからなあ。物資を補給するにも馬で運ぶしかないんだから、けっこう時間がかかるのかも。それに、いきなり直接対決になるのではなくて、その前に軍同士のぶつかり合いがあるのかもしれない。
まあ、もう少し様子を見るしかないか……。
なんてことを考えながら、フォークで唐揚げを刺していると、小さな女の子の姿をしたものが、店に飛び込んできた。するりと、壁を通り抜けて。
<ユージ、大変よ! 大変なの>
<フロルか。なにかあったの?>
そう答えながら、ぼくは落ち着いて、唐揚げを口に入れた。今のフロルは霊体で、他の人には見えないから、変に反応するわけにはいかない。それに、こいつが「大変よ」と言う時って、わりとどうでもいい話の時があるんだ。この間も、唐揚げに付いていたレモンみたいな果物を使わずにお肉を食べたら、「大変よ! ユージ、これをしぼるの忘れてるの!」と騒がれたっけ。あ、これは日本でも、わりと大問題になったりするのか。
フロルは、レモンの時と同じくらい真剣な表情で、こんなことを言った。
<さっきの女の子が、川に落ちてしまったのよ!>
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