第243話 夢と目覚め
その時、ぼくは夢のようなものを見ていた。
ただ、夢にしては変わってるな、とは思っていた。目に入ってくるのは、荒涼とした茶色の大地だけで、他には何にも出てこないんだから。楽しい夢にしろ悪夢にしろ、もっと登場人物がいてもよさそうなものだ。ただ、そんな景色を高いところから眺めているのは、いかにも夢っぽかった。いや、「眺める」と言うより、「感じ取る」の方が近いのかな。地上数メートルほどのところを、ふわふわと宙に浮いている。その目線の高さは変わらないまま、ゆっくりと、どこかへ向けて流されていった。
しばらくするとようやく、ヒトや、時には魔物が姿を現すようになった。けど、知り合いなど一人もいない。見知らぬ人たちが、なんだか不安そうな面持ちで歩き去って行くのを、上から眺めているだけだ。うーん、つまらん。そういえば地球でも、高いところからの映像を、ただひたすらに流しているテレビ番組があったなあ。あれも最初のうちは面白いけど、しばらくすると飽きてくるんだよね。まあ、人によるんだろうけど。
そのうちに、初めて顔見知りの人物が現れた。あれ? あいつらって……。
上から見下ろすという、ちょっと見慣れない角度だったのでわかりづらかったけど、あれは2班の連中だ。召喚直後、王城での訓練で武術組の2班に班分けされた、岡村奏太、宇藤陸人、吉本晴輝、矢田部悠真の四人。ずいぶんと、久しぶりだな。っていうか、夢に見るほど、仲が良かったわけじゃないんだけどな。
それにしても、あいつら何してるんだろう。なんだか、何かを探しているような。四人ともはるか遠くに視線を向けては、落ち着きなくきょろきょろと顔を見まわしている。そして、誰か他の人を見つけては、大喜びでそちらに駆け寄ろうとしては、その途中でがっかりした顔になって、その場に立ち止まる。そんなことを繰り返していた。まるで、吉報を持って帰ってくるはずの誰かを、探しているかのように……。
ぼくは試しに、上から手を振ってみた。だけど、2班の四人はぼくに気づくことなく歩き続けた。ぼくの流れていくのとは別の方向だったので、四人の姿は、やがて視界から消えてしまった。
さらに進んでいくと、また見知った顔が出てきた。今度の登場人物は、女性の二人組だ。一人は小柄で、もう一人は豊満な体つきをしている。そして二人とも、メイド服を身につけていた。
あっ! 小さい方の女性は、ルイーズだ。王城の四人部屋で暮らしていた頃、、世話をしてくれたメイドの子。そして時々、夜中に食堂に忍び込んで、一緒にパンの耳フレンチトーストを食べた女の子だ。おー、なつかしい。すっごい久しぶりだ。
すると残りの一人は……あれ。ルイーズの友だちの子かと思ったら、違った。そちらはなんと、メイベルだった。王城のメイド長で、実は魔族のスパイだった人だ。王都から脱出する途中にぼくが捕まってしまって以来、彼女とは会っていない。メイベル、ちゃんと逃げられたのかなあ。すごい腕利きだったから、だいじょうぶだとは思うけど。
二人で何をしているのかと思ったら、メイベルがルイーズに手振りで何かを指示していた。ルイーズもうなずきながら、一生懸命に手先を動かしている。良く見てみると、どうやら繕い物の練習らしい。メイベルが針を持っていると、もしかして暗殺用の針? なんて思ってしまうけど、そうとは限らないよね。メイドさんて、こういうことも仕事のうちだろうから。
それにしても、メイベルに訊いた時には、ルイーズのことなんて知らない、って言ってたけど、やっぱ知り合いだったんだな。あ、違うか。これって、夢だったんだっけ。あのお城で親しくしていたメイドさんなんて彼女たちくらいだったから、無意識のうちに、二人を結びつけてしまったのかも。
またさらにしばらく行くと、四人の女性が歩いているのが見えてきた。
一人は、彼女がヒト族なら高校1年生くらいの年齢で、茶色い髪を短くカットした、すらっとした八頭身の女性だった。なによりも特徴的だったのは、お尻の位置からでている小麦色のしっぽだ。髪の毛に隠れている大きめの耳、いわゆるケモミミも、上からの角度だと、わりとよく見える。元の世界にはいなかった獣人、その中でも猫獣人と呼ばれる種族だ。ぼくは彼女の顔を見て、思わず声を上げてしまいそうになった。
(リーネ!!)
王都を出たばかりの頃に奴隷商の店で出会い、しばらくの間、一緒に冒険者活動をした女性。山賊のセバス、ベルトランたちを相手に、共に戦った戦友。そしてぼくの、初めての人だ。奴隷から解放した後は、別々の道に進むことになってしまったけど、あれからずっと、もう一度会いたいと思っていた。あの時の関係に戻りたい、ってわけじゃないよ。今のぼくには、アネットがいるから。けど、あの時はほんとうに急に別れることになってしまったから、あれからどうしたのかとか、今はどんな暮らしをしているのかとか、いろいろと話をしてみたいと思ってたんだ。
手を振ってみたけど、リーネはこちらには気づかなかった。さっきも、叫んだつもりだったけど、声は出ていなかったみたいだ。やっぱこれ、夢なんだろうなあ……。
リーネにばかり目がいってしまったため、残りの三人に注目するのが遅れてしまった。三人は、リーネと同じ同じ獣人の女の子で、これも人間で言えば、中学生、小学校高学年、低学年くらい。顔つきは、三人ともリーネによく似ている。同じ獣人だから、似ているように見えるのかな……と思っていると、一番小さい子が後ろからリーネに飛びついて、背中をよじ登ろうとし始めた。リーネは、おかしそうに笑いながら、その子をおんぶしてあげる。その子がリーネの首にしがみついたところで、リーネは右手と左手で、残る二人と手をつないだ。そうして、四人仲良く、歩き出した。
そうか。彼女たちは、リーネの妹なんだ。継父によって奴隷に売られ、リーネが行方を捜していた、三人の姉妹。彼女たちに、リーネは会うことができたんだ。良かった……とぼくは思った。これは夢かもしれないけど、たとえ夢であっても、幸せそうなリーネの顔を見るのは、なんだかうれしかった。
そんなリーネたちの姿も、次第に遠くへと流れていき、やがて視界から消えていった。
そのうちに、ぼくが流される速度が、だんだん速くなってきた。
それにあわせて、眼下の景色も、めまぐるしく変わっていった。出会った人も魔物も、すぐに視界から出ていってしまう。足の悪い女の子を気遣いながら歩く十歳くらいの男の子、ねじったタオルを鉢巻きのように頭に結んだおやじさん、ギターのような楽器を抱えた吟遊詩人……知った顔もあったような気がしたけど、あまりにもすぐに流れ去ってしまうので、確かめることはできなかった。でもまあ、いいや。どうせこれは、夢なんだから。なぜって。
この荒れ果てた大地は、どう見ても、さっきまでいた死者の国だ。もしもここが死者の国だとしたら、ルイーズやリーネやメイベルたちが、揃ってこんなところにいるはずがないんだから。
移動のスピードは、さらに上がっていく。景色なんてほとんど見ることができなくなり、単なる線の集まりになってしまった。と、突然、ぼくの意識は暗闇に放り出された。それまでも十分に暗かったけど、それよりもさらに暗い、真の暗闇だ。今までは「光の乏しい」世界だったのが、「そもそも光がない」世界に変わったような……。
見えるものはなくなったけど、移動の感覚は終わらなかった。いや、それまでよりも激しく動いていくのが感じられた。ぐるぐると大きく回転し、不規則にバウンドし、急な坂を上り、かと思うと急速に沈み込んでいく。どんなジェットコースターでもありえないような動きが、何度も何度も繰り返された。そしてその動きの総体は、次第に「落下」へと、収束していった。一つの方向にまとまった動きの速度は、どんどんと上昇して行き──。
突然、全ての方向から現れた強い光に包まれ、その光に溶けるように、「夢」の中のぼくの意識は消えていった。
……………………
…………
……
◇
どうやら、少しぼーっとしていたらしい。
気がつくと、ぼくは椅子から立ち上がろうとした格好のままだった。スクワットを途中で止めたみたいな、そんな変な格好。筋トレにはなるかもしれないけど、こんなポーズでじっとしていたら、クラスのやつらに変な目で見られそうだ。なんで止まったんだっけ、と少し首をかしげながら、ぼくはようやく、最後まで立ち上がった。
そうだ。そういえばさっき、変なことがあったんだ。
円形の変な紋様のようなものが高校の教室の床に浮き出て、いきなり輝き出したんだ。クラスメートたちも、なんだこれは、って感じでざわついていた。ぼくらはそのまぶしい光に包まれて、そして──。
──そして、何も起こらなかった。
光が収まった時、ぼくはさっきと同じ、教室の中にいた。
ぼくは苦笑した。そりゃ、そうだよな。変な光が出たくらいで、何かが起きるわけないよな。どこかの小説じゃないんだから。光自体は不思議だけど、どこかから反射した光が窓から入ってきたのかもしれないし、もしかしたら、誰かのいたずらかもしれない。どっちにしろ、ぼくには関係ないことだ。上松とも話したとおり、そろそろ家に帰らないと。
そう思い、床から視線を上げたところで、ようやく気がついた。
教室の中には、ぼく以外、誰もいなかった。
おかしい。ついさっきまで、大勢のクラスメートの声で騒々しいくらいだったのに。声だけじゃない、実際に、彼らの姿をこの目で見ていたんだ。一ノ宮や白河たちのグループ、大高と黒木、矢田部や新田、その他の男子、女子……。あいつら、どこにいったんだろう。やっぱり、いたずらなのか? いたずらというか、友だちに仕掛ける、落ちの見えないドッキリみたいな。ぼくは教室の外の廊下を覗いて、クラスメートがいないのを確認してから、念のため、教室の中を歩いて回った。ドッキリだとしたら、それに乗せられるのもしゃくだったけど、そうしないではいられなかったんだ。
すると、誰もいないと思っていたのが、間違いだとわかった。
さっきまで一ノ宮たちが座っていた、教室の真ん中の机。そのそばに、一人の女生徒が倒れていたんだ。
倒れていたのは、柏木郁香だった。
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