第242話 流れ落ちる水のように

 魂の痕跡を調整することで、召喚される前の世界に、ユージを戻すことができる。


 ラールのこの言葉に、フロルは驚きのあまり、彼女にしては珍しいほどの大きな声をあげた。

「本当ですか!? ……驚きました。そんなことで、本当に元いた世界に戻ることができるのですか?」

 ところがラールは、しごくあっさりした物言いで、

「わからない」

と首を振った。

「……ラール」

 思わずジト目になるフロルに、ラールは小さく笑って、

「しかたないじゃない。なにしろこの私でさえ、今までやったことがないんだから。でも、少なくとも戻れる可能性はあるわ。それにね、彼の魂はもう、そんな状態に近くなっているみたい。私の攻撃を受けたからでしょうけど、魂からいろいろなものが剥がれ落ちて、ほぼ召喚直後の状態になっているの。後はもう少し、微調整するだけでよさそうね。私なら、それもできる。

 ただ問題は、それを実行していいかどうか。実行するかどうかを誰が決めるのか、でしょうね」

「実行するかどうか?」

 ラールは、倒れているユージをちらりと見た。体の修復は先ほどよりも進んでいて、蘇生はもう、目前のように見えた。

「ええ。というのは、さっきは戻れると断言してしまったけれど、実際には、失敗する可能性もあるのよ。厳密に言うと、世界との関連性の強さの他にも、条件はあるから。

 川の水の例えで言うとね、こことユージの世界が『近く』にあったとしても、そこがここよりも『高い』位置にあったら、そこへたどり着くことはできないでしょう? それから、もし途中に高い丘があったら、やっぱりその手前で止まってしまう。この異界と、ユージの元いた世界がどんな関係にあるかは私にもわからないから、そのあたりは運次第になってしまうわ。

 もしもそうなった場合、フロルたちの世界に戻っていくのか、それともここでもユージの世界でもない、まったくの別世界にたどり着くのか。これも、私にもわからない。おそらくは、フロルの世界に戻っていくとは思うけど……」

「……」

「そういうリスクがあるから、本当なら、実行するかどうかは本人が決めるべきなんでしょうね。けど、ユージは今、意識がない。そして意識を取り戻した時にはもう遅くて、実行することができなくなっている。

 どうする? 彼の契約者である貴方なら、どう思うかしら?」


 フロルは考えた。普通なら、こういうことは他人が決めるべきではないのだろう。が、ユージ本人には決めることができないのも確かだ。

 思い返してみると、ユージ自身が元の世界について語ったり、戻りたいと話すようなことは、あまりなかった。だが、これは戻る手段がないからそうなっていただけで、心の底では、元の世界への帰還を望んでいたのではないかと思える。「カルバート王国が、マレビトを送還してくれるとは思えない」と口では言いながら、王都イカルデアに戻って対魔族戦の情報を集めていたのは、その証拠だろう。もしもユージにこの試みのことを話したら、一も二もなく飛びつくのではないだろうか。

 ただし、ラールによると、この方法を試したところで元の世界に戻れるかどうかはわからず、成功するかどうかは運次第になってしまうらしい。となると、ユージでは心もとないような気もする。彼のこれまでの経歴を思い返すと、召喚した国に裏切られ、助けた友人に裏切られ、協力したパートナー、果ては勇者にまで裏切られている。彼は、かなりというか、珍しいくらいに運が悪いほうだろう。だとすると、戻るのは難しいのではないだろうか?


 いや。違うのかもしれない。


 もしかしたら、逆かもしれない。これまでの彼の運の無さは、この最後の運試しのために、とっておかれたのかも……。

 フロルはうなずいて、こう答えた。

「わかりました。では、彼の契約者として、その調整をお願いします」

「わかった。それからね、フロルに関係があるわけじゃないけど、ここにはもう二つ、興味深い魂があるの。どちらも、ユージの関係者ね。

 一つはユージと同じ、マレビトの魂。いったん死んだ後で蘇生しているんだけど、これが死者の世界で死亡し、死者によって蘇生魔法をかけられたという、とても例外的なケースなの。しかも当の本人が、心の底では生きることを望んでいない。実に不安定な魂ね。このままでは、蘇生した状態を維持できないかもしれない。

 もう一つ、こちらはこの異界の住人なんだけど、ユージに付いていきたいと心から願っている魂がある。もちろん、死者の魂は、生者の世界に戻ることはできないわ。けど、その『思い』の部分だけでも、さっきの不安定な魂の奥底に、写し取ってあげれば……そのマレビトも、生きることを望んでくれるかもしれない。

 一つ一つの魂に関わることは、普通はしないんだけど、本人の意志とは無関係に召喚されたマレビトという、例外だからね。少しくらい、お節介してあげてもいいでしょう。そうした上で、こちらのマレビトの魂もユージと同じように加工してあげれば、もしかしたら二人一緒に……」

 ラールは目を閉じた。彼女の体から魔力の線が現れて、一本はユージに、もう一本は遙か彼方にまで伸びていく。彼女の言う、「魂の加工」の操作を始めたらしい。フロルも、黙ってそれを見守った。しばらくして、ラールが伸ばしていた魔力の線が、霧のように消えた。

「終わったわ。

 それからね。あなたの契約者だけど、あれほどに生と死の間を行き来している魂は、初めて見たわ。もしかしたら、おかしなことが起きるかもしれないわね」

「おかしなこと?」

「うん。けど、心配しないで。よっぽどのことがなければ、そんなことは起きないはずだから。例えば、その人がとても強力な刺激、それこそ存在に関わるような刺激を受けるようなことがなければ。

 それに、それが起きたところで、本人にとっては悪いことではないと思う。まあ、最初は戸惑うかもしれないけど……」

「そうですか。よくわかりませんけど、ユージにとって良いことなら、私は構いません」

 そう答えると、フロルはゆっくりと体勢を崩して、ラールの隣に横たわった。

「なんだか、少し、眠くなってきました」

「そう……私も、そうなの。どうやら、時間が来たみたいね。フロル、これまでありがとう。そしてさようなら。またいつか、会いましょうね」

「ええ、必ずまた、会いましょう。……さようなら」


 二人の大精霊は、静かに目を閉じた。



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