第241話 私からの贈り物

「あれは、あなたの契約者なの?」


 落ち着いた口調で、ラールが尋ねた。

 ついさっきまで、狂ったように暴れ回っていた闇の大精霊・ラール。彼女は今、地面に仰向けに倒れていた。フロルはその横に座り、心配そうにラールの顔を見つめていたが、今の言葉を聞くと驚いた顔になって、

「ラール! 元に戻ったんですか? ああ、なんてこと。それなら、こんなことをしなくても──」

「いいえ。そうではないわ」

 ラールはゆっくりと首を振った。

「これは元に戻ったというより、狂えるだけの力が無くなった、が正しいみたいね。そのおかげで、こうして貴方と話せるようになった。完全に力を無くすまでの、わずかな時間だけだと思うけど……。

 けど、こうしなければ、私が狂気から解放されることはなかった。そして、生者の世界に大きな被害を与えることになったでしょう。あなたは、正しいことをしたのよ」

「ラール……」

 どうやらラールは、狂気に犯されていた間に自分が何をしたのか、認識しているようだ。そして自分が今まさに、死に向かっているということも。フロルはラールの右手をとり、祈るように両手で握った。

「それで、私を倒したヒト族の男は、あなたの契約者なの?」

 ラールは先ほどの質問を繰り返した。フロルはうなずいて、

「ええ。ユージと言います。ヒト族の国により、異世界から召喚されたマレビトの一人で、ジョブは『蘇生術師』だそうです」

「蘇生術師? ……ああ、なるほど。そういうスキルなのね。それで私は、こうなっているのか」

 ラールはわずかに顔を動かした。その視線の先には、さっき倒したはずのマレビトが倒れていた。


 そのマレビトは、ラールの一撃をまともに受け、上半身を飛散させて一瞬にして絶命したはずだった。それなのに、既にその体はかなりの部分が修復されていた。まだ蘇生は完了していないようだが、残りの時間はさほど多くはないだろう。ラールは視線を、彼の横に落ちている聖剣、そして自分の体に移した。彼女の体には、聖剣によってつけられた一筋の傷が、胸部から腹部にかけて広がっていた。通常であれば即座に修復される程度の傷だが、今は治癒の兆しなど、まったくみえなかい。

 ラールは目を閉じて、納得したようにうなずいた。

「でも良かった。今の私がなくなってしまう前に、あなたにもう一度会うことができて」

「私も同じ思いです。本当に、会えて良かった」

「ねえ。蘇っても、また友だちになってくれる?」

 ラールは尋ねた。大精霊はこの世界のことわりのようなものであり、たとえ一時は滅ぼされても、すぐにまだ蘇ることとなる。そしてその際には、記憶の多くも引き継がれる。だが、「感情」までは引き継がれることはない。そのため、今生こんじょうで親しい友人であったとしても、次の生で同じ関係になるとは限らないのだ。

 フロルはにっこりと微笑んで、こう答えた。

「ええ、もちろん。私の中に、あなたとの交遊の記憶がある限り、また友だちになれると思います」

 フロルの言葉に、ラールもわずかに微笑みを浮かべた。しかしすぐに、その中にある違和感に気づいた。


「え? どういうこと? あなたに交遊の記憶が『ある限り』、友だちになれると『思う』、って……そうなるかどうか、わからないってこと?

 まさか! もしかしたらあなたも、いなくなってしまうの?!」

 フロルは困ったように眉根を寄せて、小さくうなずいた。

「ええ。ですから、寂しがらないでください。私も、一緒に行きますから」

「あなたも? どうしてあなたまで──」

「私も、あなたと同罪だからです。そのように判断されても、しかたがないと思っています。こうなることを、望んでいたのですから」

「そんな……あなたは、彼のスキルがどんなものか、知っていたでしょうに」

「いいんです。あなたを元に戻すには、この方法しか思いつきませんでした。ですから、後悔はありません」

 フロルは再び、にっこりと笑った。その笑顔に、ラールは悲しげな視線を送る。しばらくの間、二人は黙ったまま、お互いを見つめ合った。


 やがてラールは、ふう、とため息をついた。


「今さら、何を言ってもしかたがないわね……そうか。そうすると、ユージ、だったっけ、彼にはずいぶんお世話になったことになるのね。では、私から彼に一つ、贈り物をしましょうか」

「贈り物?」

「ええ。この異界は、世界の一つではあるけれど、かなり特殊なところなの。ここが現世とつながっている時には、生者はここに入ることもできる。けれどひとたびつながりが絶たれると、中にいる生ける者はこの世界の異物として、元いた世界に引き戻される。正確には、異物はその者の『あるべき世界』に向けて、排出されるの。これは、あなたも知っているわね」

 こうラールに問われて、フロルは何を今さら、といった顔でうなずいた。が、次の言葉に、思わず驚きの言葉を発した。

「じゃあ、その者の魂の痕跡に、少し細工をしたらどうなると思う?」

「え? 細工、ですか?」

「そもそもの話なんだけど、世界と世界との間には、現世でいう『距離』のようなものはないわ。距離に相当するものはあるけれど、それは位置している『場所』とは関係がない。なんて言うか、世界の間の関連性の深さが、距離に相当するの。この異界と現世は、相互の関連がとても深いから、ごくごく『近く』に位置することになる。時々、衝突をしてしまうくらいにね。

 そしてこの『距離』や『近さ』は、世界と世界の間だけではなくて、世界の間を渡るものについても、同じことが言えるの」

「世界の間を渡る?」

「そうよ。だって、生者が異界からはじき出される時は、二つの世界はもう重なっていないんだもの。それなのに、現世の生者が現世へと戻っていくのは、その世界と深い関連を持っているから。その者の持つ性質が、現世という世界と引きつけあうから、そちらへ動いていくの。そうなるのが、自然な動きなのよ。

 川の水が上流から下流へ流れ落ちていくように、生者は現世へと、自然に向かっていく。ヒト族が行う勇者召喚に莫大な魔力が必要なのは、それが自然な動きではなく、川の流れなど何もないところに、無理やりに水路を作ろうとするからでしょうね。

 では、その『関連性』を書き換えることができたとしたら? その者の『近い世界』が、現世とは別の世界になるようにしてから異界の外に出せば、どうなるかしら。例えば、別の世界から召喚された者を、彼が『召喚される前』の状態まで戻すことができれば──」

「……まさか」

「そう。彼は、召喚される前にいた世界に、戻っていくことになるでしょう。彼の肉体はもともと召喚前の世界のものだったんだから、あとは魂を調整して、召喚前の状態にしてあげるだけでいいでしょうね」



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