第163話 残されたベッドの下に
「どうかこの件を、引き受けてはいただけないでしょうか」
村長の言葉に、一ノ宮は返事をためらった。
こんな小事に時間を割いている暇はない、と考えたからではない。実は、一ノ宮はこのところ、体調を崩していたのだ。いつか迷宮の中で感じた、あの感覚──じわじわと生命力を吸い取られるような脱力感が、再び戻ってきていたのである。まだ時間も早いのに、この村に宿泊することを決めたのはそのためでもあった。
だが、村長の話が正確であれば、相手はただのゾンビだ。倒した時の不快感はあるものの、魔物としての脅威度は低い。目撃情報が誤っていて、肉体を持たないゴーストなどだったとしても、ある程度の魔法攻撃は通じるはずだ。レイスのような強力なアンデッドでない限り、少々体調が悪くても、自分一人で対処することはできるだろう。
その上、この件には子供の命もかかっているのだ。勇者のジョブを持つものとして、この願いを聞き届けないわけにはいかない。
一ノ宮はこう考えて、老人の手を取った。
「頭を上げてください。その依頼、確かに引き受けさせていただきます」
村の若者三人に案内されて、一ノ宮は問題の館に到着した。その建物は、彼が元いた世界であれば、「古びた洋館」と形容するのがぴったりな外観だった。石造りの重厚な二階建ての建物で、大きさは想像していたほどではなかったが、たった一人の人間が幽閉されていたにしては、十分すぎる広さだった。
一緒について行くかどうか、迷っている顔の若者たちを残して、一ノ宮は一人だけで建物の入り口へ向かった。戦い慣れていない者を守りながら戦うのは、一人で戦うよりもずっと神経を使う。それに、この程度の広さであれば、一人で捜してもそれほど時間はかからないだろうと思われたからだ。
ギギィ、と大きな音を立てる扉を開けて、一ノ宮は建物の中に入った。まだ日が高いが、窓の木戸がすべて閉められているため、内部は薄暗い。それでも、そこここで破れかけた木戸の隙間から光が漏れ入っており、そのおかげで内部の様子は見て取ることができた。
玄関ホールの中はほとんどがらんどうで、おそらくここを引き払う時に捨て去られた品のなれの果てだろう、朽ちかけた木片やボロボロの布きれが床に転がっているだけだった。一ノ宮は玄関ホールを出て、一階の各部屋を回った。そこもホールと同じく、家具のたぐいはほとんど残っておらず、子供が潜んでいそうな場所も見当たらなかった。この様子では、何かのお宝が残っている可能性はありそうもない。
手早く全部の部屋を回った一ノ宮は、ホールに戻って二階への階段を上っていった。だが二階の様子も、一階と変わりは無かった。各部屋には隠れるような場所もなく、捜索はしごく簡単に進んでしまう。一ノ宮は最後に、廊下の突き当たりにある、最奥の部屋のドアを開けた。
その部屋だけは、他とは少しだけ様子が違った。部屋の中に家具が残されている。左手の窓に近い場所に、ベッドがあったのだ。もしかしたら、軟禁されたという領主の息子が暮らしていた、寝室なのだろうか。ただし、マットや布団などは残されておらず、ベッドの床板部分は大きく陥没して、木のささくれが見えていた。とても寝られるような状態ではない。
一ノ宮は念のため、ベッドの後ろに回ってみたが、子供の姿はなかった。
寝室の奥には、木製の引き戸がつけられていた。開閉の悪くなった戸を開けると、その奥は十畳ほどの広さの部屋だった。部屋の位置と大きさからすると、もとはクローゼットだったのだろう。部屋の中は例によって、ゴミとホコリの他は何も残されていなかった。最後の部屋だったので、一ノ宮は隅々にまで目をこらし、壁を叩いてみたりもしたが、どこにも怪しい点はなかった。
こうしてすべての調査が終わったが、子供もゾンビも発見することができなかった。ゾンビはどこかへ行ってしまったのかもしれないが、子供はどうしたのだろう。魔物に襲われ、肉片さえ残らないほどに、食べ尽くされてしまったのだろうか? だが、彼が見た限りでは、家の中には出血などの痕跡も残っていなかった。一ノ宮は首をかしげながら、クローゼットを出た。
寝室に戻ると、先ほど調べた壊れかけのベッドが、彼の目に入った。一ノ谷はふと、そのベッドのことが気になった。他の家具は軒並み持ち去られているのに、どうしてベッドだけ残されているのだろう。
一ノ宮はもう一度ベッドに近づき、それを持ち上げてみようとした。すると、寝台がに固定されていて、動かないことがわかった。ベッドだけが残されたのは、これが原因らしい。一ノ宮は軽くため息をつき、ベッドのそばから離れた。そして二歩進んだところで急に回れ右をし、ベッドをにらみつけた。
どうしてこのベッドは、床に固定されているのか?
一ノ宮は早足で再びベッドに近づくと、陥没した床板を外した。そしてその下に、思ったとおりのものを発見した。
そこにあったのは、床に作り付けられた、上開きの扉だった。その木製の扉は、大きく破損し、穴が空いていた。そしてその穴の向こうには、下へ降りる階段がのぞき見えていた。
◇
床に作られた階段、おそらくはベッドによって意図的に隠されていたのだろう階段を、一ノ宮は降りていった。
狭く、そしてひどく急な階段は、降りるにつれて周囲の光が乏しくなっていった。一ノ宮は、用意していた魔道具のランプを灯して、先を進んだ。ゆうに二階分は下っただろうと思われたころ、階段は終わった。着いたのは、二メートル四方程度の狭い部屋だった。ドアが一つついているだけで、他にはなにもない。
そのドアを開こうとした一ノ宮は、床の上にいくつか、赤黒い染みができていることに気がついた。その染みは、階段からドアの方へ続いていた。どうやら、血痕らしい。一ノ宮は眉をしかめて、ドアを押した。ギイ、と耳障りな音を響かせて、木製のドアが開いた。
その先にあったのは、教室の半分くらいの広さの部屋だった。
部屋の中には、木製の作業台らしきものがいくつか置かれている。台の上には、用途のわからないいくつもの魔道具が置かれ、それらと共に、フラスコやビーカーに似たガラス容器、何かのメモが記された紙などが、埃にまみれて並んでいた。作業台の向こうの壁には、別のドアが見えた。
どうやら隠し部屋を発見したようだ、と一ノ宮は考えた。
ここに軟禁されることになった領主の息子は、自分の研究を続けるための場所を、館の中に作ろうとしたのだろう。父親がそれを認めたのか、それとも息子が密かに工事内容をねじ曲げたのかはわからない。ともかく、建物の地下に、秘密の実験室が作られたのだ。この館に移って以来、彼は毎日、毎晩、この場所にこもって、怪しげな実験を繰り返していたのだろう……。
そして彼の死後、この館が放棄されると、その実験結果とともに、地下の部屋も忘れ去られたのだ。
一ノ宮は実験装置やその結果などには、興味はなかった。階段から続く血痕は、ところどころで左右にぶれながら、正面のドアに向かっている。一ノ宮はランプを前にかざして、作業台の間を進んでいった。そして、正面ドアのノブに手をかけ、ゆっくりとそれを開けた。
そこは、先ほどの半分くらいの広さの部屋だった。中には書き物机が一つとソファーが置かれ、そして残りの空間には、所狭しと本棚が並んでいる。本棚の中は本で埋め尽くされて、机の上には、書きかけのメモのようなものが雑然と積まれていた。先ほどの部屋が実験室なら、ここは図書室といったところだろうか。血痕は本棚の前も横切って、ソファーへと続いていた。
一ノ宮はソファーに近づき、上からのぞき込んだ。
そこには、十歳くらいの男の子の体が横たわっていた。その頭から額にかけて、既に乾いた血痕がこびりついている。一ノ宮が肩を揺すっても、なんの反応も示さなかった。男の子の皮膚は、既に冷たくなっていた。
やっぱりか、と一ノ宮は思った。
二階にあったベッドの陥没した床板、壊れた階段の扉、そして床の血痕……。この子は、館を探検していて、ベッドの上に乗ってしまった。そして、腐った床板を踏み抜いてしまい、階段の扉の上に落ちた。その衝撃で、同じく傷んでいた扉も壊して、そのさらに下の階段へと落下してしまったのだ。階段の傾斜は急だったから、もしかしたら、地下までほとんど一直線に落ちたのかもしれない。
それでも、少なくとも即死ではなかったのだろう。彼は頭から血を流しながらも、発見した隠し部屋に興奮して、そこの探検を始めた。そしてその途中で、倒れてしまったのだ。頭の打ち所が悪いと、当初はなんでもないようでも、その後で気分が悪くなり、ついには命を落としてしまうことがあると、一ノ宮は聞いたことがあった。確か、脳内でひどい出血があると、そうなるんだとか……この子の死因も、それかもしれない。
少なくとも、ゾンビは関係なさそうだった。ゾンビは生きた人間を見つけると、襲いかかって牙をむく。しかし、少年の死体はきれいなままで、食べられた跡などなかったからだ。
一ノ宮はため息をついた。この後のことを考えると、陰鬱な気分になったのだ。遺体を発見したことを報告しなければならないし、こうなった原因も説明が求められるだろう。もしかしたら遺族の前で、今の話をしなければならないかもしれない……一ノ宮には、そこから逃れる方法が思いつかなかった。この少年が、生き返ってくれれば別だが。
しかし、一度死んだものは、たとえ聖女であっても、蘇らせることはできないらしいのだ。
そういえば、「蘇生」なんてスキルを持っているやつがいたな……一ノ宮は無意識のうちに、かつてのクラスメートのことを思い出していた。あのスキルも、他人に対して使えていたら、王国から評価されていたかもしれないのに。あ、そういえば、あいつにはギルド経由で依頼をしたことになっていたんだっけ。その結果を、ギルドに報告するのを忘れていた。まあいいか。どちらにしろ、彼は任務の途中で脱落したという失敗の報告になって、お金が動くことはないんだから……。
そんな、いくぶんかの現実逃避の混じった思考を破ったのは、ギシリ、という物音だった。
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