第136話 人工の迷宮へ
光は、すぐに収まったようだった。
目を開けると、ぼくたちはさっきまでいたのとそっくりの通路に描かれた、転移陣の上に立っていた。ただ、魔法陣のそばに美波たちはおらず、通路全体がぼんやりとした光に覆われていた。迷宮ではおなじみの、発光石の光だ。一ノ宮が言った。
「どうやら、転移したみたいだな」
「なんだ、この匂い?」
上条が顔をしかめた。たしかに、何かが腐ったような匂いが、あたりに漂っている。
「武明、忘れたの? この迷宮の第一層は──」
「そうだった。ここは、アンデッドがいるんだったな」
柏木に言われて、上条はうなずいた。事前に聞いた説明によると、この層にいるのはゾンビやスケルトンなどの、いわゆるアンデッドと呼ばれる魔物だそうだ。ということは、この匂いは死体が腐った匂いだろうか?
そう思うと、なんだか気が滅入ってしまうけど、ここまできたら前へ行くしかない。
「打ち合わせのとおり、前衛は上条とぼく、後衛がユージ、その間に白河さんと柏木さんという隊形で進むよ。柏木さんは魔力の探知を、ユージは敵の探知と、できれば罠にも気をつけてくれ。この層には罠は無いそうだけれど、念のためね」
一ノ宮が指令を出し、ぼくたちは隊形を組んで進み始めた。
この第一層は、ぼくのイメージする「迷宮」そのものと言った構造だった。天井の低い、石作りの通路が続いて、入り組んだ迷路のようになっている。普通なら、かなりの時間を費やさなければ踏破できないだろう。
だけど過去の記録から、正解のルートはわかっているので、一日かければ二層への転移陣にたどりつくことは、十分に可能だそうだ。
少し進むと、何かがぶつかるような音が聞こえてきた。いや、実を言うともっと前から、何かがいることはわかってはいた。探知スキルのおかげでね。けど、迷路の中では、あまり先の魔物に注意しても意味が無い。今いる場所からではたどり着けない、別ルート上にいる魔物かもしれないからだ。
だけど残念ながら、今回の魔物は、ぼくらの進む道を近づいてくるらしかった。
「来るぞ」
一ノ宮が全員に止まるよう指示を出し、パーティーの注意が前方に向けられた。少し先の曲がり角にいくつかの影が現れ、それとともに、さっきからしている嫌な匂いが、急に強くなった。強烈な腐敗臭に、思わず眉をしかめる。周りを見ると、全員同じような顔つきになっていて、白河は服の袖で鼻をふさいでいた。
「ゾンビ……」
姿を表したのは、酔っ払ったように不安定な動きをする、五人の男だった。
いや、正確には「男だったもの」か。顔の皮膚は土色にただれて不自然にゆがみ、力なく前方に突き出た腕は一部で肉が落ちて、骨が見えていた。生きていた頃の体格とは変わってしまったのか、上半身に身につけた革鎧が、ずり落ちかけているものもいる。柏木が、思わず、といった調子で口に出した。
「ねえ、あの装備……」
「うん。たぶん、元は冒険者だったんだろうな。この迷宮は年に一度だけ開放され、一つのパーティーだけに挑戦が許されている。去年、この迷宮に挑んだ冒険者たちは、帰らなかったそうだ。挑戦したのは、実力のある冒険者パーティーだったらしいけどね」
「人工迷宮の場合、倒された魔物は、迷宮によって再度利用され、アンデッドや新たな魔物に作り替えられることがあると聞きます。自然迷宮と違い、外部から魔物を補充することができませんからね。倒されたのが冒険者だった場合も……こうして利用されて、ゾンビやスケルトンになってしまうのでしょう」
一ノ宮が答え、白河が補足した。こういう「新しい死体」の供給元は他にないだろうから、彼らの考えに間違いはないだろう。この一層で早々と落伍したのか、それとも深い層まで潜ってから地上に戻る途中で、力尽きたのか。
いずれにしろ、力のある冒険者であっても、下手をするとこんな姿になってしまう可能性がある、ということだ。
「優希、どうするよ? 動きは鈍そうだから、戦えば勝てるだろうけど」
「それも少し、かわいそうかな。白河さん、お願いできる?」
「わかりました」
白河はうなずいて、一歩前に進み出た。その動きに反応したのか、ゾンビの群れは少し早足になって、彼女へと向かってくる。白河は動じるそぶりもなく、静かな声で呪文の詠唱を始めた。その声と共に、彼女の前に小さな光の球が形作られ、その輝きは次第に強くなっていった。
光に照らされたゾンビたちが、おびえたように歩みを止めたけれど、その時にはもう、魔法の詠唱は終わっていた。
「《ホーリーレイ》」
光の球がはじけて、あたり一面が光で満たされた。ゾンビたちが悲鳴のような声を上げ、次々と灰になり、崩れ落ちていく。光が収まった時、そこに残っていたのは、ゾンビたちが身につけていた、革鎧などの装備だけだった。
「浄化の光のおかげで、穢れた肉体は消えてしまったのか。さすがは、聖女の光魔法だね……これで、冒険者たちの霊も、天に帰ってくれたかな」
「だけどよ、全部のアンデッドを、白河に任せるわけにはいかないぜ」
上条の言葉に、一ノ宮もうなずいて、
「わかってる。今のはなんていうか、冒険者の先輩に対する、敬意みたいなものだよ。これから先は、物理攻撃が効くものは剣で倒していく。柏木さんは、アンデッドに有効な火魔法で戦ってくれ」
「了解」
うなずく柏木に、ぼくは付け加えて言った。
「でも、できればゾンビは、魔法で倒してもらいたいな。下手に切ったりしたら、腐った血や肉が、飛び散ってきそうだから」
「ちょっと……そういうの、やめてよね」
「いや、真面目な話だよ。だって、これから一週間くらいは、迷宮に潜ったままなんだよ? こういう汚れや匂いって、一度着いたら簡単には落ちないだろうし。あ、二、三日たてば鼻が慣れて、気にならなくなるかもだけど」
柏木は嫌そうに顔をしかめたけど、何も言い返してこなかった。
幸い、それ以降はゾンビの群れに出くわすことはなかった。代わりに出てきたのは、大量のスケルトンだ。剣や盾を持った骸骨が群れをなして襲ってくるんだけれど、なにしろこちらの前衛にいるのは、勇者と重騎士。多少の数の違いなど、問題にならない。当たるを幸いといった感じで、ばたばたと倒していった。
少しだけ面倒なのは、スケルトンは普通に切っただけでは、死なないことだ。肋骨の裏あたりにある魔石を失うまでは、完全には活動を停止しない。そこでぼくがやっていたのが、倒れたスケルトンの魔石を探して、それを壊す係だった。
いや、これも楽な仕事じゃないんだよ。あいつらには痛覚みたいなものがないらしくて、手や足の骨が粉砕されても残った部分だけで、こっちを攻撃しようとしてくるんだから。
「はい、おしまい」
ぼくは、最後に倒れた一体の胸のあたりを狙って、剣先で軽く突きを入れた。カリッ、と小さな音が響いて、それまでじたばたしていたスケルトンが動かなくなる。こいつらの魔石はそれほど丈夫なものではなく、ある程度の衝撃を加えれば、わりと簡単に壊れてしまうのだ。
今回、出てきたスケルトンは十体。一ノ宮たちの戦いは危なげなかったけれど、数が多いと、後の処理がちょっと面倒くさいんだよな。
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