第203話 特設のステージ

 イカルデアの中央広場、その外周を取り囲んで並ぶ建物の一つに、アルティナ聖教教会のカルバート総本部がある。その荘厳な建物は一つの鐘楼と二つの尖塔を伴っており、鐘楼が鳴らす鐘の音は、時計を持たない王都の民に時を知らせる役割を担っていた。

 その、背の高い鐘楼の屋根の上に、一人の女性が腰を下ろしていた。動きやすそうな革鎧で身を包んだ、いかにも女性冒険者といった格好をしている。

 魔王国のスパイ、メイベルだった。


 真っ昼間から、これほどに目立つ建物の屋根に姿を現す。隠密行動を旨とするスパイとして、通常なら考えられない行動だった。だが、彼女のもつ「隠密」スキルのレベルは高い。普通に見ただけでは彼女を認識することは不可能と言っていいし、かなりのレベルの探知スキルを持っていても、捕捉することは困難だった。その上、今はほとんどの人の注意は、中央広場に特別に設けられたステージ──処刑台の方に向けられていた。実際には、王都の誰一人として、彼女の姿を認識していたものはいなかった。

 だが、たとえ多少のリスクがあったとしても、メイベルはこの行動を選択しただろう。これから起きる出来事の結末を、自分自身の目でしっかりと見届けたい、そう考えていたからだ。


 その時、中央広場に集まった群衆の中から、大きなどよめきが上がった。死刑囚の檻を乗せた馬車が、広場に入ってきたのだ。その馬車に押し寄せようとする群衆と、彼らを押しとどめようとする兵士たち。メイベルはその様子を見て、しばらくの間行動を共にした、あの若者のことを思い返していた。


 『偽勇者』ユージ・マッケンジー。


 ユージはヒト族ではなく、他の世界から召喚されたマレビトだった。そのためもあってか、彼はこの世界のヒト族とは違って、魔族に対する嫌悪感は持っていなかった。むしろ、自分を勝手に召喚したカルバート王国、ひいてはヒト族のほうを嫌っているようにも思えた。だからこそ、王城の魔法障壁破壊などという依頼にも、協力してくれたのだろう。王国から追われているという状況があったとは言え、普通の勇者であれば考えられないことだった。

 あの勇者であれば、魔族や、もしかしたら魔王本人とも、良い関係を持つことができるかもしれない。疑い深さを信条とするスパイのメイベルでさえ、そう思えるほどだった。だからこそ、彼女に与えられた指令の一つである、「勇者暗殺」の実行を保留にしていたのである。


 だが、ユージの持っていたバッグを見た瞬間、メイベルの考えは変わった。

 彼が革鎧の下に身につけていた、ボディバッグの形をしたマジックバッグ。彼女は、そのバッグに見覚えがあった。しかも、彼はその中から「自爆玉」を取り出して見せたのだ。自爆玉は、相手への攻撃や施設の破壊などにも使われるが、本来の用途は、名前の通り自決するための道具だ。スパイがいざという時に、自分の一切の痕跡を消すと共に、相手にダメージを与えるために使用する、最後の道具。

 そんなものが入っていたのだから、あのバッグは間違いなく、あの少女の持ち物だったのだろう。

 広場の中を、円を描いてをゆっくりと進んでいく馬車を眺めながら、メイベルの思いは一人の少女のことに流れていった。


 かつてユージにも話したとおり、スパイ同士は、基本的には横のつながりを持たない。それでも、何らかのきっかけで、スパイとしての活動に気づいてしまうしまうことはあった。下女勤めをしていた少女は、その例外の一つだった。とある任務で、メイベルが魔法省に忍び込もうとしていた時、魔法省の建物の物陰に、全身黒ずくめのその少女が潜んでいたのだ。

 隠密スキルのレベルはメイベルの方が上らしく、少女はメイベルには気づいていなかった。背後から様子をうかがっていると、少女は衣装の下からバッグを出し、その中から「自爆玉」を取り出していた。バッグを元の位置に戻したあと、自爆玉だけはポケットに忍ばせる。おそらく、いざという時に自爆玉をすぐ使えるように、という意図だろうが、バッグのふくらみと自爆玉の大きさを比べると、それはどうやらマジックバッグらしく思われた。少女はバッグを衣装の下に戻すと、改めて周囲をうかがった後で建物の窓を開け、その中へと入っていった。


 スパイだからと言って、必ずしもマジックバッグを与えられれるわけではない。マジックバッグは貴重品だし、もしも所持しているのを見つかった場合、言い逃れをするのが難しくなる。メイベルが今回、マジックバッグを与えられたのは、爆破処理に使う大量の魔道具を受け取るためで、いわば例外的な処置だった。では、少女が持っていたバッグはなんのためだろう。近々、大きな作戦でもあるのだろうか? メイベルは多少の興味をそそられ、任務が終わった後、それとなく少女のことを調べてみた。

 その結果わかったのは、マジックバッグはスパイの任務とは関係がなさそうだ、と言うことだった。大きなものが持ち出された情報も、逆に持ち込まれた形跡もない。少女が持っていたバッグは、スパイとは別の由来のものなのだろう。例えば、彼女の生家が大きな商売を営んでいた商人だった、とか。そんな人間がスパイになることはあまりないから、その家に大きな事件でもあったのかもしれない。


 そしてもう一つわかったのは、少女の髪が、もともとは黒髪であるらしいことだ。毛染め(こちらはバッグと違い、スパイ用の道具として支給された品と思われる)で毛の色を変えているのは、魔族との関わりを少しでも疑われないようにするためだろう。黒い髪も、魔族の特徴の一つだからだ。

 少女は、自分と同じ境遇なのかもしれない、とメイベルは思った。メイベルには、祖先に魔族の血が流れているらしく、彼女の肌が少し浅黒いのはそのせいかもしれないね、と母親から言われたことがあったのだ。王国と魔王国の国境近くに住む者であれば、そこまで珍しいことではない。もしかしたら、少女と自分は、出身も近いのかもしれなかった。


 そのことがわかって以来、メイベルはその少女を見守るようになった。

 直接に接触することこそなかったものの、少女のスパイとしての活動を、メイベルは陰ながら助けていた。どうして自分は、こんなにもあの少女のことが気に掛かるのだろう、と自分でも不思議に思うこともあった。おそらくは、自分と境遇や出身が似ている彼女に、同情を寄せているのだろう。その程度に考えていた。その判断は、少女の死を知り、自分でも驚くほどの衝撃を受けたあとでも、変わらなかった。

 実際には、メイベルはその少女に、「子供」──この仕事をしている限り望むことは難しいだろう、彼女自身の子供の姿を投影していたのだが、彼女がそれを自覚することはなかった。


 メイベルは、ウエストポーチのような形のマジックバッグを開け、中から別のバッグをとりだした。あの時、彼女がユージから取り返した、マジックバッグだ。

 少女を殺したのは、ユージではないかもしれない。メイベルはそうも判断していた。だが、このバッグを持っていたのだから、殺害の関係者であることも、間違いないと思われた。この事実だけでも、彼女がユージの殺害を決断するには、十分な材料だった。

 ここまで考えて、メイベルはふと視線をあげて、王都を囲む高い城壁を見つめた。王都の警備は、先日来とられていた厳戒態勢が解かれて、平常に戻っている。どうやら、魔法障壁の消失は気づかれていないらしい。メイベルの顔に、かすかな笑みが浮かんだ。


 ユージを王国に捕縛させたのは、復讐だけが理由ではない。第一の目的は、ユージの逃亡によって敷かれていた厳戒態勢を、解除させることだった。今回の作戦の邪魔になりそうな要素を、できるだけ取り除いておくために。

 ユージが死ねば、新しい勇者が生まれる。王国はその勇者を、この公開処刑によって貯めた魔力を使って召喚するつもりであることも、メイベルは推察していた。だがそれは、魔王国にとってさしたる問題にはならないだろう。処刑から召喚までは、ある程度の時間がおかれるはずだ。そして、今日この日、おそらくは召喚の儀式がなされるよりも前に、魔王軍の急襲部隊が王都を襲撃する手はずになっているからだ。

 もちろん、敵に気づかれずにここまで接近できたほどだから、兵の数は多くはない。それでも、間違いなく王都は陥落する、とメイベルは確信していた。


 なぜなら、その部隊の中には、魔王その人が含まれているのだから。


 ここ数日、魔族の軍勢が足踏みを続けていたのは、窮地に立たされた王国軍が奮戦したからではない。単純に、魔族軍最大の戦力である魔王が抜けていたからだった。確かに、王その人が純然たる奇襲部隊の先頭に立つなど、普通であれば考えられない作戦である。それでも、問題など起きないだろう。なにしろその王とは、手にした魔剣で勇者イチノミヤを赤子の手をひねるように倒した、魔王その人なのだ。その上、この都は魔法障壁という、古来から伝わる防御手段を失っている。

 メイベルの眼下に広がる、にぎやかな王都の光景──その運命は、もはや風前の灯だった。


 下からひときわ大きな声が沸き、メイベルは視線を広場に戻した。


 荷台を引いた馬車が処刑台に到着し、荷台の上の檻が、今にも開かれようとしていた。


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