第97話 双方、円を描いて

<あいつが、近くまで来たよ>


 フロルの声に押されて、ぼくはいつの間にか止めていた歩みを再開した。

 といっても、少し歩けば、道はそこで終わりだ。道の果ては十メートル四方くらいの広場になっていて、滝を見るのにうってつけの場所だからか、ある程度の整地がされ、簡単な柵も設けられている。ちょっとした展望台になっていた。日本なら、駐車場と売店がありそうな場所だ。

 ただ、広場の中には、肩の高さくらいの大きさの岩が一つ残されているけど、これは人力だと動かすのがたいへんだから、放っておかれたのかな。日本だったら、重機でどけてしまうだろう。こんな細かいところにも、日本とこの世界との違いを感じる。

 柵の前まで進むと、あたりの地面は滝の真下にいるかのように濡れそぼっている。位置的には、滝の下ではなく対面にいるんだけど、水の落ちる距離が長いために、かなりの量の水がしぶきとなり霧となって、ここまで届いているんだ。

 柵から乗り出して下をのぞき込むと、滝壺の水がすぐ真下まで届いていた。その水面は、数え切れないほどの渦で埋め尽くされていて、それは際限なく湧き出ては消えて続けている。落ちた水の勢いで、複雑な流れができているんだろう。滝壺からあふれた水は川になって流れ出ているけど、その大きさがほとんど小川くらいしかないのが、ちょっと不思議だった。

 ここまでくると、滝に落ちる水の音は、耳をふさぐほどの轟音になっていた。そして、広場の周囲には、ぼくとあいつ以外、誰もいない。

 人を襲うには、まさにうってつけの場所だった。


 フロルの念話を受けてから、ぼくは探知スキルを精密モードに切り替えていた。尾行者がいるのはぼくの真後ろ、三十メートルほどの位置。ちょうど、大岩の陰になるような位置取りで、ぼくに向かってゆっくりと近づいてきていた。

 残りは二十五メートル。ぼくは休憩するような素振りで背中のバッグを下ろし、それと同時に、マジックバッグを革鎧の下から引っ張り出した。その口を開け、手を突っ込む。残り二十メートル。尾行者は小走りに大岩までたどりつくと、岩に背中を張り付かせた。ぼくは滝を見たまま、気づかないふりを続ける。十五メートル。尾行者はさっきと同じ格好で、こちらをうかがっている。飛び出すタイミングを計っているかのようだった。

 その数瞬後、尾行者が一歩動き出して、岩の陰から飛び出てきた。その瞬間、ぼくは横っ飛びに飛びながら、バッグからとりだしておいたクナイを敵に投げつけた。


「そこだ!」

「え?」


 スキルを乗せての投擲を、尾行者はかろうじてよけた。が、その反応と声とで、相手の隠密スキルが破れたんだろう。ぼくの肉眼でも、相手の姿をはっきりと捉えることができた。

 思ったよりも小柄で、身につけているのは動きやすそうな革鎧という、いかにもそのへんにいる冒険者といった格好をしている。まあ、こいつが暗殺者だとしても、昼間っから黒ずくめの格好をするわけもないか。ただ兜だけは、頭からアゴまでガードするしっかりしたものを装着していて、どんな顔をしているのかはよくわからなかった。

 顔なんてどうでもいい。ぼくは間髪を入れずに、体勢を崩した相手に駆け寄って、小剣を振り下ろした。


 そう、街道を外れてこんな場所に来たのは、相手を誘い込むためだったんだ。

 昨日の森みたいに周りに隠れるところがあったり、変化に富んだ地形だったりすると、こちらとしてはちょっとやりづらい。相手がプロの暗殺者なら、そういうものを利用するのが、きっと上手だろうから。逆に、ここみたいに遮蔽物のない、狭くて平坦な場所なら、こちらに有利な地形になる。

 偽装スキルで隠してあるぼくの本当のステータスは、それなりに高いんだから。真っ正面からの斬り合いになれば、なんとかなりそうな気がする。

 ちなみに、この滝にはすでに一度、来たことがあった。街に着いた初日に来ました。なにしろぼくは、観光気分で異世界を旅しているんだからね。こういう場所は見逃せないでしょう。だからここに、岩が一つあるだけの、遮蔽物の少ない狭い場所があるということも知っていた。相手が大岩の陰になっていたのも、偶然ではなかった。まだ距離があるのに、いきなり刃物を投げつけられるのは嫌だからね。相手から見てぼくが岩の陰になるよう、ぼくの方で位置を微調整していたんだ。


 ぼくの剣撃に、向こうも小剣を合わせて、防いできた。つばぜり合いになったけれど、やっぱりパワーはぼくが上らしい。ぐいと力を入れると、敵はあっけなく吹っ飛んでいった。体勢の崩れた相手に向けて、今度は突き技を放つ。なんとかかわす暗殺者。が、ぼくは突いた剣をすぐに横なぎにして、相手の左の胴を切った。


「くっ!」


 暗殺者は大きく後ずさる。革鎧のせいで、大きな傷にはならなかったのかな。それでも、鎧から血が滴っているところを見ると、それなりのダメージにはなったらしい。

 これを好機と、ぼくは再び距離を詰めて、剣の連撃を放った。あまり使ったことなかったけど、そういえば「連斬」というスキルも持っていたっけ。相手は防戦一方になり、一つ、また一つと、小さな傷が増えていく。ぼくのほうには、傷一つ無い。ふははは、圧倒的じゃないか、我が軍は!


「《ウィンドカッター》!」

「うわっ!」


 などと思っていたら、いきなり胸のあたりに衝撃を感じて、ぼくはいったん後ろに下がった。胸に手をやると、革鎧が浅く切れている。くそ、風魔法か。魔法のレベルが低かったのか、威力はそれほどでもないみたいだけど、風魔法は目で見えづらいのが厄介だ。

 そういえば、さっき口にした名文句は、言ったやつがその直後にやられたんだっけ? 見てもいないアニメのセリフなんて、使うんじゃなかったかな。

 体勢を立て直した暗殺者は、今度はナイフを投げつけてきた。ぼくは更に後退しながら、大きく身をかわす。いくらパワーがあっても、剣でナイフを払うなんて器用な真似は、ぼくにはできない。図に乗って、敵は連続して投擲をしてきたので、それを必死でよけながら、ぼくもクナイを投げ返した。

 双方、大きな円を描くような動きで短剣を投げつつ、相手の投擲をかわす。そんな攻防が続いた。すると敵は、さっきの風魔法をもう一度使ってきた。


「《ウィンドカッター》!」

「《ファイアーウォール》!」


 それに応じて、ぼくも火魔法を放つ。火の反応で風の軌道を読み、それをかわすためだ。同時に、炎でぼくの姿が見えなくなった瞬間に、こちらからはクナイを投擲する。こっちは、探知スキルで向こうの位置がわかるからね。が、敵もさるもの、それを予測していたかのように体を側転させて、あっさりとよけてしまった。

 うーん。これ、早く片付けないと、まずいかも。



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