第227話 もう一つの思い

「百、か」

 一ノ宮が、少し苦い顔をした。

「うん。一つ一つの反応の強さは、たいしたことはないけどね」

「こちらに向かっているのか?」

「たぶん。こっちに近づいて来るみたいだ」

 ぼくの答に、一ノ宮は腕を組んで、

「ちょっと、数が多いな。戦って戦えない数ではないけど、後衛の守りが心配だ。どうしても、討ち漏らしは出るだろうからね。隘路でもあれば、そこで迎え撃ちたいんだけど」

「ここはだだっ広い平原というか、荒野しかないからなあ」

「うーん」

 一ノ宮は、ちらりと柏木の方を見た。この状況は、柏木に広範囲の攻撃魔法を打ってもらうのが、一番効果的だ。だけど柏木の体調は、こいつらの目にも相当悪く映っているんだろう。しばらく考えた末、一ノ宮が口を開こうとした時、

「おれが行く」

 上条が、一ノ宮の前に進み出た。

「上条?」

「おれが、突っ込んでいく。それで、そいつらを蹴散らしてくる」

「一人でか?」

「ああ。なに、どんな大軍であろうと、切って切って切りまくってやれば、そのうちに逃げ出すもんさ。それまでの間、みんなはここで、郁香を守っていてくれ」

「逃げ出す、か」

 一ノ宮がうなった。確かに、それも一つの手ではある。実際、カルバート王国軍が現在の魔王を大軍で取り囲んだ時は、先頭の数十人が魔王によって倒されると、軍全体が逃げ腰になってしまって、敗走したらしい。一ノ宮は、もう一度だけ柏木に視線をやった後で、うんとうなずいた。

「わかった、それでやってみよう。雑兵が相手なら、おまえが簡単に負けるとは思えないからね。だけど、まずそうだなと思ったら、すぐに引き返せよ。それから、深追いもするな。相手を退かせるのが目的で、全滅させる必要はないんだから」

「ああ、わかってる。できるだけ派手に、こいつをぶん回してきてやるよ」

 上条は大剣を抜いて、にっかりと笑った。


 やがて、今回の敵が姿を見せた。その数、百あまり。どうやら全員が、兵隊の格好をしているようだ。一ノ宮が少し目を細めて、

「どうやら、魔族軍のようだね」

「ええ。でも、おかしいわね」

「何がだい」

「確かに魔族で、兵隊みたいだけど、私たちが戦ってきた軍とは、装備が少し違っているみたい」

「それは……たぶん、配備された部隊によるんじゃないか? 部隊や場所が変われば、配給される装備も違ってくるんだろう」

「うん。そうかもしれないけど……」

「ま、そんな細かいことは、どうでもいいじゃねえか」

 一ノ宮と白河が話す中、上条は大剣を右肩に担ぎ上げると、

「とりあえず、ちっとばかり暴れてくるぜ!」

と、一人で前に進み出ていった。最初はゆっくりとした歩調だったのが、次第に歩みを速めていき、ついには駆け足になって、敵の軍勢に突っ込んでいった。

「うぉおおおー!」

 怒号と共に、手にした大剣を力任せに右から左へ横殴りにする。と、隊列を組んでいた前列の兵士五人の体がふっとび、周りの兵を巻き添えにして倒れ込んだ。そのあたりから、大量の黒い煙が舞い上がってくる。おそらく、数名の兵が死んだんだろう。上条はそんなものには目もくれず、返す刀をもう一度横に払って近づいてきた兵士の体を上下に分けると、さらに敵兵の中に踏み込んで、斜め上から袈裟切りにした。彼の目の前にいた三人の体が両断され、その場で煙となって消えた。

「死にてえやつは、かかってこい!」

 上条は叫びながら、休むことなく、剣を振るい続けた。彼の大剣が上下、左右と振るわれるたびに、敵兵は貫かれ、なぎ倒され、真っ二つにされた。まさしく修羅のような戦いぶりだった。


 だけど、

「まずいな」

「ええ。まずいですね」

 その姿を見ながら、一ノ宮と白河は、表情を険しくしていた。

 確かに、上条の攻撃は敵を圧倒していた。だけど、どれほどの数が倒されても、相手は引こうとしなかった。味方の死を目の当たりにしながらも、誰一人欠けることなく、後から後から、詰め寄ってくる。今や上条は一人、敵陣に突っ込む形になって、周囲を完全に取り囲まれてしまっていた。彼の剣は依然として振るわれ続け、そのたびに敵の兵は倒されてはいるんだけれど、その動きは、次第に鈍くなっているのが見て取れる。

 そのうちに、兵士たちの剣が一撃、二撃と、上条の分厚い鎧を叩く音が聞こえるようになってきた。なんだか、今にも周りからいっせいに詰め寄られて、串刺しにされそうな気がしてくる。とうとう、一ノ宮が腰の剣を抜いた。

「しかたない、ぼくも出よう」

「私も、少し近づいてから攻撃魔法を放ってきます。ユージ君たちは、ここで郁香を頼みます」

 一ノ宮に続いて、白河も前へ出ようとする。ところがそこに、大きな声が響いてきた。

「来るな!」

 上条だった。彼は戦いを続けながら、こちらも見ることもなく、一ノ宮たちが突撃しようとするのを察したらしい。

「なに言ってるんだ、上条。今から助けに行くぞ!」

「いや、このままでいい! 今は、そっちに攻撃が行っていないだろ。いい感じで、おれに敵意が向かってきてる。だから、このままやらせてくれ!」

「無理はするなと言っただろう!」

「こんなのは、無理なんて言わない。この程度の敵から守りたいものを守れないで、何が男だ!」

 こういう「男なら」的な発言って、元の世界だとコンプラで批判されそうな気がする。でも、ぼくの横で地面に腰を下ろしていた柏木は、なんだか嬉しそうだった。そうか、今の「守る」の相手って、ぼくたち全員じゃなくて、柏木のことだったのか。少なくとも、上条と柏木の中では。

 ああ、そうだったのか。なんとなく、わかってしまった。上条の最後の思いというのは、「元の世界に戻りたい」じゃない。いや、もちろんそれもあったんだろうけど、もう一つ別の、強い思いもあった。それが、「柏木を守りたい」だったんだ。生きている時には不器用にしか接することのできなかった相手、彼が守り切ることのできなかった相手を、今度こそ守りたいという……。


 しかたないなあ。ぼくは白河に近づき、肩をぽんと叩いた。そして黙ってぼくとアネットの顔を指さした後、同じ指を敵の集団の方へ向けた。白河は少し首をかしげたけど、すぐにうなずいて、上条に声をかけた。

「わかったわ。この場は、上条君に任せます。私と一ノ宮君は郁香を守るから、安心して」

「白河さん?!」と驚く一ノ宮。

「その代わり、絶対に死んじゃダメだからね。郁香のためにも、それは約束して。男として、立派に戦い抜いて、そして勝ち残ってください」

「おうともよ! やってやるぜ!」

 上条は嬉しそうに叫びながら、敵兵に切りかかっていく。その剣の勢いは、心なしか、さっきよりも戻っているように思えた。


 それからも、戦いは続いた。

 当初はその力とスピードで無双状態だった上条の剣は、今や見る影もなくなっていた。触れるやいなや敵を一刀両断し、煙へ戻していたのに、すっかりスピードを失い、フォームもガタガタになっている。つばぜり合いになれば一瞬で相手を弾き飛ばして怪力を見せつけていたのに、今では逆に、押し込まれるのもしばしばだ。身につけている黒く分厚い甲冑は、そこかしこに敵の剣を受けて傷だらけになり、凸凹が浮かんできていた。

 だけど、ここまでくると、敵の方もかなり浮き足立っているようだった。当初は一糸乱れぬ統率を見せ、仲間がどれだけ倒されても、何の躊躇もなく上条に向かってきた魔族の兵士たちだったけど、今は一人倒されるごとに動きが止まり、時にはわずかに退くのが見えた。それでも、一瞬の間をおいて、また上条に立ち向かっていく。そうして戦いが再開されると、先ほどまでと同じ光景が繰り返された。


 戦場の真ん中で、上条は立ち続けた。そして敵の数は、次第に減っていった。


 幾重にも上条を取り囲んでいた敵兵の層は次第に薄くなり、やがて十人ほどが、彼の周りに残るだけとなった。数少なくなった敵兵を、上条は一人ずつ正面に据えて、斬撃を放っていく。一人、また一人。上条が剣を振るうごとに煙が立ちのぼり、相手の姿が消えていった。そしてついに、敵は一人を残すのみとなった。

 最後に残ったのは、小柄な男だった。なかなか、上条に向かっていかない。どうやら、足が震えているようだ。ちらちらと左右を見ては、上条に視線を戻すことを繰り返しているが、どこを向いても、彼と上条以外に残っているものなどいないのだ。男は泣き笑いのような表情を浮かべると、剣を振り上げて、上条に向かって突進した。

 上条が手にした大剣を、左右にぶんと振った。

 男の胴体が真っ二つに裂けて、転がった。そして小さな黒い煙が、地面から立ち上った。


 目の前の荒野からは、上条以外のすべてのものの姿が、消え失せていた。



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