第94話 迷宮の異変
フロルと出会った後、ぼくはカルバート王国北東部の街、ストレアに到着した。ここは「ストレアの迷宮」に近いこともあって、迷宮の産物で潤う迷宮都市的な性格の街だそうだ。実際、メインストリートに建つ冒険者ギルドの建物は、街の規模に比べるとかなり大きなものだった。
ところが、ドアから中に入ってみると、その立派な外観に反して、中は閑散としていた。ボードの広さに比べて数が少ない依頼票から、ぼくは適当なものを見繕って、受付に提出した。
「これ、お願いします」
「は、はい」
あまりに暇だったためか、少しぼーっとしていた様子の受付嬢は、あわてて営業スマイルを浮かべた。
「なんだか人が少ないけど、何かあったんですか」
「え? ああ、あなたは最近、この街に来られたんですね」
依頼受け付けの手続きをしてもらっている間に、彼女はその理由を説明してくれた。
◇
「ねえユージ、ユージは冒険者なのよね」
「そうだよ」
「ここは近くに迷宮があるのに、ユージはどうしてあそこに行かないの?」
ストレア近くの山を歩いていると、フロルがこんなことを聞いてきた。彼女はぼくの左肩に座って、小さな腕で左の首筋につかまっている。実体化した姿のフロルと一緒に歩くのは、久しぶりだった。
精霊術師が精霊と契約するのは珍しいことではないらしいけど、精霊術師の数自体が少ないうえに、契約持ちの精霊術師は、精霊を見せびらかせたりはしないのが普通だ。自分の戦力は、秘密にしておきたいものだからね。そのため、契約した精霊が人前に現れることは極端に少ないそうで、もしもフロルの姿が見られたりしたら、ちょっとした騒ぎになりそうだった。
ぼくとしては、そういう事態は避けたかったので、他人が近くにいる時には実体化しないでくれ、とフロルにお願いしていたんだ。
ちなみに、フロルと契約してから一週間ほど経っているけど、まだ精霊魔法は使わせてもらっていない。彼女によると「まだお休み中なの。お休みが終わったら、すっごいやつを、どーんと使わせてあげるの!」だそうだけど、ぼくはもう、あんまり期待してはいなかった。
「ねえ、どうして? 冒険者って、ああいうところが好きなんでしょ?」
「普通はそうなんだけどね。あの迷宮、今はダメなんだよ」
「迷宮が、ダメ?」
「うん。三ヶ月くらい前に、迷宮の
以前にも説明したけれど、「迷宮の主」といっても、特別な魔物ではない。そいつを倒したら迷宮が消滅するとか、ダンジョンコアが出てくるとか、そういったものではないんだ。単に迷宮で一番強い魔物、という意味に過ぎない。だから普通なら、前の主が倒されて新しい主になったとしても、迷宮全体に大きな影響を与えることはない。
ただ、今回は少し、話が違った。新しい主となったクモの魔物というのは、一度に大量の卵を産む種類のものだった。そうして生まれた子供の中にも、かなり強い個体がいたらしい。そのため、主とその子供によって他の魔物が駆逐されてしまい、今ではストレアの迷宮は、ほとんど「クモの迷宮」になってしまったらしい。
「迷宮の主は、おそらく変異種だろうとみられているようだね。変異種の子供が変異種、というわけではないんだけど、子供が強かったのはそのせいかもしれない」
「でも、クモだって魔物には変わりないでしょ? クモの迷宮だっていいじゃない」
「いや、クモってのはね。冒険者にとって、あんまりおいしい魔物じゃないんだ」
「え~。ユージ、あれを食べるの~」
「いやそういう意味じゃなくてね」
嫌そうな顔をするフロルに、ぼくは笑って首を振った。どうでもいい話だけど、精霊から見ても、クモはおいしそうな魔物ではないんだな。ちなみにフロルは、人間の食べ物にも興味があるらしくて、街に入ると決まって、道沿いの屋台をのぞきこんでいる。そうして何か買ってあげるまで、動こうとしない。今のところの彼女の一番のお気に入りは、ソードボアの肉を使った串焼きだった。
「クモは、倒してもたいしたお金にならないんだ。肉や外殻には買い手がつかないし、牙や爪も、体の大きさのわりには小さくて、高くは売れない。魔物だから魔石はあるんだけど、これもそれほど大きなものじゃない。クモは、毒や粘つく糸を使って、場合によっては集団で襲ってくる、厄介な相手だ。なのに見返りが少ないから、冒険者には人気がないんだよ」
「そっかー。だからさっきのギルドも、あんまり人がいなかったんだね」
フロルはふんふんとうなずいた。そう。迷宮のうまみがなくなったため、冒険者が近寄らなくなっているんだ。ストレアは迷宮で成り立っているようなところだから、これは街にとってはかなりの大問題だ。
それでも当初は、街やギルドは事態を静観していた。クモが迷宮の主になることは珍しいらしくて、そのうちに他の魔物に倒されるんじゃないかと思われていたらしい。だけど、一向に代替わりになりそうな気配がなく、むしろ迷宮の中のクモは増え続けている。そのため今では、迷宮の主の討伐隊を出すことが検討されているんだとか。
「今すぐって話ではないみたいだけどね。領主とギルド、どっちがどのくらいお金を出すかで、もめている最中で」
「じゃあ、ユージは今日、何をするの?」
「いつもの常設依頼。これだけは、どこの街でもあるし、それほど危険ではないから」
ストレアのギルドで常設依頼になっているのは、ホーンラビットやソードボアといった、おなじみの魔物だ。こいつらなら、戦ってもそれほどの危険はないし、探知のスキルがあれば、見つけるのも簡単だ。
その代わりそんなには儲からないけど、今のぼくは、お金にはそれほどお困っていない。マジックバッグに入っていた謎の大金には手を付けていないし、山賊討伐その他の賞金も、まだ残っている。とりあえずは、観光気分で異世界の旅を楽しみつつ、リーネや彼女の妹たちの消息を探るのを、当面の目的にしていた。
だからこの街に来たのも、べつに迷宮に挑戦しようと考えていたわけではない。冒険者が多いこの街なら、リーネたちの噂が聞けるかもしれないな、と思ったからだった。その点では、当てが外れてしまったけど。
<ふーん、そーなんだ。じゃあ、あの人は、関係ないのね>
またうなずいたフロルだったけど、話の後半で、変なことを付け足した。
「あの人?」
<あれ、気がついてないの? ほら、ちょっと離れた後ろの方を、ずーっと付いてくる人>
「え?」
ぼくは歩きながら、探知スキルの反応を再確認した。
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