第232話 幻の光魔法
「《ライトアロー》!」
発せられたのは、白河の光魔法だった。しかも、以前に見たものよりも、光の大きさが数段大きい。おそらく、たっぷりと魔力をこめたものなんだろう。お、もしかしたら、これで決まりか?
だけど、輝きが収まって元の景色に戻った時、魔王はそこに立ったままだった。
「貴様、聖女か? ……だとしても、何だ? 今の魔法は」
魔王は、いぶかしげな声を上げた。ダメージをこらえて立っているわけではなくて、魔法によるダメージ自体、なかったような感じだった。それを見た白河は、愕然とした表情を浮かべた。
おかしい。光魔法は、大きな魔力を持つ相手には、特に有効だったはずだ。さっきの攻撃を見てわかるとおり、魔王には非常に多くの魔力量を持っているのは間違いない。死者になることで、魔王の性質が変わってしまったんだろうか。
いや、そうじゃない。変わったのは、白河の方だ。
光の攻撃魔法は、アンデッドにも特効があった。もしかしたらそれは、死者に対しても同じなのかもしれない。だとしたら、そんな魔法を、死者である白河は発することができないだろう。そんなことをしたら、それを生成する段階で、自分自身が傷ついてしまうんだから。
死者はアンデッドとはかなり違うように見えるけど、どちらも一旦は死んだ者だ。それに、死者の国を
しかし、まいったな。一ノ宮と上条の剣技は、魔王のそれには届いていないらしい。ぼくの隠密スキル、そして理由はともかくとして白河の光魔法も、魔王には効かない。白河は他の魔法属性も持っていたけど、光魔法ほどレベルは高くなかったし、攻撃力の大きな火魔法のスキルは持っていなかったはず。大きな攻撃魔法を持つ柏木はというと、今も地面に横になったままだ。
魔王が、その柏木をちらりと見た。柏木の横にはアネットがついているけど、彼女のスキルレベルからすると、有効な攻撃手段などないだろう。それどころか、ひとたび攻撃されたら、ひとたまりもなくやられてしまうかもしれない。一瞬、ひやりとしたけれど、魔王はそんな彼女たちには興味を示さず、既に立ち上がっていた一ノ宮に視線を戻した。強者の余裕か、あるいは弱者をいたぶることはしないという、一種の矜持なんだろうか。一ノ宮もうなずいて、再び剣を構えた。
だけど今回は、一ノ宮はすぐには仕掛けなかった。その代わりに、低い声で呪文を唱えだしたのが聞こえた。と同時に、彼の持つ剣の刀身が、うっすらと赤い光を放つ。久しぶりに見る、「魔法剣」だ。剣に魔法をまとわせるこの技は、かつてビクトル騎士団長が見せてくれたし、一ノ宮自身も一度、迷宮でレイスを相手に使っていた。赤い光と言うことは、付与したのは火魔法かな。魔王は少し首をかしげ気味にして、一ノ宮の行動を観察している。やがて、呪文の詠唱を終えた一ノ宮が、剣を構え直した。
そうして再び、魔王と一ノ宮の剣戟が始まった。
だけど、剣の打ち合いでは、魔王の優勢は変わっていないように見えた。一ノ宮はさっきと同様、初手から攻め立てているけれど、魔王は余裕を持ってしのいでいて、たまに反撃を受ける一ノ宮のほうが、かえって危なっかしいように見えた。
それはそうだよ。魔法剣は、当たった時のダメージは大きくなるかもしれないけど、剣のさばきを素早くしてくれるわけじゃない。このままでは、さっきの二の舞じゃないか。魔王が首をかしげていたのも、わからないではないな……などと思っていたら、突然、魔王の上半身から炎が吹き上がった。
「む!? これはいったい……」
魔王の体が後ろにのけぞる。気がつくと、一ノ宮の剣からは、赤い光が消えていた。そうか。一ノ宮の魔法剣は、剣が帯びた魔法を打ち出すことができるんだっけ。つばぜり合いをしている瞬間にそれを行って、火魔法を魔王に直撃させたんだな。当たったのは鎧に守られた箇所とは言え、初めて与えられた、ダメージらしいダメージだ。魔王の態勢が崩れたところを、一ノ宮が追撃する。しかし敵もさるもの、魔王は力を込めた一撃で一ノ宮の剣を大きくはじき返し、剣の届かない位置まで、すっと後退した。魔王は言った。
「なんとも器用なことをする。剣にまとわせた魔法を、こちらに向けて放ったのか」
「そうだ。これでおまえは、ぼくの剣に、剣を合わせて防ぐことはできなくなったね」
「さて、それはどうかな」
一ノ宮にこう言われても、魔王にあわてた素振りはなかった。一ノ宮は眉を少ししかめて、改めて呪文を詠唱する。彼の剣が、再び赤い光を帯びた。ところが、魔王に目を移すと、魔王の剣もまた、赤い光を放っていた。
「──! おまえも、魔法剣を?!」
「うむ。使うのは久しぶりだが、どうやらうまくいった。こういう小さな魔法は、どうも苦手でな。先ほどのような大規模魔法の方が、私には性に合っている」
魔王は感触を確かめるように、剣を一つ、二つと素振りした。そしていきなり、一ノ宮に向けて襲いかかった。二つの剣が衝突し、その瞬間、二人の間に爆発が起きた。
「どうした、何があった?」
「火魔法と火魔法がぶつかったんでしょう。威力は相殺されたはずだから、一ノ宮君にもケガはないはず。けど、まずいわね」
上条の疑問に、白河が答えた。彼女の言葉どおり、二人の剣からは、赤の光が消えていた。一ノ宮の魔法剣は、これで封じられてしまったわけだ。再び打ち合いが始まり、二人の剣と体が、めまぐるしく交錯する。そしてやはり、先ほどと同様に、一ノ宮は次第に追い込まれていった。彼の白銀の鎧には、いくつもの傷が刻まれていく。とうとう、耳障りな、何かを削り取るような金属音が大きく響いた。一ノ宮は顔を歪ませて、後ろに倒れ込んだ。左手で、右の脇腹を押さえている。魔王の一撃が鎧を貫いて、一ノ宮の体に達したんだ。
「させるかよ!」
一ノ宮の危機に、またしても上条が介入しようとする。ところが、魔王は予め察していたかのように簡単に大剣を避け、逆に胴に一撃を入れて、上条の巨体を吹っ飛ばした。上条の大剣が彼の手を離れ、音を立てて地面に転がる。攻撃を受けた部分を見ると、鎧が大きくへこんでいた。血が出ないからよくわからないけど、もしかしたら、鎧の下の体にまで、剣が達していているかもしれない。
親友が体を張って作ってくれた、この数秒の空隙の間に、一ノ宮は立ち上がっていた。呪文を唱えながら、心配そうに上条の方に目をやっていたけど、上条も立ち上がるのを見て、詠唱に力が入った。手にした剣に、赤い魔法の光が再び点灯する。ところが、それで終わりではなかった。赤い光に次第に青白い色が混ざり、その輝きはさっきの魔法剣よりもはるかに強いものとなって、やがてバチバチと放電するような音が、剣から響きはじめた。
「……それは、二重掛けか? 面白い」
魔王がつぶやくように言う。なるほど、相殺を避け、同時に攻撃力を上げるために、火魔法と雷魔法を二重に剣にまとわせたのか。が、なぜか魔王の態度には、まだ余裕があった。魔王は、自らも詠唱を始めると、手にした剣には一ノ宮と同じように赤、次いで青の光が灯り、その周囲を照らした。魔王もまた、剣に二重の魔法をかけたんだ。一ノ宮は表情を険しくしたけど、何も言わずに、剣を構えた。
見た目だけならとてもきれいに感じられる、闇の中の光。その光を手に、二人は向かい合った。数秒間の静寂をおいて、一ノ宮は正眼から、突きの形に構えを変える。そして、全身全霊、最後の気合いを発して、一ノ宮は魔王に向かって飛び出していった。
だけど……遅い。
これまでのダメージが残っているのか、さっきまでのようなスピードがまるでなかった。よたよたという形容がつきそうなほどの、不安定な足運びだ。魔王は、依然として余裕の表情で、待ち受けている。それを見ていた上条が、大剣は放り出したまま、「優希!」と叫んで、一ノ宮の元へ走り出そうとした。その時、一ノ宮の唇が動き、一つのスキルが発動された。
「──縮地」
そのとたん、一ノ宮の体は残像を残して、その場から消えた。必殺の突きの構えに残るすべての力を込め、さらにはすさまじい加速も乗せて、一ノ宮は魔王へ向けて一直線に突進していった。
だけど、一ノ宮の言葉に重なるように、もう一つの言葉が、その場に響いた。
「──縮地」
それは、魔王の口から発せられたものだった。スキルが発動した瞬間、魔王の体は瞬間的に、小さく右に移動していた。その残像を、むなしく通り過ぎてしまう一ノ宮の剣。一ノ宮は、突きで目一杯に伸ばした体を、魔王の前にさらしていた。そこへ、魔王の剣が振り下ろされていく。まずい。真横から胴体を断ち割ろうとするその動きが、ぼくにはまるで、スローモーションのように見えた。
だけどここで、その映像に乱入する、もう一人の人物が現れた。
「縮地、縮地ぃ!」
上条だった。大剣を手放したままの大男が、大声で叫んだんだ。だけどこいつは、縮地なんてスキルは持っていなかったはず。実際にその走る姿は、縮地とはほど遠い、ただの駆け足だった。王城にいたころ、このスキルが欲しいがために変な格好で訓練場を走っていた、そんな記憶が蘇る。もしかしたら上条も、同じことをしていたんだろうか。
それでも、この行為が一種のブラフになったらしい。魔王の剣がわずかの間だけ止まり、上条は二人の間に割って入ることができた。一ノ宮の体を突き飛ばす上条。すると魔王の剣は、今度は上条へ向かった。上条は剣は持っておらず、態勢も完全に崩れていて、盾を構えるどころではない。魔王の前に体を投げ出したような、まるで無防備な格好だ。まずいまずい。さっきの攻防で、上条の鎧は胴の部分を大きく破損している。もしもあそこに、二重の魔法がかかった剣で、一撃を加えられたりしたら──。
この時、一筋の赤い光が走った。
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