第233話 歓声と驚愕

 上条が、あわや切り捨てられるかと思ったその時、一条の赤い光が走った。


 と言っても、光そのものではない。それは、赤い光を放つもののかたまりだった。そこに込められていたのは、圧縮された炎だ。その進む先は魔王、そして光の出所は、地面に横たわったままの柏木だった。光が生まれる直前、彼女が小さく詠唱する声が聞こえたような気がした。それは、こんな言葉だった。


「……《エクスプロージョン》」


 エクスプロージョンは、ついさっき千人単位の死者の軍勢を壊滅させた、広範囲攻撃魔法のはずだ。だけど今回の炎は、ほとんど線のような大きさにまとまっている。さきほどの魔法では、兵士は倒せたけど、魔王を倒すことはできなかった。そこで、魔力の出力範囲の調節を行って、強引に一つの線に収束させたんだろう。その圧縮された炎が、光に見えたんだ。

 それは光魔法ほどの速度はなかったけど、ここまで柏木が動く気配がなかったのが、相手の隙を作った格好になったんだろう。魔王が魔法の方向に視線を向けたその時には、既に炎は彼の目の前にまで迫っていた。一瞬の後、激しい爆発が起こった。

 風圧で飛ばされる上条、一ノ宮。そして、火に包まれた人の形をしたものが、炎と黒煙の尾を引きながら、十数メートルほども吹き飛ばされていった。それは一回、二回とバウンドしてから、ようやく地面に横たわった。しばらくすると炎も消えて、魔王の周囲は暗闇に包まれた。


 今度こそ、決まったか?


 ところが、そうではなかった。ぼくの暗視スキルは、遠く離れた暗がりの中で、魔王の体がぴくん、と動くのを映し出していた。黒い鎧は大きく破壊され、全身のいたるところに火傷らしい傷ができている。けれどもその手は、剣を放していなかった。魔王は上半身を起こし、ひざをつき、手にした剣に体重を掛けて、再び立ち上がろうとしていた。

 それでも、その動きに力強さはない。大きなダメージが入ったことも、確かだろう。

 これまでで最大の、もしかしたら最初で最後の好機。相手は歴戦の勇士であり、魔法も得意そうなことを考えると、何かしらの回復手段を持っていてもおかしくはない。この機を逃さず、追撃すべきだろう。ところが、こちらのパーティーを顧みると、こちらも大きなケガを負った一ノ宮と上条、有効な攻撃手段を失った白河。柏木も、さっきの魔法の詠唱を終えた後は完全に気を失ったらしく、地面に倒れ込んでいる。アネットには大きな攻撃力はないし、ぼくも剣スキルのレベルはともかく、実技としての剣にはそれほど自信はない。どうするのが最善か? 感じるんじゃない、考えるんだ……。

 そうだ。上条は魔王ケイリーを説明する時、何て言ってた?


「聖剣を得た勇者が、魔王を倒した」


 以前に聞いた説明でも、劣勢に立ったヒト族が、聖剣の力で戦況を逆転した、と言っていたと思う。ぼくを再召喚した時のパメラ王女も、聖剣の力で、劣勢を覆そうとしていた。そうだ、聖剣だ。できるだけあれは使わないでくれ、とフロルには言われていたけど、こうなってはしかたがない。

 ぼくはマジックバッグから、聖剣を取りだした。鞘から引き抜くと、力強い白の光が、闇の世界を照らした。そうして魔王の元に向かおうとした時に、ぼくの視界の隅に入ってきた人物がいた。

 そうだ。ここにはぼくよりも、適任者がいるじゃないか。

「一ノ宮!」

 そんな様子を呆然と見ていた一ノ宮が、ぼくの声にびくんと反応した。

「任せた!」

 彼の下に駆け寄り、聖剣を差し出す。一ノ宮は一瞬、目を見張ったけれど、

「任せろ!」

 力強くうなずいて、聖剣を受け取った。剣は彼に手渡した後も、変わらずまばゆい光を放っていた。どうやら死者になっても、「勇者」としての資格は失っていないらしい。光り輝く剣を手に、一ノ宮は魔王に向けて駆け出した。聖剣のバフ能力のおかげなのか、先ほどまでの勢いが戻っている。

「む、その剣は! 貴様、勇者だったのか?」

 剣が放つ光を見て、魔王が問いただした。

「そうだ。ぼくが、勇者だ!」

 力強い声で、一ノ宮が答える。

「魔王は、勇者であるこのぼくが倒す!」

 そうして、両者とも剣を構えた。何度目かとなる、魔王と一ノ宮の対峙。両者ともに大きく剣を振りかぶり、裂帛れっぱくの気合いと共に、剣を打ち合う。


 だけど、今回は一瞬にして勝負がついた。


 二つの剣がぶつかると共に、高い金属音が響いて、一方の剣が両断されたんだ。そうだった。この異界では、死者が持っていた剣や鎧は形だけは模写されるものの、性能まで正確にコピーされるわけではない。彼らは、いわば偽物の剣や鎧を持っているんだ。フロルが、こんな説明をしていたっけ。その上、魔王が持っている剣は何度もの打ち合いを繰り返し、柏木の大魔法も受けている。そんな剣が、本物の聖剣にかなうはずがない。

 一ノ宮の聖剣は、魔王の偽の魔剣を真っ二つにした。そしてそのままの勢いで、半ば壊れていた鎧を砕き、魔王の体を縦に裂き切った。


 残心をとる一ノ宮。一方の魔王は、二、三歩後ろによろめいたものの、再び正眼の構えをとろうとした。が、自分の剣が砕けているのに気づいて、愕然とした表情を浮かべた。

 魔王は自分の体に着けられた傷を、指でなぞった。首を下に向けて、体の状態を改めて確認する。彼の口から、こんな言葉が漏れた。

「……見事だ」

 そして折れた剣を捨て、こう付け加えた。

「これでようやく、兵たちの元に帰ることができる……」

 魔王は目を閉じた。二本の足で立ったまま、彼の体は黒い霧となっていった。


 一ノ宮は、自分が勝ったのが、なんだか信じられないといった表情で、魔王の動きを見守っていた。魔王の体すべてが霧に変わり、完全に消えてしまったところで、ようやく右腕を突き上げ、勝利のポーズを見せた。

 上条と白河から、歓声が上がった。

「やったぞ、優希! おれたちはとうとう、魔王を倒したんだ!」

「ああ、やった。苦しい戦いだったけれど、なんとかやり遂げることができた。これも、上条のおかげだよ。君には本当に、何度も助けられたからね。それから白河さんも、ありがとう。白河さんの魔法があったから、ひと息つくことができた」

「やめてください。私は今回、あまり役に立てませんでした。あの魔王がなぜ光魔法に耐性があったのか、不思議ですが……それよりも、第一の功労者は郁香でしょう」

「そうだな。郁香もすごかった! なんと言っても、魔王を倒すきっかけになったのは、さっきのあの魔法だからな。おい、郁香! おまえのおかげで──」

 上条は後ろを振り向いて、柏木に声を掛けようとした。その途中で、彼の言葉が止まった。上条だけではない。つられて後ろに目を向けた全員の動きが、凍ったように止まってしまった。

 柏木は地面に横になり、目をつぶったまま動かなかった。アネットが背中に手を回して抱きかかえ、軽く体をゆすっているけど、目を覚ます様子がない。だけど、ぼくたちを驚愕させたのは、その光景ではなかった。アネットは気づいていないんだろうか? 彼女たちの横には──。


 彼女たちの横には、もう一人の柏木が立って、勇者たちに向かって微笑んでいた。



────────────────


(作者より一言)

 第158話の「──!」を囲むカギ括弧の数を確かめてみて下さい。

 4章で、たぶんほとんどの人が本気にしないだろう「勇者の病」を繰り返し取り上げていたのは、実はこのためでした。



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