第245話 エピローグ (2)

 その道には、一人の男性が、ぼくたちを待ち構えるように立っていた。

 年齢は五十歳くらい、やや背が低く、スーツ姿ではあるけれど、そのスーツにはしわが寄っていた。ぼくたちは急いで通り過ぎようとしたけど、男性は身を投げ出すように目の前に飛び出てきて、ぼくらの歩みを止めた。

「ちょ、ちょっと待ってください……。娘のことで、ちょっとお話が」

「またですか、楠本さん」

「そう言わずに、話を聞いて下さい。娘が帰ってこれるよう、ちょっとだけ協力を……」

 ぼくは思わず、眉をひそめた。

 この男性とは、これまでにも何度か会っていた。行方不明になった生徒の一人、楠本愛花の父親だ。彼女とはあまり話したことはなかったけど、高校生にしては背の低い、ちんまりした感じの子だった。一部の女子が彼女をハグして、盛んに「かわいいー」と言ってたけど、あれもべつに嫌みとかではなく、本当の「かわいい」だったと思う。そんな娘は、両親から溺愛されていたらしい。特に父親は、娘が行方不明と知ると半狂乱になってしまい、勤めていた会社も辞めて、今も娘を探し続けていると聞いていた。

「今度が、今度が最後なんです! 今度教えてもらった儀式をすれば、娘はきっと、あの世界から解放されて──」

 「あの世界」という言葉を聞いて、ぼくの顔はますます渋くなった。横を見ると、柏木も同じような表情になっていた。


 世間の騒ぎはかなり静かになったけど、中には例外もあった。ネットの中の世界だ。高校生の集団失踪という、部外者にはとても面白く、好奇心がそそられるだろう事件を巡って、ネットではとんでもない量の書き込みが流れた。一時ほどの勢いはなくなったものの、それは今も続いているらしい。わざわざ気分を悪くすることもないから、ぼくは見に行ってないけどね。そしてその書き込みの中には、すごくいい加減というか、過激で怪しげなものもあるんだそうだ。


「これはもともと、壮大なドッキリ企画だった。が、学校から抜け出す途中、手配していた車が事故を起こして、22人全員が死亡。主催したスポンサーは事故を隠蔽するため、ドッキリの公表をやめた」

「彼らを目撃した者がいないのは、目撃者となりそうな人すべてが犯人だったからだ。つまり、二十二人は他の生徒・教師のすべてによって殺され、死体も彼らによって遺棄されたのだ」

「二十二人の生徒なんて、もともといなかった。定員割れで予算が削られるのを懸念した学校が、架空の生徒を作っていたのだ。監査が入ってそれがばれそうになり、学校側が急きょ、生徒の失踪事件をでっち上げた」

 ……

 ……


 中には、「彼らは何者かの手によって、こことは異なる世界に連れていかれた」なんていう、とんでもないものまであるという。そして、そんないいかげんな情報の一つに、この父親はどっぷりとつかってしまっているんだ。

 初めて会った時も、彼は今と同じように、娘の救出のために協力してくれ、と言っていた。ぼくも同級生を助けたくないわけではないから、いいですよ、と答えたら、楠本はその場でぼくと両手をつないだ。そしてそのまま目をつぶって、何やらぶつぶつと唱えだした。

 さすがに気味が悪くなって、これはいったい何をしてるんですかと訊くと、

「黙って。今、娘がいる世界と、交信しようとしている……」

 もちろん、そんなことをしても、何も起こりはしなかったし、何も聞こえてなどこなかった。かなり長い時間同じ格好でいたけど、最後には楠本も諦めたようで、目を開け、ぼくの手を放した。そしてこう言った。

「今回はうまく行かなかったけれど、センターには私よりもチャネリング経験の豊富な、講師の先生がいる。一緒に来てもらえませんか」

 それ以来、ぼくは彼とはできるだけ話さないようにし、協力を頼まれても断るようにしていた。だけど、今日のように強引に話しかけられると、それを避けるのは難しいんだよな。


「申し訳ないですけど、お断りします。ぼくはそういう話、興味ないんで」

 ぼくは今回も、いつもと同様に断った。だけど、楠本は引き下がろうとしなかった。

「そう言わずに、頼みますよ。娘のためなんだ」

「だから嫌ですって。それで本当に楠本さんが帰ってくるのなら、ぼくも協力しますよ。でも、とてもそうなるとは思えない。この前だって、何も起きなかったじゃないですか」

「これが最後の機会なんだ。今を逃すと、惑星の配列が狂ってしまって、今度あの世界と交信できるのは、ずっと先になってしまう。だからどうか──」

「いい加減にしてください!」

 押し問答をしていると、とうとう、柏木が大きな声を上げた。

「こことは別の世界だなんて。そんないいかげんな話を信じるなんて、どうかしてます! もっとちゃんとしてください! 父親の貴方がそんなことをしていたら、愛花だって悲しむと思いますよ。もしも私だったら、父さんにそんなこと、してほしくありませんから。

 それでも、どうしても交信というものをしたいのなら、自分たちだけでやってください。私たちを巻き込まないで!」

 ちょうど通りかかった女の人たちが、こちらを見て、何かひそひそ話をしている。楠本は一瞬、険しい顔になった。だけど、何にも言い返さないまま、静かにぼくたちに一礼して、この場から立ち去っていった。


 その日の放課後デートは、いつもよりもちょっとだけ、盛り上がらなかった。これまでにも時々、こう言うことはあった。特に、クラスで上条たちの話が出た時なんかは……。

 けど、ファミレスの夏季限定スイーツをおごってあげたら、柏木はだんだん元気を取り戻した。最後には、いつもの笑顔になって、

「じゃ、さよなら。また明日ね!」

と小さく手を振って、彼女の家の玄関に入っていった。

 彼女を送り届けたぼくは、今度は自分の家へ向かった。その途中、大きな川沿いの道、普段はあまり歩く人がいないような道を通っている途中で、ぼくはどうしても気になってしまった。さっきからずっと、ぼくの少し後ろで、足音がするんだ。ぼくは思いきって立ち止まり、後ろを振り向いた。そこにいた人物の顔を見て、ぼくは思わずつぶやいた。

「……また、あなたですか」


 そこに立っていたのは、ついさっき話をしたばかりの、楠本愛花の父親だった。



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