第193話 あこがれのスローライフ

 思っていたよりも、準備には手間取った。ボアから取り出したものを上手く固定するのに、四苦八苦していたからだ。その作業は、こういう細工が得意というメイベルに任せて、ぼくはその間、ドアを少し開けて氷魔法の詠唱をしていた。この魔法、使うのは初めてだし、鑑定によるとレベルも1と低い。魔法の練習がてら、と言ったところだ。魔力の量なら、たっぷりとあるみたいだし。

 魔法の発動を続けていると、次第に隣の部屋の床に氷が張っていったけど、幸い、中のゴーレムには動きはなかった。正確には、まったく動きがなかったわけではなく、なんていうか、ゴーレムたちが「ざわついている」感じになったけど、大きな反応はない。これまでもそうだったけど、ぼくたちがドアの中に入らない限り、こちらに向かっては来ないみたいだ。

 あれかな。ここも、グラントンの迷宮でいう「安全地帯」みたいな扱いになってるのかな。確かに、ここで何人もの人が働いていた頃であれば、何かの事故(たとえば、ゴーレムが侵入者を誤認識したとか)の対策のために、安全地帯というか避難所を作っておかないと、まずかったのかもしれない。グラントン迷宮の安全地帯も、もしかしたらそのためにあったのかも。


 氷魔法の連発で隣の床が冷え冷えになったころ、メイベルの細工も完成した。ぼくはその出来具合を確かめると、マジックバッグに聖剣をしまい、代わりにこれまであまり使ったことのない、ごく普通の大剣を取り出した。そして大剣を鞘から抜き、ドアをもう少し大きく開けて、改めて氷魔法を詠唱した。

「《アイスウォール》」

 冷え切った床の上に、平らな氷の板が形成された。念入りに魔力を込め、できる限り厚く、長く、氷を伸ばしていく。最後の方は、特に魔力を注ぎ込むように。こうして、幅は1メートルちょっと、長さは部屋の半分くらいをカバーする氷の道ができあがった。

「行きますよ」

 メイベルはうなずいて、後ろからぼくの上におぶさった。背中に、ふたつの豊かなものが押しつけられてくるのを感じる。そういえば、彼女が今着ているのは、革鎧じゃなかったっけ……。いや、それどころではない。ここからが、一回勝負の大ばくちなんだ。ぼくはドアを大きく開き、これまで何度もお世話になっている、あのスキルを発動した。


「縮地」


 すさまじい加速で、ぼくとメイベルは部屋の中に飛び出した。そしてそのまま、あまり速度を落とさずに、部屋の中を突っ切っていく。縮地スキルと言っても、そんなに長い距離を移動できるものではない。加減はできるけど、精一杯距離を伸ばしても、十数メートルくらいが限度だろう。だけど、ぼくたちがいるのは氷の上だ。そしてさらに、ぼくは両足に即席のスケート靴を履いていたんだ。

 スケート靴なんて、どこにあったのかって? 実は、元の世界ではその昔、スケート靴のブレードには、動物の太い骨、例えばすねなどの骨が使われていたんだそうだ。それを靴に縛り付けて、氷の上を滑っていたらしい。そしてマジックバッグの中には、解体途中のゴールドボアがあった。これを使って即席のスケート靴を作り、氷魔法で作った即席のスケートリンクを、縮地スキルを使って突っ切ろう。というのが、ぼくが立てた作戦だった。

 ただ、ボアから骨を取るのは簡単だったんだけど、靴に固定するのが難しかった。やっぱり、力がかかるとぐらついてしまうんだよね。そのあたりはメイベルに任せたけど、彼女は関節部分のふくらんだところを削り、下側は氷に接しないよう、上側は縛り付けた時に靴にフィットするようにと、微妙な細工をしたらしい。もちろん、耐久性には疑問はあるかもしれないけど、これをずっと使うつもりなんてないんだから。


 縮地の加速とスケート靴のおかげで、敵がほとんど反応しない間に、ぼくたちは部屋の真ん中あたりまで来ていた。ここまでくると、さすがに少しスピードが落ちて、ゴーレムたちも動き始めている。ぼくは追加の魔法とスキルを発動した。

「《アイスウォール》! そして、縮地!」

 詠唱に応えて氷の床が伸び、ぼくたちは再加速した。だけど、今回の氷魔法は即席の詠唱とあって、できた氷は残った距離の半分ほど。このままでは、スケートを履いたまま、氷のない地面に着地してしまうだろう。そうなる前に、ぼくはダメ押しのスキルを発動する。

「縮地!」

 連発したスキルの影響で、強烈な頭痛が襲ってきた。けどその代わりに、ぼくたちの速度は、まさしく目にもとまらぬほどになっていた。そんなぼくたちの背後を、白い光の帯が通り過ぎていったような気がした。一瞬のうちに、スケートリンクの終わりが近づいてくる。ここからは力技だ。

「間に合え!」

 リンクの切れ目が来る前に、ぼくは思いきりジャンプをした。「筋力」のステータスを頼りに、とにかく高く飛び上がる。ぼくたちの体は空中に飛び出して、すさまじい速度で、正面のドアに向かっていった。ドアの前には、左右から集まってきた数体のゴーレムがいる。けれどもこれも、想定のうちだ。ぼくは大剣を腰だめにして、ゴーレム目がけて突っ込んだ。

 勢いに乗った大剣はゴーレムの体を刺し貫き、その衝撃がぼくの体に伝わってきた。続いて、さらなる衝撃。ゴーレムの背中に抜けた大剣の刃が、その後ろにいたゴーレムも貫いたんだ。ぼくとメイベル、そして串刺しになった2体のゴーレムは、ひとかたまりになって正面の壁に衝突した。

 体中に感じる痛みを無視して、ぼくは立ち上がった。幸い、メイベルはぼくの背中にしがみついてくれている。大剣はその場に捨て、すぐ横にあったドアに飛びついた。ドアノブを回し、ドアを開けたところで、体の全体が、後ろから吹き飛ばされるような衝撃を感じた。

「きゃあ!」

 その力で、ドアの向こう側へ転がり込んだ。メイベルが床に放り出されてしまったけど、そっちをかまってやるような余裕はなかった。ぼくは急いで立ち上がってドアを閉め、探知スキルの反応に注視した。ドアを隔てることはできたけど、ゴーレムのやつら、これで止まってくれるだろうか?

 数秒間、ぼくはじっと待った。ゴーレムたちは、今いる場所から動こうとはしていない。元いた位置に戻っているわけではないけれど、とりあえずは、このまま戦闘継続にはならないようだ。


 ぼくはほっと息をついて、ドアに背中をもたれさせた。

 視線を落とすと、左のスケート靴に使った骨が、割れてしまっていた。着地の時の衝撃のせいかな。そっちの足をちょっとひねってしまっていたけど、ヒールの魔法をかけてみたら、痛みが和らいでくれた。この魔法、切り傷だけでなく筋肉の損傷みたいなものにも効果があるんだな。

 気がついてみると、足だけではなくて全身も痛かった。正面突きの反作用でスピードを落とし、ゴーレムの体をクッションにして壁にぶつかったんだけど、やっぱりかなりの衝撃だったみたいだ。全身にヒールをかけ、念のため左足首にもう二、三回、ヒールを重ねがけする。立ち上がり、何度か地面を踏みしめて左足の工合を確かめながら、メイベルに声をかけた。

「メイベルさん、だいじょうぶですか?」


 ところが、この呼びかけに、返事が返ってこなかった。彼女のもとに駆け寄り、仰向けに寝ていた体を起こした時、背中にまわしたぼくのてのひらに、ねちょっ、としたものがくっついた。血糊だった。

「メイベルさん!」

 背中をのぞき込むと、かなりの防御力を持っているはずの忍び服がごっそりと焼け落ち、背中一面がひどい火傷になっていた。背中だけでなく、肩のあたりまで傷を負っていて、そこら中から血と、透明な液体のようなものがにじみ出ている。ぼくはあわてて、城から持ってきた高級ポーションを取り出し、傷の上からふりかけた。

 どうやら、最後に受けた衝撃は、ゴーレムからの攻撃だったらしい。もしかしたら、例の「目からビーム」の光線だろうか。あの攻撃を食らったとしたら、こんなものではすまないような気もするけど、他には見当がつかない。

 幸い、ポーションには即効性があって、見る間に火傷は治療されていった。血糊は残ったものの、それを拭き取ると、もとのきれいな背中になった。いや、もともとの背中がどうだったかなんて、実際には知らないんだけどね。


 メイベルが気がついた様子だったので、ぼくは再び声をかけた。

「だいじょうぶですか? まだ、痛みます?」

「……いえ、だいじょうぶです。背後から、何らかの魔法攻撃を受けたようですが、この服には魔法耐性があります。そのおかげで、ダメージを軽減してくれたんでしょう」

「なんか、すみません。背中におんぶしたせいで、こんなことになってしまって」

「それはしかたがありません。あなたは剣を振るう可能性があり、両手を空けておく必要があったんですから。あなたのせいではありませんよ」

 そう言いながら、メイベルは立ち上がった。同時に、忍び装束の前の部分がだらんと下がり、その拍子に、肩から提げていたらしいバッグ、そしてサラシの残骸と思われる白い布が足下に落ちた。あの光線、服の背中だけじゃなくて、肩の周りまで焼いてしまってたもんな。そのせいで、留めるところがなくなってたんだろう。まあそれはいいんだけど、サラシが落ちたと言うことは、その下の部分も見えてしまったと言うことで……。

 一瞬だけ目に入ったその光景は、想像していた通り、とても豊かなものでした。


 メイベルはさしてあわてた表情も見せず、後ろを向いた。そして、床に落ちたウエストポーチのような形の小さなバッグ(たぶんあれが、マジックバッグだろう)を拾って、中から替えの衣装を取り出した。ただ、その際にぼくの方に向けた視線と、「こっちを見ないでください」という声は、とても冷たいものだったような気がした。ついさっき、背中が焼けたのはぼくのせいじゃない、と言ってくれたのに。

 ぼくはおとなしく後ろを向いて、靴に取り付けてあったボアの骨を外し始めた。

 それにしても、ボアの骨を利用したスケートかあ。それに昨日は手作り納豆、それからボアからはいだ毛皮も使ってたんだよね。なのにどうして……。


 ぼくは今、スローライフを送っていないんだろう。


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