第144話 難易度の高いエリア
「今日の第四層は、昨日とは違ってかなり難しいエリアだ」
転移陣を起動する前に、一ノ宮が言った。
「各自、気を引き締めてかかってくれ。……では、いくよ」
一ノ宮が転移の呪文を唱えた。少し気が遠くなるような感覚と共に、目の前の光景が微妙にぶれる。四回目ともなると、少し慣れてきたかな。転移陣の部屋を出て、続きの部屋を通り過ぎると、その外は、草原だった三層とは全く違う景色が広がっていた。
ぼくたちが立っているのは、小さな島だった。それだけなら二層の、海のエリアと変わりはない。だけど、島の周りには、海水などはなかった。それが浮いているのは、水の上ではない。この小島は、空の上に浮かんでいたんだ。
この島からは、いくつもの小島が、空に浮かんでいるのが見えた。それらの「浮島」──とりあえず、こう呼ぶことにしよう──は、どれも同じくらいの大きさで、緑に覆われた地面の下に、茶色い岩が逆三角形の形についていた。その下には、何もない。まさに、空の孤島だった。たぶん、ぼくたちが立っている島も、同じような作りなんだろう。島々のはるか下には、一面、もやのような薄い雲がかかっていた。
そして、ぼくたちのいる浮島からは、一本の橋が架かっていた。幅は一・五メートルほど、何本かのロープを渡して、その上に橋桁として木の板を敷いただけの、粗末な吊り橋だ。橋の行き着く先は、別の浮島が浮いていた。そしてその浮島からも、また別の浮島へ橋が架かっていて……どうやら、今日はこの橋を伝い、島から島へ渡って、ゴールを目指していかなければならないらしい。話には聞いていたけど、確かにめんどくさそうなエリアだ。
一ノ宮が、改めて説明を加えた。
「ここは、空のエリアだ。あれらの島は空に浮かんでいるように見えるけれど、実際には地面から突き出た、細長い山ではないかと言われている。それを、幻影魔法で島に見せかけているんだそうだ。島を空中に浮かべるよりも、幻影を見せる方が簡単だからね」
「で、おれたちはこの橋を進んでいくんだよな。この橋、だいじょうぶなのか? 五人乗ったらロープが切れる、なんてことはないんだよな」
「この橋も、見かけどおりのものではないらしいよ。ちょっと試してみようか」
一ノ宮は吊り橋に近づくと、いきなり剣を抜いて、橋を形作っているロープめがけて振り下ろした。え、それを切ってしまったら、いきなりクリア不能になるんじゃない? ところが、剣はロープに当たると、ぱんとはね返されてしまった。その衝撃で、橋はゆっくりとした周期でゆらゆらと揺れ始めたけれど、ロープには傷一つついていなかった。
「今のは本気で切ろうとしたわけじゃないけど、見た目より頑丈なのはわかっただろ。ロープだけではなく、木の板も同じだ。そうでなければ、長い年月、こうして残っているはずがないからね」
「ああ。そうみたいだな」と上条。
「わかってもらったところで、そろそろ出発しよう」
ぼくたちは、最初の浮島から出発し……ようとした。ところが今回は、それがなかなかうまく行かなかった。
最初に一ノ宮が橋に足をかけ、二人目に白河、三人目にぼくが続く。が、一歩進むだけで、橋は大きく揺れた。ロープなどの材料は丈夫だったとしても、橋が揺れないわけではないらしい。自然と、視線は足下の木の板に釘付けになった。板と板の間には、運が悪ければここから落ちてもおかしくないだろう程度に、隙間が空いている。その隙間からは白い雲と、そして雲の薄くなった向こうに、はるか下にある地上の光景が見えた。
「きゃっ!」
僕の後ろで悲鳴が上がった。振り向くと、柏木が板の上にしゃがみ込んでいた。目をぎゅっとつぶって、小刻みに首を振っている。両手にロープをしっかりと握りしめてはいるものの、立っているよりも、かえって危なそうな体勢だった。
「郁香、どうした」
「……ごめん、ちょっと戻らせて」
柏木はそう言うと、なんとか立ち上がって、後へ戻った。島に上陸する際には、先に戻っていた上条が、彼女の体を抱きかかえた。
「私、これ、だめかもしんない」
島へ戻ると、柏木がのろのろとした口調で言った。彼女以外の四人全員が、顔を見合わせる。ここは難易度が高いエリアだと聞いていたけど、まさかこんな段階でつまずくとは思っていなかったからだ。
「ここが難しいって、こういうことじゃないよな?」
上条が確認するように尋ねると、一ノ宮は首を振って、
「いや。橋を渡っている間は、敵への対応が難しくなる、という意味だよ。僕や上条は満足に戦えないだろうから、万が一そのタイミングで戦闘になったら、使えそうなのは攻撃魔法だけになってしまう。
だから、橋を渡るのはできる限り急ぎたいし、いったん戦いになれば、柏木さんが重要な戦力になってくるんだけど……」
「最初は行けると思ったんだけどさ。だけど、木の板の間から、下が見えてるでしょ。ずーっと下に、あんな遠くに地面があるのが見えたら、なんだか気が遠くなってきちゃって」
柏木が申し訳なさそうに言う。一ノ宮が元気づけるように、
「だいじょうぶだよ。あれもおそらくは、空と同じで幻影だと言われている。迷宮内の空間が、あんなに高いはずはないからね」
「じゃあ、落ちても平気なの?」
「……それは、わからない。橋から落ちて、帰ってきた人はいないから」
「やっぱ、だめじゃん」
柏木の答えに、一ノ宮は困ったように溜息をついた。そこで、ぼくから提案してみた。
「じゃあ、こんなのはどうだ? みんなの体を、長いロープで結んでおくんだ。ほら、登山をする人が、絶壁を登る時にやってるだろ。あれみたいにするんだよ。そうすれば、もし一人が落ちたとしても、残りの四人で引っ張り上げることができる」
「それだと、戦闘の邪魔にならないかな」
「橋の上では、どっちにしろそんなには動けないよ。いざとなったら、切ってしまえばいいんだし」
「そうだな……そうしてみるか」
一ノ宮がうなずいたので、僕はバッグからロープを取り出した。一ノ宮と上条を両端にして、ロープでつなぐ。端の二人以外は、メインのロープとは別のロープで輪をつくり、その輪の中にメインのロープを通して、ある程度は自由に動けるようにしてみた。
その作業をしている間、白河は柏木と何かしゃべっていた。ロープを結び終わった頃には話がついたらしく、柏木は白河に軽く一礼しながら、こう言った。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「ええ。いきますよ──《ブレイブ》」
白河が柏木の胸に左手を当てて、呪文を唱えた。白河の手が白く光り、その光は柏木の胸に吸い込まれるようにして、消えていった。
「今のは、何の魔法?」
「簡単に言えば、かけた相手の士気を高める魔法です。普通は戦闘の際、味方の兵に使うんですけど、使いすぎると熱狂的な気分になって、正常な判断が下せなくなってしまうから、注意が必要ですね」
「へー。そんな魔法があるんだ。……どう、柏木さん。行けそう?」
「うん、ありがとう。美月もありがとうね。なんか、行けそうな気がしてきた」
柏木はちょっとぎこちない笑みを浮かべて、立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます