第161話 命の砂時計と小人さん みっつめ


「ああああ、これが水の精霊ぃぃっ!」


 千早が得た水の精霊スライムを撫でまくり、御満悦なロメール。

 なんと、ここまでやってきたにも関わらず、ロメールは水の精霊を得られなかったのだ。


「もしかしたらと思ったのに..... 無念」


 号泣するロメール。彼の唯一持たぬ属性。それが水の魔力である。そして逆に、それに特化した者が一人いた。


「可愛いものですね。そなたの主だ。宜しくな」


 子供みたいに、ふくふく笑うドルフェン。


 彼の魔力は単一のみだが、その魔力量は膨大。容易く精霊を発現させた。伊達に筆頭侯爵家の直系ではないということか。

 ギリギリと恨めしげにドルフェンを睨むロメールに苦笑いする小人さん。


 子供か。


 そんな小人さんの横に立ち、呆れたように呟くのはハロルド。


「男なんぞ、いくつになっても子供のようなものです」


 心読むなしっ!


 双子と長い付き合いの騎士団長様は、口にせずとも、大体の思惑が手に取るように分かる。

 基本、意識していないと腹芸の出来ない小人さんだから尚更だ。あのドルフェンにすら覚られる有り様である。

 逆に分かりづらいのは千早だった。基本は小人さんと変わらないのだが、ときおり見せる殺伐とした雰囲気。

 妹溺愛の弊害と思われていたソレだが、最近それだけではないような、そこはかとした不安がハロルドやロメールの胸中に広がっていた。

 さらにロメールの教えによりポーカーフェイスまで覚え始めたので、手に負えない。


「.....責任は全うしてくださいませ」


「いや、私のせいばかりではないんじゃないかなぁ?」


 二人の視界の中で千早は薄い笑みをはき、スライムを抱き上げている。


「じゃあ、君は六郎君ね。皆と仲良くしてね」


 それぞれが思うところを脳裏に描いているなか、小人さんは巨大亀と別れを惜しんでいた。


「また暖かくなったら来るね」


《お気をつけてな》


 うっそりと笑う亀。それを見て、何かを思い付いたかのように小人さんは手を叩いた。


「ソレイユ!」


《ん?》


「アンタの名前だにょ。良かったら、そう呼ばせて?」


 ソレイユとは太陽という意味だ。海を割り、深海を明るく照らせる彼にうってつけの名前だろう。


《ソレイユ..... 良い響きじゃの。有り難く受け取ろう》


 好好爺な面持ちで何度も頷く亀に見送られ、蜜蜂馬車は王都へと戻っていく。


 馬車が消えるまで見送り、ソレイユは海を閉じた。そして思う。涯か彼方となった生まれ故郷を。失われた星を。


 小人さんには話さなかったが、彼の生まれ故郷は既にない。今頃は凍りつき、巨大な墓標と化していることだろう。

 彼の星の人々との最後の邂逅を思い出して、ソレイユの顔が哀しげに歪む。




 かつて亀は永遠を得た者だった。


 己の身体で陸地を作っていた亀は、古い身体を捨てて新たに生まれ変わり、次の陸地を作るといった、不思議な力を有していた。

 亀が生まれ変わるたびに、故郷の星の人々は喜び、彼に名前をつけてくれたものだ。


 その故郷が失われたのは何故なのか。未だにソレイユにも分からない。


『君が逃げたまえ。逃げ延びて、新たな大陸を作ってくれ』


 たったひとつしか残されていなかった宇宙船。そのひとつは小さく、人間を二~三人しか乗せる事が出来なかった。

 卵になれば乗れるだろうと、ソレイユの星の人々は滅びる星から脱出するよう亀に宇宙船を譲る。


『我々が愚かだったばかりに、君が作ってくれた大陸を悪用してしまった。罪滅ぼしにもならないが、君が生きてくれてさえいれば、我々が生きていた証になろう』


『人間は愚かばかりではないと..... あなたの新たな大地に伝えて?』


『愛していたよ、我等の兄弟。健やかにな』


 地獄の業火の果ての極寒の中で、最後まで強く優しく、その人らは在った。

 たったひとつしかない宇宙船を奪い合う事もなく、先の肉体を捨てて卵になって飛び立つソレイユを、清しい満面の笑みで見送ってくれた人々。


 人々に陸地を与えてくれた君に心からの感謝を。健やかであれ。何処かで新たな人々と、新たな大地に幸せを築いてくれ。

 我々が生きていた事を。生きていた事が無駄ではなかったと思いたい。


『こんな気持ちに、もっと早く気づけていたら.....』


 世界は滅ばなかっただろう。


 悪意が悪意を呼び、復讐が復讐を招く。


 いずこも同じ。ヘイズレープのように科学の進んだソレイユの故郷は、水の星。陸地の殆どない世界で、亀が必死に陸地を作っては息絶えていった。

 亀の甲羅を通して滲み出る海水は真水となり、亀の甲羅を削って掘り返した土地は肥沃な畑となる。

 深く掘って削り出した骨の部分は、鉱石と同じように、あらゆる加工が出来た。


 不思議な理を持つ、別世界。


 幾つも作られた陸地に人々は国を作り、その過酷な環境から科学を発展させたが、ある時、気づいた者がいたのだ。


 亀の甲羅を大地にしている世界の陸地は中ががらんどうだということに。


 そして悪意が蔓延した時、国同士の争いで水爆が使われ、内側から大地を破壊する。

 報復が報復を招き、永きに亘り作られてきた陸地があっという間に破壊されていった。


 後に残るは沈み行く大地。全ては海の藻屑と消えてしまう。


 さらには目測を誤った水爆ミサイルが、星の内側に向かって幾つも放たれた。


 科学を過信した。馬鹿な兵器を作った。その因果応報が人類に牙を剥く。

 結果、穿たれたミサイルが爆発し、幾つもの地脈を暴走させた。日本で言えばフォッサマグナと呼ばれるような巨大な火山脈だ。


 噴き出した溶岩により埋め立てられていく大海原。その蒸発で巻き起こる夥しい水蒸気。無数の塵が暴れ狂い、雲の届かぬ所まで一面を被い尽くした。

 星そのものを包み込む厚い塵の層が光を遮断し、星の温度はみるみる下がっている。いずれ氷河期が訪れるに違いない。

 然したる時間もかけずに世界は滅ぶだろう。人工島に避難した人々の命運も尽きた。


 いくら亀がいても、新たな文明は望めないのだ。地表が死んでしまうのだから。


『ごめん..... 本当に、ごめん』


 凍りつきつつある大地に額づき、もはや見えなくなった亀を乗せた宇宙船を、故郷の人々はずっと見送っていた。




 今は亡き故郷が祈るように欲していたモノ。太陽の光。それを名前に貰おうとは。皮肉なものだな。


 ソレイユの閉じた瞼が泡立つ。


 こぽり、こぽりと音をたてて泡立つのは涙の欠片。哀し、寂し、故郷の末路。


《ワシは幸せじゃよ? 幸せじゃったよ? のう、皆よ》


 誰に贈られたのか分からないソレイユの呟きはあぶくとなり、大海原の水面で脆く弾けた。




「はあ..... 残念だなぁ」


 未だにへにょりと意気消沈したままなロメールに飛び付き、よじよじと背中を這い登った小人さんは、にぱーっと笑い、肩越しにロメールを励ます。


「風があるじゃん。ウィルフェの婚儀が終わったらトルゼビソント王国へ行けば良いにょんっ」


 その言葉にロメールは眼を輝かせた。


「そうだね。風の精霊は竜なんだっけ? 物語でしか知らないが」


「そそ、こんなんだよ?」


 くるりと指を閃かせた小人さんの手に、ぽんっと現れたのは鈍色のドラゴン。サファードのイメージが強いのだろう、東洋のモノではなく、如何にも、それで飛べるのか? と心配になるような小さな羽がついた、西洋のずんぐりむっくりな竜である。


「これかぁっ、良いね、物語通りな勇ましい姿だ」


 先程とうってかわり、超御機嫌な大の大人。それに苦笑し、小人さんは克己をチラ見した。


 その視線の意味を察し、克己も小さく頷く。


 二人の間に流れる不可思議で共犯者的な空気。


 最近、常に共にある二人を周囲も訝ってはいたが、物申すまでには至らない。アドリスやザックも、気にはしているが嘴は挟まない。

 どうせ、後になれば説明があるだろう。小人さんの行動に理屈はない。


 だって小人さんだもの。


 この言葉は未だ健在で、小人さんの行動を妨げはしない。理由を知らずとも問題はない。それだけの信頼を、千尋は仲間と築いていた。


 若干名を除いて。




「やけに馴れ馴れしくないか? あの男」


「.....克己は僕達が生まれた時からの付き合いだから」


 小人隊とは別のベクトルで克己を訝る者達。


 忌々しげな声音のテオドールと違い、小人さんの前世を知る千早は、二人が生まれる前からの知己なのだと知っていた。

 だが詳しい付き合いまでは知らない。克己と千尋がどんな事をやって親しくなったのか。


 知らない二人の絆に、頭が狂いそうになる千早は嫉妬も顕に克己を睨めつけていた。


 千早の知る最初の記憶は、妹を抱き締めて号泣する克己の姿である。たしか、七夕祭りで盆踊りに興じたあの日。

 大の大人。それも男性が号泣するなど、父ドラゴでしか見たことのない千早は、あまりに衝撃的過ぎて、未だ記憶鮮明だった。


 そんな不穏な空気をはらむ弟達に、相変わらず空気を読まないウィルフェが近づいてくる。


「戻ったか。新年前には戻ると言っていたから心配はしていなかったが、存外早かったな」


 婚儀が近くなり多忙なはずの王太子。


 何でヒーロのいる時にはちゃっかり顔を出すかなっ?


 ある意味、ウィルフェもテオドールも千早にとっては敵だ。妹を娶ろうと虎視眈々狙っている。マーロウだってそうだ。


 やらないからね。ヒーロは男性に興味ないんだから。ずっと僕らと暮らすんだから。


 ぷくっと頬を膨らます千早を見て、何かを思い出したかのようにウィルフェは眼を見開いた。


「そうだ。ハーヤに縁談が来ておるぞ? トルゼビソント王国の王家からなので王宮が承っておる。確認して返事をいたせよ」


「は?」


 寝耳に水な千早は、伯爵家に書簡が届けられていると聞き、脱兎のごとく駆け出していった。

 それを横目で見やり、これ幸いとばかりに集団から離れようとする小人さん。


「ヒーロ? 何処へ行くの? 時間があるなら、ファティマも誘って御茶をしましょうよ」


 ウィルフェから小人さんの帰還を聞き、一緒についてきたミルティシアは声をかけるタイミングをはかっていたらしい。


「あ~、ごめん。ちょい、野暮用があってさ」


 にししっと愛想笑いで逃げていく千尋に首を傾げつつ、ミルティシアはそれについていく克己に眼が釘付けになる。

 キルファンでも滅多に見ない見事な黒髪に黒曜石の瞳。薄い顔立ちだがやや切れ長な眼は精悍で、双子の母親の桜皇女と、よく似かよっている。


 俗に言う醤油顔。


 混血の進むキルファンでは滅多に見ない弥生顔だ。千尋も切れ長な眼をしているが、大きな眼なので醤油顔とは言い難い。千早にいたってはドラゴ似なため、日本人の顔立ちその物からかけ離れている。


 思わず、うっとりと眺めるミルティシアの様子に気付き、不思議そうな顔をするウィルフェだった。




「お父ちゃんっ! 何か変な話が来てるってっ?!」


「おう、お帰り」


 暢気にソファーで寛ぐ父親に飛び付き、千早は上目遣いで窺うように聞く。

 それを見て思い当たったのだろう。ドラゴは頭を掻きむしった。


「あ~、アレなあ。どうする?」


 そう聞きながら、ドラゴはナーヤに書簡を持ってくるよう指示する。


「断ってっ!」


「だよなぁ」


 即答な息子に苦笑いのドラゴ。


 だがそこに現れた桜が、ナーヤの持ってきた書簡を持ち上げ、神妙な顔をした。


「そうも簡単じゃないのさ」


 桜は、王宮から連絡を受けて夫婦で書簡を受け取りに王宮へ向かった時の話をする。




「お断りしておいてください」


 千早に負けじ劣らじの速さで、国王に即答したドラゴ。

 呆気に取られる周囲を余所に、我関せずの姿勢で御茶をすする桜。


「いや、王家からの申し込みぞ? 他国の王族が輿入れなさるなど名誉な事ではないか? ジョルジェ家も公爵の仲間入りを果たせるぞ?」


 自国の王族ならば陞爵は一段階だ。しかし他国の王族ともなれば両国の面子もあり、最高位が与えられる。

 だがそんなものは暖簾に腕押し糠に釘。ジョルジェ家にとって微塵も興味はない。


「それを言うなら、家は王家みたいなモノなので。強要するならキルファンが黙っておりませんが?」


 そう。桜に忠誠を誓うキルファン王家は、是非にと、双子らに長くアプローチを続けている。

 それを差し置き、別の国の王族を迎えるとなれば、彼等も黙ってはおるまい。

 千早の意思なれば諦めてもくれようが、事をフロンティア王家が持ち込んだと知れば、烈火の如く怒り狂うことだろう。


 ドラゴの説明を聞いて、うっと喉を詰まらせるフロンティア国王。


 .....違いない。


 周囲を囲む側近らも、ダラダラと冷や汗を流す。だが、王家からの正式な申し込みを一蹴する訳にもいかないのだ。

 取り敢えず家に持ち帰り、千早に聞くだけ聞いてみてくれと国王から泣きつかれ、致し方無く持ち帰ったドラゴだった。


 しかし、それを読んだ桜は顔色を変える。




「確認するんじゃなかったよ。知らなきゃ断れたんだけどねぇ.....」


 差し出された書簡を読み、千早は首を傾げる。


「これの何が問題なの? 単に両国を繋ぐ架け橋となり、磐石な友好の礎になりたいって話でしょ?」


「それを教会に申し立てたってあるだろう? アルカディアの教会の意味を知っているかい?」


 桜は嫁いでから十年。時間を惜しまず、キルファンとは違うアルカディア大陸の歴史や法を学んできた。

 それで知ったのだ。アルカディアの教会に立てる誓いは、神々に誓う事なのだと。それも正式に誓いを立てれば、それは神々との盟約として効力が出る。

 魔力の復活する前なら単なる形式だった。多くの人々は、今もそのように認識しているだろう。

 しかし金色の環が完成した今、本当に誓いを立ててしまえば、それは効力を発揮する。


「つまり、この話を断り、両国の絆が結ばれない場合、神々から天罰が下る可能性が高いのさ。あちらさんは知らないかもだけどね」


 千早の顔からザーっと音をたてて血の気が下がる。


 トラウゼビソント王国は、これから魔力や魔法に関する知識を学ぶ。有史以来、魔法が失われた事のないフロンティアとは違うのだ。何百年も前に失われた知識を知る訳がない。


「.....どうしたら?」


「どうしたものかねぇ。知っていたのに断ったとなれば、あたしらが王女様を見捨てたことになりかねないし」


「..........」


 魔法に限らず、料理以外の知識に疎いドラゴは遠くを見つめて無言。大体は理解しているが、口を挟んで飛び火は御免である。


 そんな深刻な問題が実家で起きているとも知らず、小人さんは克己を連れてクイーンの森へやって来た。

 もちろん隣には仏頂面のドルフェン。


「.....貴様のために大迷惑だ」


「そうだな。悪りぃ」


 ふてぶてしい笑顔で答える克己に、眼を剥くドルフェン。一触即発な空気を両手で払いのけ、小人さんが低く呟いた。


「大概にせぇよ、ドルフェン。アタシがやりたくてやってるんだ。文句があるなら馬車から降りなさい」


 射殺さんばかりの眼光に穿たれ、ドルフェンは渋々引き下がる。


 森に到着した小人さん一行をメルダが出迎えてくれた。その巨大蜜蜂様の無垢な眼差しを一瞥し、小人さんはメルダにも話に加わるよう促してソレイユから聞いた事を説明する。


「.....死を遠ざける。そんな方法が?」


《神々の御心に抗うは容易くございません。御再考をお勧めいたします》


「神々に逆らうなどしてはならぬ事。翼を融かされ風に散ったイカロスの二の舞でございます、チヒロ様」


 イカロス知ってんのかい。


 意思の疎通も出来てないくせに、何故かシンクロしているメルダとドルフェンに苦笑いし、小人さんは話を続けた。


「やる、やらないじゃないの。やるの一択。さらには早急にがつく事態でね。無為な反論は良いから、建設的な話をしよう」


 何処か懐かしい気がする台詞を口にしながら、小人さんは周りを見る。


 呆然とした顔の克己。苦悶に眉を寄せるドルフェン。戸惑い、困惑気味なメルダ。


 ここから小人さんの秘密の悪巧みが始まった。

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