第9話 過去と現在と小人さん ~前編~
「あれからと今のフロンティアの状況?」
思わず瞠目するロメールの前には、一人の幼女。
御昼の賄いを食べたあと、千早はドラゴについて料理を習い、食べ専な千尋はロメールの執務室を訪れた。
ポチ子さんを連れたドラゴの娘。
かつての小人さんを彷彿とさせる幼女は、ロメールの後見と許可もあり、騎士団関係は言うにおよばず、文官関係の区域にも出入り自由だった。
知らず知らずのうちに着々と人脈や立ち位置を確保している小人さん。
無意識最強は健在である。
そうして訪れたロメールの執務室。
当たり前のように出された御茶をすすり、千尋はコクンと小さく頷いた。
「克己から聞いたよ。かなりキツい状態だって。ごめん、わざと遠ざかってた」
千尋は記憶が覚醒してから、一切の政治関係を尋ねようともせず、無邪気な子供として自由気儘に過ごしている。
もう、王宮に関わるのは御免だし、なるべく普通の生活がしたくて、わざと見ざる聞かざるをしていたのだ。
それをドラゴやロメールも望んでいたし、何も問題はないはずだった。
無いはずだったのだ。
キッと上目遣いにロメールを見上げ、小人さんは口を開く。
「あれから何がどうなったのか。今は何が足りず、何に困窮しているか。教えて?」
人目を憚る必要もない。ここにいるロメールの部下らは小人さんの中身を知っている。
ロメールと信頼があり、極親しい者しか入れない個人的スペース。ここに居る者らはロメールの腹心。
幼女を連れてやってきたロメールに頷き、千尋は、ここでも『ただいまっ』をやらかした。
絶句して顎を落とした彼等の顔は、未だに忘れられない小人さんである。
いやいや、鳩が豆鉄砲を食らうって、あんな顔なんだろうなぁ。前々前世から合わせても、長くはない人生だが、初めて見たよ、大の男のあんな顔。
そんなこんなで、この部屋では五年前どおりな小人さんなのだ。
「あれからか。長いよ?」
「いよ」
何かを考え込むように、ロメールは重い口を開いた。
チィヒーロあらため、ファティマの記憶が失われた事自体は大した問題ではない。
問題となったのは、その周辺。
チィヒーロの専属だったドルフェンや桜の処遇。当然、王家としては継続するつもりだったのだ。
だが、ファティマの中にチィヒーロがいない事を知る二人は、それを辞退する。
自分らは男爵令嬢に仕えていたのであって、王女殿下に仕えるには力不足であると。
天下の侯爵令息と元皇女殿下がである。
些か揉めはしたものの、それは受け入れられたが、そのせいで少なくはない確執が王家との間に生まれたらしい。
さらには孤児院で行われている小人さん印の御菓子販売。
けっこうな収益になる事業だ。こちらにもテコ入れが入りかかったのだとか。
王家と懇意にしている店舗にその権利を譲渡しようと、臣下によって目論まれたらしいが、それは蜜蜂らとロメールに阻止された。
「ファティマ王女殿下の権利でございましょうっ? その利益をどうしようと、王女殿下の自由であるはずです」
「なれば、そのようにクイーンに伝えましょう。蜂蜜がなくば成り立たぬ製菓です」
居並ぶ貴族らを見渡し、ロメールは有言実行。やってきたクイーンからお説教を食らうはめになった臣下らと、とばっちりな国王陛下は涙眼だったらしい。
激怒したクイーンは、王宮に蜂蜜を下ろさなくなった。
王宮に下ろされた蜂蜜の代金は、今までずっとジョルジェ男爵に支払われている。
だが、それはチィヒーロのものであり、王女殿下のものだとの意見が臣下からあがったのだ。
ドラゴ自身は大して興味もなく、譲渡に吝かではなかったが、クイーンはそうはいかない。
彼女は金色の王に蜂蜜を献上していたのであって、ファティマに献上する謂れはないのだ。
チィヒーロの養い親であったドラゴが得るなら文句もない。しかし、無関係なファティマが横から掠めとるのは許せない。
王宮に届けられる蜂蜜が途切れ、甘味に慣れた人々は大パニック。
孤児院に献上させようとして、護衛蜜蜂らに追い返され、ほうほうの態で逃げ出すはめになったとか。
結果、小人さん印のアレコレには手出し無用と国王陛下からの厳命が下り、事なきを得た。
他にも料理の利権や、小人さんの果樹園、男爵邸にたむろう魔物の譲渡など、あれやこれやと王家の威光を笠にきて、ファティマとハビルーシュ妃関係の貴族らが難癖をつけてきた。
まあ、それらもロメールやクイーン。はては金色の環の恩恵で移動可能となった主らが押し掛けて、国王陛下以下一同にお説教という名の脅しをかけて事なきを得ている。
ははは..... ツェットやジョーカーまで来たってか。そりゃ災難なことで。
あの巨体が押し寄せてきて、さぞかし王宮は胆を冷やしたことだろう。
思わず乾いた笑みを浮かべる小人さん。
こうして男爵家に関わるアレコレにも手を出すなと、怒り心頭な国王陛下から、厳命を通り越して勅命がおりたらしい。
軽く触りを聞いただけでも、えらい事になっている。
「で、まあ、静かになった頃かな。ドラゴがサクラさんと婚姻の申請をしたんだ」
おおっ、恋バナかな。親の馴れ初めとか、少し照れるね。
思わず身を乗り出した小人さんに苦笑し、ロメールは少し声のトーンを落として口を開く。
なんてこったい。
話を聞いた千尋の率直な感想だった。
何でも桜の身分が皇族か平民かで論争が起きたらしい。
既に亡国なキルファン。その皇女殿下である桜。身分からいえば、ドラゴとの婚姻は不可能だった。
だが、キルファンは失われている。ならば、市井に降りた皇女殿下は平民になるのではないだろうか?
後ろ楯もなく、財産もない。
複雑な問題だが、そこにまた、変な嘴を挟む輩が現れる。
皇女殿下であらせられるサクラ様には、王族との婚姻が妥当なのではないかと。
幸い適齢期の王弟殿下がおられる。と、ロメールを視界に入れる貴族達。
青天の霹靂に眼を丸くしたロメールだが、次には真っ黒な笑みで口角を歪めたのは言うまでもない。
阿呆ぅな戯れ言をほざいた者らは要職を逐われ、身分のアレコレに対応するため、ドラゴには現伯爵位が与えられたのだと言う。
話を聞いた桜は天を仰いだらしい。
「皇女とか、元娼婦に何を夢見てるんだかねぇ。いい歳をした男どもが」
女は夢見る時を過ぎるのが早い。凄絶な四半生を送ってきた桜は、切れるほどのリアリストである。
「そんなに卑下なさらなくとも。致し方無い事情があったのですし」
困惑気に言葉を選ぶロメール。
しかし、桜もドラゴも顔を見合わせて噴き出した。
「まあ、事情があったのは確かだけどねぇ?」
「ああ、貞操に拘るのは将来を誓ってからで良い。結婚しても浮き名を流すような不埒な御夫人など、掃いて捨てるほどおられるではないですか。少なくとも桜はそういった女性ではない。俺は知っている。それだけで良い」
微笑み合う二人に、ロメールは眼を見張る。
ああ、そうか。
この暖かい雰囲気は小人さんが居た頃と同じだ。
ドラゴには過去のアレコレなど大した問題ではないのだろう。
皇女殿下であろうと、娼婦であろうと、大切なのは今なのだ。それが全て。
これからは二人で作れば良い。
すきっと吹っ切れたロメールは、全面的にドラゴらに加勢し、二人の婚姻に協力した。
「と、まあ、ここら辺りが君の周辺かな。あとは知ってるよね?」
コクンと頷く小人さん。
それに眼を細め、ロメールは辛辣に口角を上げた。
瞬間、部屋の温度がサーっと下がる、底冷えになった空気に、流石のロメールの腹心らも思わず机から顔を上げた。
「次は国政だ。まずはアンスバッハ辺境伯」
鋭利な眼差しでロメールは忌々しげに口を開く。
何でも彼等は行方不明だそうだ。
大軍を率いてフロンティア国境に進軍してきたカストラートに弁明の余地はない しかし、小人さん拐取に関しては知らぬ存ぜぬ。さらにはアンスバッハ辺境伯らとの関係も全面否定。
フロンティアから兵士が進軍してきたから、応戦したに過ぎず、防衛であると突っぱねてきたのだとか。
確たる証拠もなく、面倒事も御免だったフロンティアは、それならばそれで良いと、話を打ち切ったが、そこでカストラートがごねた。
彼等の言い分によれば、国境沿いに生まれた森はカストラートの領域であり、所有はカストラートなのだと言う。だから明け渡せとの事。
一瞬、惚けたフロンティア側は、次には大爆笑。
好きにしたら良いと、すぐに駐屯する軍を引き上げた。もちろん、メリタも。
それで話は終わったはずだが、後日、カストラートから苦情が入る。
森が枯れてしまったと。フロンティアが何かしたのではないかと。
だろうなぁと人の悪い笑みを浮かべ、ロメールは森の仕組みを事細かに書き記してカストラートへと送った。
他の主の森と違い、金色の魔力のみで出来た森だ。枯れ果てるのも早かった事だろう。
カストラートがアンスバッハ辺境伯らを逃がしたのか、彼の御仁が自発的に逃亡したのかは分からない。
しかし目的の人物が消え失せた事で、フロンティアの怒りはカストラートへとスライドしている。
「あの時は、君が追い払っちゃったからねぇ。うっかり見送ったけど、後から捕まえておくんだったと後悔したよ」
軽く御茶を噴き出し、小人さんは、そーっとロメールを見た。
凍てついた怒気を隠しもせず、暗黒笑顔を浮かべるロメール。
当時は千尋の身柄を取り戻す事で頭が一杯だったのだろう。そして確保した後は安堵も極まり、些細な事に眼がいかなかった。
後日、あれもこれもと思い出して、なますに刻んでやるべきだったと吠えるロメールが部下らに目撃されている。
いや、ほんと、あん時はスンマせんした。
噴き出した御茶を袖口で拭く千尋を見咎め、ロメールは腕を外させると懐から出したハンカチで、小人さんの口元を拭った。
「ダメでしょうが。せっかくのブラウスが汚れるでしょ」
相変わらずの甲斐甲斐しさ。
大人しくロメールに御世話されながら、ちこっと嬉しい小人さんである。
しかし、話はまだまだ続く。しばらく後に、四年という月日の長さを実感させられる小人さんであった。
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