第181話 始まりの朝 ふたつめ
「取り敢えず、今の進捗の確認かな? 分かる人間を後で領主館へ寄越してくれ」
集まった人々にそう言い残し、パスカールはこれからの予定をたてるために領主館へ向かう。
年相応な少年の無邪気な笑顔。
駆け出した馬車を見送り、新たな領地の民となった人々は、嬉しそうに破顔した。
「王宮を追い出されたとお聞きしておりましたが、思ったより元気そうで安心しましたね」
「王宮など関係ないのだろう。パスカール様にとって、大切なのは国と民だ。自らの手で守れる領地を、ことのほか心配しておられたからな」
帰ってきた難民らとは別に、元々この地の民だった者らは、在りし日のパスカールを思い出す。
馬車に揺られて辺境の村々を回り、いずれここに領都を造ると説明に訪れたあどけない少年。
元の北辺境伯領から遠く離れた僻地だ。各村の者らは戸惑った。
今でも爪に火を灯すような貧しい生活なのに、これ以上痩せた土地で暮らす事は不可能だと。
その時は、皆がそう思ったのだ。
しかし、上の方々には逆らえない。
悲壮感を漂わせ、言われた通りに各村から代表を五人ずつ出して指定された土地を訪れた村人達。
そして彼等は辿り着いた土地に眼を見張った。
用意された馬車に乗り、やってきた地域は青々とした豊かな大地だったのだ。
最果ての村から馬車で丸二日くらい。荒涼とした地平線を無言で渡ってきた彼等は度肝を抜かれる。
いったい何が起きたのか。
こんな美しい土地の話は聞いた事がない。
唖然と立ち竦む村人達を、仮村の人々が笑顔で迎えてくれた。
「パスカール様の領地の方々ですね? ようこそ、山の森の主の土地へ。私は管財人のエトワールと言います」
山の森の主?
クラウディアには二つの主の森がある。一つは海辺の森。もう一つは平原の森。
そこには恐ろしい魔物が棲まい、人間などあっという間に食べられてしまうとか。
そんな恐怖の象徴が、この地にある?
思わず顔を凍らせる人々に一瞬眼を丸くした男性は、次の瞬間、困ったような顔で苦笑した。
「あ~、ねぇ? そうそう、分かります。魔物は怖いですよね。でも、モノノケは違うんですよ」
うんうんと頷きながら、馬車を出迎えてくれたエトワールは、仮だという開拓村の集会所へ人々を案内する。
仮だと称する村の家々。
それにもやってきた人々は度肝を抜かれた。
解体を前提に建てられた簡易的な家は、彼等が住んでいた最果ての村々よりも立派だったのだ。
忙しそうに行き交う人々の顔も明るく、聞いていた話と全く違う。
パスカール様は、我々が最初の領民だとおっしゃっていた。いずれ家族を呼べるように、開拓を頑張って欲しいと。
一から荒れた土地を開墾するものだと思っていた彼等は、すでに出来上がりつつある村を羨望の眼差して見つめる。
簡易村周辺は見事な建物が建築されつつあり、さらにはそれを取り巻くように道や家々を建てる予定の区画が割りふられていた。
「今は領主館を中心に四方へ大通りを展開させ商業区を形成しています。測量中なので、まだ大雑把な区画ですが、早急に行うのは農地の開拓ですね。街の区画周囲に、各村々から迎えた方々に新たな村を造ってもらおうとおもっています」
各職人らが忙しなく働く仮拠点。そこに蠢く見知らぬ物体が、新たな村人達の眼を引いた。
黒と白の不思議な生き物達。
チョロチョロと走り回るソレは、身の丈よりも遥かに大きな石材や材木を平気で抱えている。
「あれは?」
「.....森の主様の子供達です」
生温い眼差しで走り回るペンギンらを見つめるエトワール。
それだけではない。よく見れば、蜜蜂や蛙、蛇や蜘蛛など、普段は目にしない巨大な生き物が、そこここを闊歩していた。
初めて見る生き物達。それが主の子供らなのだとの説明に、再び度肝を抜かれる人々。
あれが魔物.....
アルカディアの人々のほとんどは、直に魔物を見た事がない。
辺境の森に近い所か、そこを依頼で訪れる冒険者らくらいしか魔物を見たことはないのだ。
だから目にした生き物達が魔物なのだとは、説明を受けるまで分からなかった。
噂で聞いていたモノとは違うな。恐ろしいとは感じない。むしろ..... 可愛くないか?
せっせと働くモノノケ達。
他の人々もソレを恐れている様子はない。違和感なく交わり、それぞれがやるべき仕事に没頭しているようだった。
信じられない光景を唖然と見守る人々の耳に、いきなり大きな声が聞こえる。
怒りを含んだような甲高い女性の声。慌てて振り返った人々の視界に映ったモノは、お玉片手の恰幅の良い女性に追われる蜜蜂だった。
「またアンタらかいっ! 御三時まで待てと言っているだろうっ!」
逃げ惑う蜜蜂が抱えているのは小さなパンのようなモノ。ソレを必死に抱き締め、嫌々と顔を振る蜜蜂。
その可愛らしい仕草に溜め息をつき、女性はお玉でコツンと蜜蜂の頭を叩くと厳めしげに睨みつけた。
「今回だけだからね? 次にやらかしたら、小人さんに言いつけるよっ?」
それを聞いた蜜蜂が、ぴゃっと汗をかいたように見えたのは幻覚だろうか。
アセアセと狼狽えつつも、蜜蜂は抱えていた何かを幸せそうに食べる。
如何にも至福と言わんばかりなその姿。
「あれは何を食べているんですか?」
「甘味ですよ。この村では三食と別に、御三時というオヤツの時間がありまして。皆に甘いモノをふるまうのです」
甘いモノっ?!
ぎょっとする人々を一瞥し、エトワールは然もありなんと苦笑する。
クラウディアだけでなく、アルカディアの世界の国々は甘味が乏しい。
甘いモノと言えば水菓子か干し菓子。あるいはそういった果物を煮詰めたシロップやペーストくらい。
そんな世界を席巻したのがフロンティア考案の数々の料理だった。
従来の料理を改良したモノから、全く未知のモノまで。多種多様な料理が彼の国から発信され始めたのが十数年前。今や各国で愛される料理に変貌している。
さらに世界を震撼させたのが甘味と呼ばれる甘い料理。
貴重な蜂蜜を使って作られる甘味は、この世の物とも思えない美味しさで、フロンティア有数の特産品に数えられている。
日持ちする焼き菓子が中心に売られ、他国にも輸出されており、その美味しさに誰もが魅了されたものだ。
一昔前は高価だった蜂蜜をさらに上回り世界を驚嘆させたのが砂糖である。
これは未だに高価で、貴族どころが王族らすら滅多に手に入らない。
なにしろキルファンでしか生産出来ないのだ。それもかなり限定的に販売されており、キルファンと懇意にしているフロンティアのみが自由に買い入れる事が出来た。
その砂糖が、何故かあるんだよね。この村に。
思わず乾いた笑みしか浮かばないエトワール。
フロンティアから当たり前のように届く蜜蜂便。これまた当たり前のように積まれていた砂糖を見て、初見の者らが絶句していたのも良い思い出。
そしてエトワールがチラリと見た蜜蜂の抱えているモノはパンケーキ。
お手軽に作れる甘味の定番である。
これにさらに蜂蜜やバターをのせるとか。贅沢も極まれりな食べ方を平気で指南していった小人さんを、この村の者らは誰も忘れない。
常識が違い過ぎる。
支援された物資を売って、領地経営に使いたいと言ったエトワールに、少女は大きく両手を交差してバッテンを作った。
「これは支援なのっ! ここで消費するモノなのっ! 領地経営に組み込んだらダメにょっ、ここで作られたモノじゃないんだからっ!」
言われてエトワールは、ハッと顔を上げる。そうだ、これは一過性のモノなのだと。
この先、領地を回すためには、この土地で生産した物を主幹におかねばならない。こうして援助された物を当てにする訳にはいかないのだ。
考え込んだエトワールに眼を細め、小人さんは働く人々に振る舞ってくれと多くの支援を寄せてくれた。
物資に限らず、職人や技術者も回してくれ、今はフルスロットルで領都を構築中。
そんな中、美味い食事と極上の甘味は、その威力を最大限に発揮する。
美味い物は人を幸せにしてやる気を起こさせるのだ。
毎日精力的に働く人々。
それを眼にして、エトワールは鱗がポロポロ零れ落ちる。
自分は目先の利益に目が眩んでいた。未だに蜂蜜や砂糖を村人らに振る舞うのを勿体無いと感じていた。
だが、蓋を開けてみれば、これだ。
十分な食事と甘味で満ち足りた人々の活躍により、領都の建築は予定より大幅に進んだのだ。むしろエトワールの指示待ちが列をなす有り様である。
嬉しい悲鳴を上げつつ、エトワールは小人さんの言っていた相乗効果というモノを膚で理解していた。
『一見、何の関係もなさそうなモノでも、実は複雑に絡んで世の中を回してるさぁ。特に御飯と楽しいは大切。明日の活力になるんだにょ』
にぱーっと笑って翔び去っていった少女。その説明の半分も理解出来ていなかったエトワールだが、ここにきて実感する。
眼に見えない効果が、ようやく誰の眼にも見え出した。
甘いモノのためなら、モノノケすら働くのだ。なんと分かりやすい事か。
甘味と聞き、そわそわしだした村人達。
「御三時になる前にキリの良いとこまで仕上げちまうぞっ!」
応っ! っと呼応する職人ら。
まるで子供のように無邪気な村人らに、思わずエトワールの顔が綻ぶ。
ああ、良い村だ。きっと素晴らしい領地になるに違いない。
そんなエトワールを不思議そうに眺める最果ての村人達。
一年も前の一幕を思い出して、人々は完成しつつある領都を満足げに見つめた。
パスカールが訪れるまでに間に合った。多くの人々が増え、今や立派な街になった。
「始まりましたね、新しい時代が」
「まだ始まりです。パスカール様を支えて磐石な領地にしないと」
頷き合う人々の横を蜜蜂が通りすぎる。その手にあるモノを見て、エトワールが、あっと声をあげた。
途端に響き渡る御婦人の怒号。
「また、アンタらはーーーっ!!」
お玉片手に飛び出してきた恰幅の良い女性から脱兎の如く逃げ出す蜜蜂達。その下には共犯らしい蛙や蛇も走っていた。
これが、この領地の日常になるのだろうと漠然とした予感に苦笑いのエトワール。
だが、それはとても幸せな風景に違いないと、彼は心の底から微笑んだ。
こうして、パスカールの領地は新たな朝を迎えたのである。
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