第182話 始まりの朝 みっつめ



「驚いたな.....」


 この一年の経過報告をエトワールから聞き、パスカールは歓喜に震える。

 領主館は完成は元より、商業区の整備や牧畜、農業も始まっていた。

 南向きな領主館を基軸に東が商業ギルドを中心とした技術屋区域。西に冒険者ギルドを中心とした歓楽街。それらを取り巻くように商業区は起こされている。


「十分な余裕は持たせてあります。倍の出店になったとしても対応可能です」


 青写真を広げて満面の笑みなエトワール。


 パスカールの目の前にある地図には、商業区の周りに居住区域があり、それを挟んで牧場や農地。それぞれ、ゆったりとした間隔で造られていて、まるで領都を中心に複数の村が集まったような形である。


「歓楽街は食事処や酒場、各物品販売の商店..... このあたりはともかく、娼館は必要なのか? 酒場も、まだ早くはないか?」


 今は人々の暮らしや生産、流通に力を入れるべきだろう。享楽に耽るような余裕は無いのではないか。

 首を傾げつつ尋ねるパスカールに、盛大に目を泳がせて気もそぞろな面持ちのエトワール。


「あ~っと..... この領地には主の森があります。当然、冒険者らが集まってくるでしょう。彼等に必須なのが、酒と女なのですよ」


 なんと説明したものか。いきなり難題にブチ当たってしまった。


 成人してすぐに王宮を逐われたパスカールは、王族の閨指導を受けていない。男性の性が理解出来ていないのだ。

 哀しいかな、男という生き物は女性の温もりを必要とする。かりそめの一夜でも良い。至福を求める。冒険者などという明日をも知れない荒くれ者ならば尚更だ。

 酒と女と美味い飯。これだけで彼等は生きて行けるのである。逆を言えば、それが無くては生きてゆけない。少なくとも、やる気は出ない。


 懊悩するエトワールを余所に、パスカールは小さく頷くと書類に許可の印を捺した。


「よろしいので?」


 驚くエトワールを見上げて、小さな領主は遠くを見るような眼差しをする。


「私は世間知らずだ。そなた達が必要だというのなら、きっと必要なのだろう」


 パスカールは新年を迎えてすぐに南辺境伯の元へ身を寄せた。領地を経営を学ぶためだ。それを脳裏に思い浮かべる。

 先人の老領主は、とてもパスカールを可愛がってくれ、あらゆる事を教えてくれた。


 その彼が言ったのだ。


『領主とは民を守り育む者です。それには民をよく知る者の力を借りなくてはなりません。領主一人で領地は回らない。如何に信頼のおける部下に仕事をさせられるか。そこが領主の本領でございます』


 部下に仕事をさせられるか? 給金を支払うのだから、仕事をするのは当たり前なのではないのか?


 きょんっと呆けるパスカールを好好爺な眼差しで見つめ、オーギュストは鷹揚に頷く。


『与えられた仕事をこなすのは当たり前です。それ以上に動いてくれる部下は稀有な者。大切になさいませ』


 この青写真を見ただけでパスカールは理解出来た。エトワールは南辺境伯の言っていた稀有な者だ。

 これから始めるつもりだった治水もあらかた終わっているし、何より人々が明るい顔で生き生きと働いている。

 エトワールは良い上役なのだろう。こういう人材の采配に間違いはない。

 ならば変に水を差したりせず、やりたいようにやらせるのが正解だとパスカールは自ら答えを出した。


 領地を治め人を守るのに必要なのは、パスカールを支えて、苦楽を共にしてくれる人間達である。


「私はまだ政を学び始めたばかりだ。取り返しのつかないような失敗もあるかもしれない。そのようなとき、なるべく大きな傷にならぬよう、そなたらにも力を貸して欲しい。そなたらが必要だというのなら、娼館もきっと必要に違いない」


 パスカールとて成人済みなのだ。そういった経験はなくとも知識はある。大人の事情は大人達の判断に任せ、自分は自分にやれる事をすべきだと、そう思った。


 適材適所。王宮の汚濁に溺れ、瀕死になった彼を救いあげてくれたのは優秀な宮内人達。身に染みて実感したパスカールである。

 彼等がおらずば、愚かな父達は間違いなく王女殿下から頂いた金子の全てを失っていたはずだ。

 中抜きは誉められた事ではないが、それが私服を肥やすためでなく、国や民のためならば英断だったとしか言えない。

 王が何をせずとも言わずとも。むしろ余計な事はやらせずに、上手く誘導して正しく政を行っていてくれた臣下達。


 ああいう関係になれたら良いなぁ。


 パスカールはエトワールを見上げて、悪戯げに微笑んだ。


 領主に必須なのは人知を越えた力でも、優れた頭脳でもない。人としての正常な判断力と、優秀な人材を見分ける眼。そして、その人材が実力を発揮出来るように、緻密に手綱を取れる柔和な裁量である。


 こうして基本的な実務の自由裁量をエトワールに与え、パスカールは農場や牧場を確認した。

 すでに一年に亘り牛や羊を育ててきた土地を開墾し、畑にしているらしい。家畜が草を食み、糞尿を垂れ流してきた土地は良く肥えていて、作物の育ちも良く、今年から結構な収穫が見込めそうだとの話だ。


「お預かりしていた金貨で十分な家畜を買えました。乳製品や加工肉の生産も順調です」


 金貨一億枚を手に入れた父王らがパスカールにも分け与えた金貨千枚。それを元手にして、エトワールは指示を受けた通りに酪農を始めていた。

 国王達が手にした金額からすれば微々たるモノだが、通常の領地を運営するには十分な金額である。何事もなく順調に酪農が軌道にのれば、失った分もすぐに取り戻せよう。


 他の領地の支援も考えなくてはならないし、パスカールにはやりたい事が山積みだった。


 南辺境伯に小人さんがした入れ知恵。


 平原の主の森を失ったクラウディアの土地は痩せて荒廃していく。だから、土地を肥やす努力をしなくてはならない。無理に作付けしても実りは得られない。


 件の少女は平然と宣う。


 まるで天から呪いを受けたかのような衝撃をパスカールやオーギュストは受けた。


 だが、それを凌ぐ方法も彼女は残してくれる。


 酪農を始めると良い。家畜の糞尿で土地を肥やし、その畜産品で今を凌げ。そうすればクラウディアにも未来はあるだろう。


 小人さんは知っていた。全く魔力を持たない大陸が、現代日本人の知識を借りて、フロンティアにも劣らないほど豊かな国を築いていた事を。


 今は亡きキルファン帝国。小人さんの母親である桜の祖国だ。


 それを知る少女は、詳しい知識を持つキルファン人らも南辺境伯領とパスカールの北辺境伯領に回してくれていた。

 実際に長年土壌改良に明け暮れてきた彼等の的確な采配で、両辺境伯領地はみるみる生産性をあげる。酪農も順調だ。チーズやバターが食卓を彩る豊かさである。


 本当に..... 小人さんには、どれだけ感謝してもしきれないパスカール。


 大いなる幸運に恵まれた彼の領地経営は思いの外順調に進んだ。

 そこかしこを歩き回るモノノケ達により治安も良く、地産地消で流通税のかからない物品が回り物価も安い。

 景気の良い所には人が集まる。何もかもが足りていない新規開拓の街には、多くの仕事があり、その物資確保のため冒険者らも賑わっていた。


 パスカールが来てから早一年。


 街は最初の頃と見まごうほどに変わる。


「皮が足りていません。兵士らの軽鎧が間に合わないです。あと、得物も青銅では心許ないかも..... 王宮騎士達は鋼の武器を持っていますから」


「せめて胸当て部分だけでも鉄に出来ないだろうか? 革では兵士達の命を守れぬ」


 難しい顔で相談するパスカールとエトワール。

 彼等にとって急務なのは、元北の辺境伯領だった隣領地との境の防衛だった。

 まだパスカールの領地に名前はない。良い名前が思い浮かばず保留にしてある。そんなことよりやらねばならない事が沢山あったからだ。


 その一つが防衛線。


 レオンの森が存在するパスカールの領地は外敵を心配する必要がない。領地全てを網羅する主の魔力が、あらゆる侵入者を発見し蹴散らしてくれた。

 むしろ警戒すべきは内側。クラウディア国内である。

 パスカールの領地が豊かだと知れば、父王達が見逃すはずはない。あの手この手で奪い取ろうと画策するだろう。


 その矢面に立つのは、たぶん隣領地のアンダーソン家だ。


 この一年で悪化した彼の領地では餓死者が続出している。今もこちらに民が流れてきている状況。小人さんの予想した最悪が現実になった。

 他の領地からも逃げ出す領民が増え、南辺境伯の手引きでカストラートへと送られている。


 そこまで辿り着けない民は、逆の北辺境伯を目指してくるのだ。


 幸いパスカールの領地にはモノノケらがいる。森の主レオンの采配の元、モノノケ達は放浪する難民らを拾ってきてくれた。

 初めて見る魔物に恐れ戦きながら、やってきた難民はパスカールの領地に眼を見張る。


「あああ、生まれた土地を捨てた甲斐があった。御願いいたします、どんな仕事でもやります、ここに置いてくださいませっ」


 涙ながらに土下座する難民達。


 パスカールは王に疎まれていて、自分の領地から出る事を許されていないため、噂話程度にしか国の実情を知らなかった。

 次々と雪崩れ込む難民らから詳しい話を聞いて、初めて祖国の危機を知る。


 想像を絶する状況を。


 聞けば、上部は取り繕われているらしい。王宮は税の納められない領地に還付金を回し、形だけでも納めているように見せ掛けていた。

 中抜きされた金子が役にたっているようである。

 しかし、だからと言って収支が増える訳ではない。あるべき収穫がないため、民は飢えている。飢餓状態だと言っても良い。

 小人さんの提示した方法を試した領地もあるが、全くの未知の政策だ。手探りでカツカツな日々が続いていて、思うように捗らなかったとか。


 結果、民の口を糊するには足らず、一部を除いて人々らが逃げ出す領地が増えている。


「なんということだ.....」


 パスカールは天を仰いだ。


 二年ももたずに破綻するとは。甘く見すぎていた。


 きっとこれは宮内人らにも予想外だったに違いない。まさか、各領地が民を養うことすら不可能になるなど、思いもしなかったのだろう。

 税を立て替えれば、各々くらいは何とか出来ると考えたに違いない。

 それほどまでにクラウディアという国は主の森に依存していたのだ。これが、豊かな大地を支えていた森を自ら枯らした愚かな国の末路か。


 固く眼を閉じるパスカールに、おずおずと誰かが声をかける。


「これは不味いです。飢えは人の思考を最悪に傾けます。この土地の豊かさを知れば.....」


 剣呑に眉を寄せるエトワール。


 あとは聞かずとも理解出来た。


 奪いに来るだろう。


 無いのであれば、有る処から奪うしかない。古今東西、掃いて捨てるほど起きた話だ。同じ国内でも内乱になる。

 いくら生産高があるとはいえ、パスカールの領地だけでクラウディア全土を賄うことは出来ない。

 領地を守るためには戦うしかないのだ。


「南の防壁構築を急がせよう。兵士らの訓練も怠らずに」


 苦悶に震えるパスカールの声。


 それに恭しく頭を下げ、エトワールは足早に領主館へ駆け出していく。


 予想はしていた。その内、国王らがパスカールの豊かな領地に気づき、奪いにやって来るかも知れないと。


 いや、きっと来るだろうと。


 だから防壁を南に完備し、専門職の兵士達を編成、育成して、万全で事にあたるつもりだったのだ。

 フロンティアに倣い、防衛のための兵士は職業軍人として育ててきた。毎日訓練に明け暮れてきた兵士達は王宮の騎士らとも渡り合えるだろう。

 そのための防具や武器の相談もしていたところである。なるべく良い物をと話していた。


 だけど..... それは、こんな事のためじゃななかったんだ。


 生きるために死に物狂いな領主や民らと戦うのに用意した訳ではない。


「なんで、こんな事に.....?」


 頽おれうずくまるパスカール。絶望でうちひしがれる彼に誰も声をかけられない。かける言葉が見つからない。


 新たに迎えたはずの夜明けは光さしそむるモノではなくなり、望まぬ暗雲を立ち込め始めた。


 轟く雷雲の訪れを予感して高まる緊張。


 これを打破して撃ち進むしかない、まだ十六歳になったばかりのパスカールだった。

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