第183話 始まりの朝 よっつめ



「困りましたね」


「還付金を増やすしかあるまい。民らが潰えては本末転倒だ」


「ここまで酷い状態になろうとは.....」


 重苦しい空気が漂う室内。


 ここはクラウディア王宮。その最奥に集まり、財務を与る者らが深刻な面持ちで話し合いをしていた。


「五年はもつと豪語してしまいましたね」


「あの時は、誰もがそう思っていた。豪語などではないよ。幸い、まだ金子に余裕はある。これ以上死者が出ぬうちに救援を回そう」


 萎れる若者を見つめ、柔らかく微笑む壮年の宮内人。


 このような状況になるやもしれないと、パスカール殿下は仰っておられた。フロンティアの少女、金色の王から、そのうかがったのだと。

 平原の主の森を枯らしてしまったことで、クラウディア内部は金色の環から弾かれた形になっているのだ。

 中央区域をなぞるように湾曲した山脈を、南と北の森が一直線に繋がる形で金色の環が形成されてしまい、その外側になるクラウディア王国は輪の恩恵を受けられなくなったらしい。

 平原の森が健在であれば、その内にクラウディアも入る事が出来たはずだった。


 歴代の国王達が森の主を蔑ろにし、そのチャンスを棒に振ってしまったのだ。


 この二年で荒れ始めた大地は、容赦なく人間に牙を剥く。まるで嘲笑うかのように作物は育たず、元から存在していた緑も朽ちて薄くなりつつあった。

 人々の努力もあり、それなりの実りを享受出来ていたクラウディア。貧しくはあれど、民が飢えぬ程度の収穫を得られていたのは主の森があったおかげ。


 今になって実感する。それが事実に違いないのだと。


 完全に枯れ果てた平原の森には、巨大な古木が折り重なるように倒れており、まるで白骨が積み重なる墓場の如き有り様である。

 荒涼とした大地を無惨に埋めつくし、見渡す限り広がる広大な墓所。


 確認に訪れた王宮の人々は唖然とし、言葉もなかった。


 同行してきたウィーズリー男爵のみが、嬉々としてあちらこちらを走り回って資料を集めている。彼は歴史家であり、魔物の研究者でもあるからだ。


「森の近い辺境は豊かなのです。魔物に襲われる危険を承知しながらも、代々人々がそこに村を作る理由なんですよ。やはり、大地の豊かさと魔物には密接な関係があったのでしょうね」


 ペラペラとノートをめくって片端から書き込む彼を見据え、王宮の者達は反論の余地がない。

 年々収穫が落ちている報告は上がっていた。それに主の森の衰退が関与しているのではないかとウィーズリー男爵はずっと言っていた。

 ウィーズリー家は研究職の家系で、長らく魔物研究を続けてきた男爵家に残る研究資料から、彼はそう判断したのだ。

 南辺境伯領を訪れて何度も現地を調査し、森に近いほど豊かであると結論を出した彼は、平原の森が朽ちていっているのは過去の悪行が原因なのだと、ずっと声を上げていた。


「我が国の英雄譚として語られている五代前の国王陛下のお話。主を従え、その力を削ぎ、洞窟と大地に封じたという伝説。これが我が国を衰退に至らしめた原因ではないかと存ずる」


 聞きようによっては不敬を通り越して叛逆にも取られかねない発言を平気でしていたウィーズリー男爵。

 真っ向からの王家批判だが、彼が研究の虫で、口にする発言の全ては思いつき。他に他意はないと知る者らによって、その世迷い言が国王の耳に届く事はなかった。


 今回、彼の研究の正しさが証明された訳だが、だからと言って、どうしよもない。


 陰鬱に項垂れる宮内人達。


 しかしそこへ、つと騎士らが通りかかる。


「こんな所で何をなさっておられるのか」


 訝しげな騎士に、宮内人らは力なく微笑んだ。


「備蓄の計算をしておりました。かき集めても焼け石に水。いったいどうしたら良いのかと」


 嘘は言っていない。中抜きした金子の事を黙っているだけな宮内人達。

 それを聞き、騎士も痛ましそうに眼をすがめる。


「民らに餓死者が出ていると聞きます。僅かばかりですが、我が家からも支援を回しましょう」


 この騎士は近衛兵を束ねる隊長のプリュトン侯爵。王宮における良識派の一人で、追い出されるパスカールを最後まで擁護していた人物だ。

 公的に支援を開始するには時間がかかる。それまでにどれ程の被害が起きるか予測もつかない。事はぬきさしならぬ所まで侵食していた。


「まずは教会に寄進を集め、炊き出ししていただくのが良かろう。教会は一枚板。資金さえあれば行動は揃うし迅速だ」


 国境を越える組織、アルカディア聖教会。


 橫の繋がりが多岐にわたり、神々の教えという堅固な絆で結ばれた聖職者達は、国よりも早く民間の支援を行っていた。

 それでも無い袖は振れない。手元不如意なのは、正しくあろうとする聖職者達の常である。中には私腹を肥やそうとする馬鹿野郎様達もいるにはいるが、仮にも双神の代理人を名乗る者が悪事を働けば天罰覿面。

 運に見放され、汚名をすすぐ機会も与えられず放逐される。さらには大抵、重い病を得てこの世を去る。


 因果応報が闊歩する不思議世界。仮にも神に仕える者に悪事は働けない仕様になっていた。


 これに当たらないモノもある。以前、フロンティアで孤児院を切り捨てた件だ。

 これは取捨選択にあたり、人間の自由意志。他にも聖職者以外の悪事に神々はノータッチである。ただし、聖職者同様、運には見放される。良い死に様は望めないだろう。


 そんなこんなで、因果応報の順番が回ってきたクラウディア。


「ありがとう存じます。教会各位は自己判断で動いている様子。支援すれば独自のルートで食糧などを手に入れるでしょう」


 そう。国境を持たない教会は橫の繋がりが強いため、仲間への支援を惜しまない。

 ただ、現在のクラウディアは、その教会そのものが機能不全な状態であるだけ。


 二年前に南辺境伯領の司祭に暴挙を働き、さらにそこから芋づる式に貧民や獣人らを迫害していた事がバレて、クラウディアから教会は手を引いた。

 聖職者は言うに及ばず、それに付随していた治癒院や孤児院も全て別の国へ移動してしまったのだ。

 残ったのは、クラウディア生まれの僅かな聖職者見習い達。彼等はまだ正式な教会の聖職者ではなかったため、本人らの意志で残ってくれた。教会側も黙認してくれている。

 見習いとは言え聖職者だ。民らも無体は働かず、むしろ必死に頑張る彼等の辿々しい弔いや祝福に感謝していたのだが..... 


 今回の事態で人心も荒み始めた。


 何の役にも立たない見習い達を詰り、教会の本分を果たせなどと要求しているらしい。

 無論、ほんの一部だ。多くの民は、自ら残ってくれた見習い達を暖かく見守っている。


 .....だが、それも何時まで続くか。


 慢性的な飢えが国に蔓延り始めた。貧民には餓死者も出ている。さすがに傍観出来なくなったのか、教会も、見習い達に支援物資を送ってきていた。それにより、いくらかの炊き出しがされているらしいが、焼け石に水だろう。


 飢えは簡単に人間を獣へと変貌させる。


「パスカール殿下の縁を頼ってフロンティアに救援を求めることは出来ないだろうか?」


 やや控えめに口にする宮内人。


 それは誰もが考えた。一番確実で現実的な方法だ。


「無理だろうな。今の国王が、あの方である限り」


 ネックは現クラウディア王。


 クラウディア国王はフロンティアを怨みきっている。未だ事あるごとに忌々しげに罵っている。

 あの御方がフロンティアへ救援を要請するはずはない。国王の要請でなくばフロンティアも動けない。下手に支援を送れば、それは内政干渉だ。やれても精々パスカール殿下個人にあてる程度。

 だが、そんなことをすればクラウディア国王が烈火の如く激怒するだろう。火を見るより明らかである。


 パスカール殿下に要らぬ火種を持ち込まれても困る。ただでさえ国が疲弊しているのに、内乱まで起きたら目も当てられない。


「フロンティアからの支援となると南辺境伯領を通過せねばならない。多くの眼に触れ、王に隠しおおせる事は不可能だろう。無理だよ」


「そうだな..... 我々で何とかするしかなかろう」


「パスカール殿下か.....」


 意気消沈する宮内人らを静かに一瞥し、プリュトン侯爵は窓から空を振り仰ぐ。

 大人しい王子殿下だと思っていた。本を好み、武術が苦手で、でしゃばらず常に一歩退いたような影の薄さ。

 それが韜晦だったのだと気づかされたのは、二年前の大騒動の時。




「ねぇっ、君っ! 彼女を案内したい所があるんだっ!」


 阿鼻叫喚の大広間片隅で、幼い王子は魔物に話しかけていた。パスカールが襲われていると勘違いしたプリュトン侯爵は、思わず眼を見張り、槍を構える。


 しかし、どうやら様子がおかしい。


 陰に隠れたまま侯爵が様子を窺っていると、先程の蜘蛛に連れられてフロンティアの王女殿下がやってきた。

 二言三言、言葉を交わした二人はしっかりと手を繋ぎ、地下への階段を降っていく。その後を追う護衛らしき者ら。

 その後を、そっと付いていった侯爵は、地下の獣人らの惨状に眼をすがめた。


 家畜にも劣る劣悪な環境。これを侯爵も知っていた。だが、何も出来ない。


 獣人はクラウディア王国の貴重な財源だ。そこから俸禄を貰っている自分に何が言えようか。愚かに欺瞞を舐めるようなモノ。自己満足でしかない。

 王宮では似たような気持ちを持つ者は多い。何とかしてやりたいと。でも、何も出来ない。皆がそう思っていた。


「説明、プリーズぅぅっ!」


 何が何やら分からないのだろう。フロンティアの王女殿下が奇声を上げると、瞬く間に地下への入り口が蜘蛛らの糸で封じられる。


 しまったっ!


 思わず狼狽えたプリュトン侯爵だが、その入り口からボソボソと聞こえる微かな声。

 切々と獣人らの現状を語るパスカール。その理路整然とした説明に、侯爵は瞠目する。

 まだ成人もしていない王子だ。生まれてからずっと当たり前に地下の獣人らを無言で見つめてきていた御方だ。他の王族や貴族ら同様、大して獣人に興味があるとは思っていなかった。彼が獣人らを見る瞳に、なにがしかの感情が浮いていた事はない。


 .....ないと思っていた。


 咽び泣くように獣人らの悲惨な有り様を訴えるパスカール。力ない己を卑下するかのような彼の声は無様にも震えている。


 こんな激情を何処に隠しておられたのか。


 侯爵は自身の知らぬ王子の姿に衝撃を受けた。


「御願いします、助けて.....っ」


 幼い喉から絞り出される懇願。


 パスカールは知っていた。何も出来ない現実を。だから、力有る者がやってきたチャンスを掴もうと手を伸ばしたのだ。

 力ないは侯爵も同じ。国王に逆らうなど思いも及ばない。今とて、耳にしているパスカールの言葉が信じられなかった。

 無害でおっとりと笑うだけの第二王子。控えめで、これといった技能もない平凡な子供だと思っていた。


 そんな彼の盛大な叛逆。父王や兄殿下を裏切り敵に回す行為。こんな事を考え、実行に移す方だとは思ってもみなかった。


 苦々しげに奥歯を噛みしめ、プリュトン侯爵は不甲斐ない己を呪う。


 あんなに小さな王子が心正しくあろうとしているのに、近衛隊長である自分は一体何をしているのか。

 何も出来ないと諦めていた自分は、フロンティア王女殿下を煙たがった。要らぬ面倒を持ち込んでくれるなと見下げていた。

 自分が、そんな役立たずな事を考えていた時、パスカール殿下は獣人を救う千載一遇のチャンスを必死に考えていたのか。


 どのようにして王女殿下に頼むか。王女殿下に接触するか。ずっと機会を窺っていたに違いない。


 情けない..... 自分は、そんな事にも気づいていなかった。


 パスカール殿下は、この先、針のむしろになるだろう。真っ向から国王陛下達に歯向かったのだ。生半可には終わるまい。

 最悪、王籍剥奪。どこぞの離宮に幽閉。この辺りは逃れられないやもしれない。


 だが、出来れば..... 


 出来れば王宮に残して差し上げたい。我が家あずかりにして、蟄居という訳にはいかないだろうか。


 あれこれ考えるプリュトン侯爵。


 彼は後日奮闘したのだが、軟禁などと言う生温い事をクラウディア国王は許さなかった。


 結果、パスカールは王籍剥奪の上、辺境へと追い出され、侯爵は悔恨に苛まれる。


 気づくのが遅すぎた。完璧に牙を隠していた若獅子の存在を見抜けなかった。正しき為政者の精彩を宿した若者が傍にいたのに、むざむざと失ってしまった。


 今頃、どのように貧しい暮らしをしておられることか。ひょっとしたら、まともに食べる事も出来ていないやもしれぬ。

 あの優しい王子が、民を差し置いて自分だけ食べるような事はないだろう。自身の食べる分すら民に与えてしまうような御方だ。


 プリュトン侯爵は胡乱な眼差しで城下町を見下ろす。食糧難な街は冴えざえと冷え込み、ポツポツとした僅かな明かりしか灯されていない。


「パスカール殿下もお困りだろう。様子伺いを兼ねて、食糧でもお持ちしようか」


 今更だと自嘲しつつも、諦め切れないプリュトン侯爵。


 しかし、彼は知らない。


 小人さんが蜜蜂馬車をかっ翔ばし、バンバン、パスカールに支援を送りまくっていることを。

 貧しいどころが順風満帆。難民込みで三万以上の民を抱え、今の王都よりも充実した街で暮らしている事を。


 後日、北の辺境伯領を訪れたプリュトン侯爵は、立派な防壁に驚き、見事な街に眼を剥き、元気なパスカールに号泣する。

 そして一丸発起。王都へ取って返した彼は、思い切り良く近衛隊長を辞し、パスカールの許へ再就職した。統制の取れた自身の私兵を連れて。


 そんな幸せな未来が待ち受けている事を、いまのプリュトン侯爵は知らない。

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