第180話 始まりの朝 エピソード・パスカール 



「ここが我が領地か」




 見渡す限りの豊かな草原。




 父王の不興を買い、王宮を追い出され辺境開拓を言いつけられたパスカールは、ふっくりと眼を細めた。


 心が躍る。何も無かったはずの荒野に用意された極上の土地。




 ほんの半年ほど前までは荒涼とした大地が閑散と地平線まで続いていた土地は、一人の少女によって青み深い草原へと変貌させられていたのだ。


 それも主の森つきの大盤振る舞い。風をはらんで泡立つ美しい光景。




「これまで学んだ事を生かして領地を経営せねばな」




 新年で成人したパスカールは、その年の春を転機として自分の領地へやってきた。あらかじめ建てられた領主館を中心に街を造り、領民を増やしていく予定である。




 嫌でも増えるだろう。急がないと。




 辺境に点在する五つの小さな村に報せを送り、村の代表として領都で暮らす人々を呼んだ。すでに領主館周辺に建てられた民家で暮らしているはずだ。


 どの村も貧しく小さい。この土地が新しい辺境伯領になると聞いて、期待と不安がないまぜになっていることだろう。


 全ての村を合わせても人口千人にも満たない領地だ。あらかじめ報せておいたとはいえ、成人したばかりの子供の領主を心許なく思うに違いない。




 せっかく小人さんが用意してくれた土地だ。頑張ろう。




 悲壮な決意を心に誓うパスカールだったが、領主館に着いた途端、その覚悟は裏切られた。良い方向に。








「領主様だっ! 領主様がいらしたぞっ!」




「ああ、本当に、ここに街が出来るのね?」




「なんと、ありがたいことか!」




 多くの人々が出来たばかりの街道に、わらわらと姿を現した。その数、百はいるだろう。


 領都とはいえ、まだ開拓は始まったばかりなはずなのに、そこには街が出来ていた。


 堅牢な石材を豊富に使った立派な民家が建ち並び、その左右には開けた開墾地。その向こうに見える鮮やかな緑の絨毯は畑だろうか。青々とした植物群がすくすくと育っているようである。




 人の生活感が漂う暖かな街。




 何がどうして、こうなった?




 慌てて馬車から降りたパスカールの前に、一人の老人が進み出た。


 白髪の小さなお年寄り。だが、その瞳に輝く光は炯眼で、あらゆる辛酸を舐め尽くした者独特の精彩を放っている。


 立ち居振舞いから積み上げた歴史を感じさせる老人は、泣きそうな顔でパスカールを見上げた。




「我々は元南辺境伯領の貧民です。街を逐われ途方に暮れていたところを教会に匿われ、さらにはフロンティアの王女殿下により救われた者です」




 言われてパスカールも思い出した。




 小人さんと呼ばれる少女が、どうしてクラウディア王宮に喧嘩を吹っ掛けて来たのかを。


 街で見つけた貧民達と、それを庇い、捕縛されてしまった教会の司祭を助けるために、彼女は全力でクラウディア国王に喧嘩を高価買い取りさせたのである。




 その御値段、金貨一億枚。




 豊かさの源である主の森を失ったクラウディア王国を哀れにでも思われたのか、彼の王女殿下は獣人らを買い取る形式を整え、気前よく大金を投げて寄越した。




 だが、その金子も.....




 パスカールは気まずげに人々から眼を逸らす。


 国家予算十年分にもあたる莫大な金額。その全てを、愚かな父と兄は溶かしてしまった。


 毎日豪遊し、他国の高価な物品を買い占め享楽に明け暮れたあげく、その自堕落な生活に味をしめてしまい、臣から金子を巻き上げようと画策する始末。




 その出来事で発覚したのは、父や兄が政を知らない事だった。




 基本としては知っているが、政策、政略というモノを知らないのだ。あまりに杜撰で幼稚な政務に恐怖を覚えた臣下達により、父らには認可の書類のみが回され、国を与る政は王宮の優秀な頭脳達で回されていた。


 国を乗っ取ろうなどと考える悪人がいなかったのが幸いし、貧しい我が国のために粉骨砕身、文字通り身を粉にして働いてくれていた彼等に、パスカールは感謝しかない。




 いや。ある意味、クラウディアにとって不幸だったやもしれない。




 王宮の臣下達が優秀過ぎたため、国王らのていたらくが発覚せず、長く民らを苦しめる事になってしまったのだ。




 とにかく、これ以上の浪費を防ぐため、パスカールは信頼のおける者に頼み、父らの購入した物品を離宮に隔離させる。


 いざとなったら売り払い、国庫の足しにせよというパスカールに、その臣下は瞠目し、次にはうっそりと人の悪い笑みを浮かべた。




 少しでも政が楽になるよう、あらゆる手段を講じて、パスカールは打てるだけの手を打つ。


 これでも安心は出来ない。焼石に水かもしれないが、それでも無いよりは絶対にマシである。




 そう一人ごちるパスカールを、数人の宮内人らが物言いたげな顔で静かに見つめていた。




 そんなこんなで数日後。パスカールが城を追い出される時、一人の文官がこっそりと彼に耳打ちする。




「フロンティアから支払われた金子は中抜きしてございます。支出に交ぜて金貨三千万枚ほど。上手く運用すれば、五年は安泰にございます。なので、心置きなく領地経営に邁進してくださいませ」




 思わず間の抜けた顔をし、眼を真ん丸に見開くパスカール。


 見れば、見送りに出ている臣下らの殆んどが、したり顔で笑っていた。




『将来有望♪』




 ここに小人さんがいたならば、きっと、そう称賛したことだろう。




 満面の笑みを浮かべて旅立つパスカールを見送り、臣下らは顔を見合わせる。




 希望の星が舞い降りた。彼等は、そう感じたのだ。




 汚濁の渦巻く王宮において、あれほど正しくあろうとする王子殿下は貴重だ。しかも長年、それをおくびにも出さず、辛抱強く機会を窺い、ここぞと言う時に電光石火で動かれた。


 あの時、王女殿下の手を取り、地下へと真っ直ぐ駆け抜けた少年。モノノケを恐れもせずに使い、小人さんと一緒に獣人らを解放したパスカール。




 獣人らの処遇に心を痛める者は王宮にも多かった。時代が流れ、良識も変わり、他国の..... 特にフロンティアの影響を受ける人々。


 身分の低い者ほど、その影響は顕著だ。自由に憧れ、幸せは手を伸ばして掴み取るモノだとの認識が民に拡がりつつある。




 国を変えよう。ダメなら国を捨てよう。我々がいる場所がクラウディアなのだ。




 そんな自棄っばちな声すら聞こえてくる昨今。




 今まで静かに潜んでいた獅子が眼を覚ました。誰に気づかれもしなかった叛逆の種。密かに芽を出して好機を窺っていた子猫が獅子に変貌する瞬間を垣間見、王宮の人々は感動する。


 国王にも兄殿下にも怯まず、獣人らの自由を主張した弟王子。




 爛々と輝く若獅子の双眸に、固唾を呑んだ臣下達。




 居るではないか。我が国にも、真っ当な王族が。




 あの日の高揚感を忘れはしない。




 パスカールの馬車が見えなくなっても、彼等は王宮前に佇んでいた。




 お征きなさい、貴方様の道を。貴方様がお帰りになるまで、この国は我等が御護りしましょうぞ。




 多くの期待の眼差しに見送られ、未だ寒さの抜けきらぬ朝方の空気に白い帯を残し、パスカールは新天地を目指して駆け出した。








「そうか、そなたらは帰ってきてくれたのか」




 思わず涙ぐみ、パスカールは老人の手を取る。


 痩せて節くれだちゴツゴツした手。働き者独特の手だ。




「はい。若者らは新たな地を選びましたが、我々はどうしても..... 祖国を捨てられませなんだ」




 フラウワーズ方面に造られた獣人の村。


 そこを終の住み家にしようと思っていたクラウディアの貧民達だが、しばらくして信じられない朗報を耳にする。


 獣人の解放に協力した弟王子が王宮から逐われ、北の辺境伯となったと。


 それで、その地の開拓のための職人がキルファンで募集されていると言うではないか。




 耳を疑う話に瞠目し、結局、難民の半数にあたる年配者達は、遠征する職人らに便乗し、祖国に戻る道を選んだのだ。




「ありがとう。クラウディアを見捨てないでくれて。本当に、ありがとう」




「そんな、もったいないっ!」




 自分の手を額づけ、嗚咽を上げるパスカールに、慌てる人々。だが、その顔は面映ゆそうに眉を寄せている。




 こうして百人からなる人々が力を合わせ、パスカールが訪れる前に街を作り上げたのだ。もちろん、主の子供らもチョロ助し、大いに建築を手伝ってくれていた。




 モノノケをよく知り、忌避感もない元貧民達。新たな季節、新たな時代が幕を上げる。




 明るい笑顔に満たされた穏やかな街に、パスカールは己の人生の一歩を記した。




 ここに小人さんらや、森の主らが乱入するのも御約束だ。




 これから起きるだろう破天荒な人生など、今のパスカールに知るよしもない。合掌♪

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