第45話 魔王生誕と小人さん


「おお、そういう時期ですなぁ。御入学おめでとうございます」


 ロメールから呼び出しを食らった帰り道。制服姿の双子を見て、ハロルドが懐かしそうに眼を細めた。

 彼も貴族学院の卒業生である。ハロルドの子供らは既に卒業済みで、孫らはまだ乳呑み子。この姿を見るのも久々だった。

 憧憬を浮かべる優しい瞳の前で、小人さんはクルリと一回転してみせる。


「ロメールが見たいって言うから着てきたの。似合う?」


「とても。御二人とも大きくなられましたから」


 既に好好爺な片鱗を見せるハロルドは、よる年波を感じて感慨に耽る。

 騎士団に入れてくれと、口をへの字にして仁王立ちしていたのが昨日の事のようだ。

 短い手足で木剣を振り、転んでは起き上がり、ハラハラしどおしだったが、今では二人とも立派な騎士見習い。

 そして、つと思い出したかのように、小さく小人さんに耳打ちをする。


「以前差し上げた短剣は役にたっておりますか?」


「にゅっ?!」


 言われた言葉を理解して、小人さんは真ん丸目玉で絶句した。それにニヤリとほくそ笑む歴戦の勇者。


 バレてーら?


 思わず歯茎を浮かせて、曖昧に苦笑する小人さん。


 ハロルドの言う短剣とは、十年前の巡礼時に渡された彼のお下がりだ。それを口にすると言うことは。


「......内密に」


「心得ております」


 二人の間に流れる、共犯者的な怪しい空気。訝る千早を引っ張り、小人さんはコソコソと、その場から立ち去った。




「なぁに? 何かあるのかい、ヒーロ」


 未だにこちらを見送るハロルドを遠目に、千早は呟く。


「んにゃ、何でも無いにょ」


「何でもなくは無いでしょ、そんな顔して」


 千早は妹の顔を掴み、真正面から見つめた。

 実際、普段のヒーロは分かりやすい。

 意識していない時の彼女は腹芸が出来ないのだ。特に親しい者との間では。これ以上ないほど素直に感情が顔に出る。

 今のヒーロは、泣きそうに顔を赤面させ、恥ずかしげに唇を引き結んでいた。

 まるで何かを我慢するかのように。

 潤んだ瞳が熱っぽく、ヤバい何かを醸し出している。


「やっ、そのさ。.....嬉しいような。うん、不味いんだけど、胸が一杯になっちゃって」


 まさか、ハロルドが気づいていたとは思わなかった。十年前も、そんなに近しい訳ではなく、ロメールの護衛という印象だったのだが、確かに、あの時もお下がりのナイフを譲ってくれたりと可愛がってもらった。

 自分がロメールの側にいたからだと思っていたが、どうやらそれだけでは無かったような雰囲気に、知らず眼の奥が熱くなる。

 今世は武術の師匠だ。長く共にあり、何か思うところがあったのかもしれない。

 無意識にもにょる小人さんの唇。面映ゆく嬉しげなそれに、千早は眼をすがめた。


「へぇ..... にぃににも言えないの? 秘密にしたいんだ? ふぅん?」


「え?」


 両手で頬を押さえられたまま、小人さんはすっとんきょうな声を上げる。

 目の前の兄は眼を据わらせて、じっと千尋を見ていた。その眼に浮かぶ鋭利な光。


 ちょっ、なんなん、その眼はっ! 御兄様、それって人間のする眼ではなくてよっ!


 思わず脳内で御令嬢化してしまうほど、千早の顔は鋭く、眼窟奥に灯る仄暗い光に小人さんは身震いする。


「隠し事はなしだよ、ヒーロ。君って、分かっているようで鈍感だからね。危なかしくて仕方がない」

 千尋を安心させるかのように、ふわりと微笑む兄だが、その瞳に浮かぶ冷酷さは消せていない。

 何時からこんな眼をするようになったのか。小人さんには全く分からなかった。


「にぃに?」


「うん?」


「眼が怖い」


「え?」


 はっと我に返り、千早は慌てて顔に手を当てる。そして、ふーっと息を吐くと、何時もの人好きする笑顔に戻った。


 ああ、良かった。何時もの、にぃにだ。


 ほっと胸を撫で下ろして、小人さんは千早の腕に絡む。


「ハロルドから貰った短剣の話でさ。ちょいと懐かしくなっただけ」


「短剣?」


「あ.....」


 しまった、前世関連の話だった。


 どうしようと、アワアワする妹に苦笑し、千早は小人さんの頭を優しく抱き寄せる。


「秘密基地と同じかな? ヒーロの昔の話は知っているよ」


 千早は、ロメールから妹の昔のアレコレを聞いていた。

 以前に聞いた秘密基地の話も、彼女の前世の話だと、その時に気づいたのだ。

 唖然とする千尋の両目にキスを落とし、千早は妹の頭を自分の胸に抱き込んだ。

 こんなに小さくて細いのに、彼女は世界を救うため、神をも敵に回して戦ったのだ。

 たった二年で終わってしまった彼女の前世。その話をロメールから詳しく聞いた時、千早は腹の奥に燻る何かを感じた。

 冷たく舐め回すような不気味な感覚。

 見たこともない神々に感じる厭悪憎悪。冴え渡る明確な悪意。

 不敬? 不遜? そんなモノ、知ったことか。家族に害なす者は全て敵だ。

 触れれば切れそうなソレを身の内に秘め、千早は腕の中のにいる妹にえもいわれぬ愛しさを覚えた。


 今度は絶対に失わせない。


「ヒーロ。僕は凄く君が大事なの。君の事は、どんな些細な事でも全部知っておきたいの。だから、隠し事はしないで? 気がおかしくなりそうだから。本当に.....」


 事実、さっきまで千早は気が狂いそうだった。千早の知らない何かがあると感じた瞬間、彼はタガが外れた。

 どんな些細な事が二人の足を掬うか分からない。ロメールは先手必勝だと言っていた。

 常に最悪に備え、あらゆる手を打つ事が大事なのだと。それに必要なのは情報だ。

 情報を集め、相手を冷静に分析し、読める手の先の先まで読む。

 クソ忌々しいが、神々から賜ったイヤーカフが、情報収集には盛大に役にたっていた。


 そして気づいたのだ。王宮は悪意に満々ていると。


 このカフは、どんな些細な言葉でも拾う。ロメールにして羨ましいと言わせしめたものだ。

 自分は今まで子供だったのだと痛感する。言葉の額面だけを受け取り、その裏を感じる事が出来なかった幼い自分。


 でも、これからは違う。


 妹を護るため、全力で世の中の残酷さに抗ってみせる。

 ただ、一見万能にも見えるイヤーカフには、不思議な弱点があった。

 千尋が会話する相手との言葉は拾えないのだ。近くにいて、聞こえるか聞こえないかの距離でも拾えない。

 十メートル先の、顔が見えるか見えないかの相手の呟きすら、意識すれば拾えるカフがである。


 神々の補正か、はたまた、小人さんが規格外なのか。


 だから余計に不安になる。


 今、何を話しているの? 大丈夫なの?


 全てが聞こえるからこそ、聞こえない事に憤りを感じて、頭がおかしくなりそうだ。


 優しく千尋の頭を撫でながら、千早の唇から吐息がまろびる。


「何でも話してね? 絶対に隠さないで。僕はヒーロを怖がらせたくないんだ。優しくしたいから。ずっと優しくするから、ヒーロも僕に優しくしてね」


 うっとりとした眼差しで自分見つめる兄。しかし、その瞳孔は開き気味で、人あらざる何かを醸し出していた。

 底冷えする冷気と同衾するのは、蕩けるように暖かな慈愛。何て器用な兄だろう。


 にぃにが壊れた。


 そこはかとない不安を胸に抱きつつ、小人さんはコクコクと頷く。

 それに気を良くしたのか、千早は見るからに御機嫌な顔で千尋を抱き締めた。


「にぃにがいるからね。絶対に離れないから安心してね」


 過保護過ぎんかね、にぃにや。


 致し方なげに、ポンポンと千早の背中を叩き、二人は仲良く手を繋いで家路につく。

 とても微笑ましいはずのその後ろ姿を見かけた騎士の一人が、言い知れぬ殺気を覚えたが、それを二人が耳にする事はなかった。


 後日、魔王降臨と噂される千早の、小さな一歩が踏み出された今日である。

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