第44話 貴族学院と小人さん


「寮?」


 貴族学院の制服に袖を通しながら、小人さんはナーヤの説明に首を傾げた。


「左様でございます。王都から貴族学院まで片道二時間ほど。毎日通うには少々難儀で、大半の生徒は寮を使っておられるとのこと。御嬢様方はどうなさいますか?」


 フロンティア西南に位置する貴族学院。


 そこは一つの都市の形をとり、学院周辺の街には多くの人々が住んでいるのだとか。

 身分ある子供らが集まるので、結構なお金を落とすらしい。

 そこに商機を見出だして、多くの店や商人が行き交い、人が集まる所は自然と活気が生まれ、いつしか学院都市と呼ばれる街が出来上がったのだという。


 七歳から十五歳までが学び集う学院は、さらに研究を極めようとする各種ギルドの本部も置かれ、ある意味、王都よりも発展した街。言うなれば学術拠点的な一面も持っていた。

 知識の集積された場所。それが貴族学院である。

 ゆえに部屋を借りたり下宿したりと、生徒以外にも多くの学者や研究者が滞在し、学院の生徒達も往復の登下校時間を惜しんで、学院には寮が完備されていた。


 ナーヤの説明を聞き、小人さんは思案する。


 学院都市かぁ。うーん、確かに往復四時間は勿体ないよねぇ。どうしよう。


 制服に着替えて、赤いリボンを結び、小人さんは鏡の中の自分を見た。

 滑らかな鏡面にうつる射干玉の髪。生まれてから一度も切った事のない髪は、腰の辺りまで伸びており、鳥の濡れ羽の如く艶やかに煌めいている。

 細目の眉に、やや吊り気味な大きな瞳。幼い頃は濃い緑だったが、成長するにつれ色目が薄くなり、今では新緑の若葉色。

 全体的に彫りの浅い顔立ちも、あっさりとした柔らかい印象をもたせ、滑らかで肌理の細かい象牙色の肌を際立たせていた。

 彫りの深い白人種主体のフロンティアでは、やや異質で目立つが、その可憐で慎ましやかな風情は、しっとりと佇む一輪の花のようで、人目を引く。

 艶やかな美貌の母親に似た千尋は、すでに美少女と呼ぶに相応しい姿形をしていた。


 黒に赤の差し色が入った制服が良く似合う。


「お可愛らしいですわ。ピッタリで、ようございました」


 胸元から細かいプリーツスカートが伸びるワンピースに、ブルゾン丈のボレロ。

 体型を選ばない形の制服は、とても動きやすく、千尋の好みにドストライクだった。


「ああ、可愛いね。ヒーロに良く似合ってるよ」


 にっこり微笑みつつやって来た千早も、制服を着ていた。

 白いシャツに黒いパンツ。こちらもブルゾン丈の黒いジャケットでネクタイと差し色は赤である。


「御兄様も格好良くてよ。とてもお似合いですわ」


 スカートの裾をちょんと摘まんで、千尋は可愛らしく微笑んだ。

 途端、千早の顔に朱が走る。


「ちょっ、それ、反則! あ、いや、家では普通にしようよ、なんか違和感が凄い」


「えー? 外でボロが出ないように、普段から気を付けようって話にしたじゃない」


 そうなのだ。これから通う学院は御貴族様の集う場所。どこで何が失敗に繋がるか分からない。

 なので、普段から身分に相応しい言動を心掛けようと双子は決めたのである。


「そうなんだけどさっ、でも、なんか.....そういう格好で言われると、余所の人みたいで」


「これから、この格好のが長くなるんだにょ、慣れろ、にぃに」


 にぃにと呼ばれ、あからさまに千早の顔が緩んだ。


「ヒーロは着飾らない方が良いね。なんか、別人みたいで、落ち着かない」


「ひっど、アタシだって女の子なんだから、可愛くなりたいよっ」


「ヒーロは可愛いよ? 何をしなくても、すっごく可愛いから、何もしなくて良いよ」


 ふくりと眼を細めて、千早は千尋の髪にキスを落とす。

 前は同じくらいの背丈だったのに、今は千尋より頭半分大きい千早。

 可愛い可愛いと頭を撫でる千早をジトリと睨み、千尋は口を尖らせた。


「それって何しても無駄だから、するなって事?」


「え? そんなんじゃないけど..... して欲しくないだけなんだけど。 駄目?」


 上目遣いで千尋を見つめる兄に、ぐっと言葉を詰まらせ、小人さんはソッポを向く。


「別に駄目じゃないけど? アタシだって、軽装のが気楽だし? にぃにが言うなら仕方無いね」


「良かった。また、クイーンの森で遊ぼうね。何かヒーロがどんどん大人になっちゃうみたいで寂しかったんだよ」


 心許無げな眼差しで呟く兄に、千尋はくしゃりと顔を緩めた。

 ドラゴに良く似た千早は小人さんの弱点である。

 焦げ茶色の固めな髪に、桜譲りの黒曜石みたいな瞳。顔立ちもドラゴよりかなり浅く整っているため、一見してそうとは見えないが、父親と並ぶと、千早はとてもドラゴに似ていた。

 ドラゴに弱い小人さんは、それにつられて千早にも弱い。

 ドラゴが家族にキスの雨を降らせているのをずっと見てきた千早も、家族にキスの雨を降らせるのを厭わない。

 むしろ、手慰みのごとくスキンシップの嵐を巻き起こしていた。


 アタシが着飾ることより、こっちのが問題だと思うんだけどなぁ。


 これを外で披露するものだから、千尋はいたたまれない。


 今はまだ微笑ましく見てもらえる年齢だが、ドラゴが改めない限り、千早も変わらない未来がありありと窺える。

 はあっと溜め息混じりに考え込む妹を抱き締めたまま、千早もあらぬ事を考えていた。


 ヒーロは自覚が無さすぎる。ただでも可愛らしいのに、着飾ったらどうなる事か。

 しかも、金色の王とかいう大層な肩書きまであって、国王夫妻の後見持ちな準王族なのに、危機感が無さすぎにも極まれりだ。


 あれから千早はロメールを訪ねて、多くの疑問に答えてもらい、妹がどれだけ危うい立場なのかを自覚する。

 妹の前世を知る者は少ないが、薄々感づいている者は多い事。

 それに伴い、王宮や騎士団が身の安全をはかってはいるが、どのようになるかは分からない事。

 このまま巡礼を続けていけば、否応なく千尋の価値やその存在が知らしめられて、諸外国に狙われる危険性の高い事。

 それを別にしても、見目の良い貴族子女は、常に政略の駒として狙われている事。


 今まで知らなかったアレコレを聞いて、千早は顔面蒼白になる。


「だからね? 私達が守らなきゃならないんだよ。チィヒーロは一見何でも出来る万能の人に見えるけど、実はかなり危ない綱渡りを常に行っているんだ」


 ロメールの言葉に、千早はコクコクと頷いた。


 聞いただけでもヤバすぎる。千尋の周りは危険のオンパレードだ。片足でも踏み外そうものなら、奈落の底に真っ逆さまな有り様である。

 今まで何事もなかったのは幸運に過ぎない。ロメールを筆頭とする周りの努力の賜物だった。

 もしフロンティア王家が敵になれば、ドラゴ一家は放浪の道を選んだだろう。

 もしフラウワーズ王家が敵になれば、今頃、妹は魔物を率いて戦争の一端を担っていたかもしれない。

 これからもそう言った綱渡りが続くのだ。しかも、フラウワーズのように友好的ではない国々に対して向かわねばならない。


 千早はゾワっと背筋を凍らせる。


 自分の話を正しく理解している様子の千早に、ロメールは軽く瞠目した。


 話半分でも理解すれば十分だと思っていたが、これはこれは......


 氏より育ちとは良く言ったものである。


 常に小人さんと共にある千早は、どうやら規格外の子供に育ったようだ。そういえば、騎士団からも正式な勧誘があったと聞く。

 小人さんの人外な才能の裏で埋没しがちだが、ここにも稀有な才能が存在していた。


 ロメールは人の悪い笑みを浮かべて、将来有望な幼子を見つめる。


「君にその気があるなら私が力を貸そう。悪辣な人々からチィヒーロを守る術を学んでみるかい?」


 ぱっと顔を上げて、千早はすがるような眼差しでロメールを見た。

 その瞳に浮かぶ切実な光に笑みを深め、ロメールは鷹揚に頷いて、千早の両手を取る。


「これから、週末はチィヒーロと一緒に来なさい。チィヒーロとは別に色々と教えてあげよう」


「あっ、ありがとうございます、僕、頑張りますっ!」


 こうしてロメールの下心に絡め取られ、千早も週末は王宮勤めとなった。


 小人さんの知らぬところで蠢くアレコレ。


 そんな事を余所に、制服に着替えた双子は応接室で待っている両親の元へ歩いていく。

 部屋で今か今か待っていた両親は、現れた二人の晴れ姿に眼を見張った。


「おお、良く似合うなっ!」


「ほんと、大きくなったねぇ、二人とも」


 気恥ずかしげに立つ千早と、御機嫌でクルリと回ってみせる小人さん。


「で、例の御話しなのですが......」


 台帳のようなモノをペラリと捲りながら、ナーヤが万年筆を取り出すと、満面の笑みだったドラゴが瞬間沸騰。いきなり仏頂面で吐き捨てた。


「駄目だ、許さん」


「あんた.....」


 呆れ顔の桜から眼を逸らし、ドラゴは腕を組むと、ブンブン首を横に振る。


「毎日往復四時間は、御子様方の負担になりましょう。わたくしとて正直なところ賛成ではありませんよ? しかし......」


「駄目だっ! チィヒーロを外で暮らさせるなんて、絶対に許さんっ!」


 頑なに首を横に振るドラゴを見つめ、小人さんは思わず噴き出した。

 千尋ばかりで、放置され気味な千早は、やれやれと苦笑しながら眼をさ迷わせる。

 その分母親が千早を見ているので文句はないし、ドラゴと同様、千尋命の兄には、必死に首を振る父親に共感出来すぎて、苦笑いしか浮かばない。

 そんな二人を余所に、小人さんは人差し指を立てて、にんまり笑う。


「ダイジョブだよ、お父ちゃん。アタシは家から通うから」


「チィヒーロぉぉ」


 感無量で涙目な熊さんを冷ややかに一瞥し、桜が心配げに千尋を見つめる。


「無理をおしでないよ? 王都から学院まで馬車で通うなんて疲れるじゃないか」


 王都の貴族らは、みんな寮住まいで学院に通うと聞いた桜は、双子にもそうさせるつもりだった。

 小さな子供に長時間の移動を毎日やるのは、かなりの負担になる。

 そんな心配げな桜に微笑み、小人さんは無邪気に答えた。


「我が家には空飛ぶ馬車があるじゃない? アレなら片道三十分だにょ」


 大人組が、ハッとする。


 そうだ、あの馬車ならあっという間に着くだろう。

 巡礼用に造ったモノだったため、日常使いにするという考えが浮かばなかったのだ。

 ぱあっと顔を煌めかせて、ドラゴは千尋を抱き上げた。


「そうだなっ、アレを造っておいて良かった! 大枚はたいた甲斐があったな!」


 桜も千早を抱き締めて頭を撫でる。


「良かった。心配だったんだよ。いくら寮がちゃんとしていてもねぇ。手放すには早すぎるもの」


 桜とて喜んで賛成した訳ではない。子供らの負担を考えて、そちらの方が良いと判断しただけである。

 こうして一件落着したように見えた話だったが、後にそれを知ったロメールにより阻止された。




「あのねぇっ! あんなんを日常的に乗り回されたら、要らぬ問題や好奇心を呼び寄せるからやめてよねっ!」


 仮にも学術拠点である貴族学院に、あんな摩訶不思議なモノで通えば、他の貴族らからの苦情や、研究者らからの問い合わせが殺到する未来しかないとロメールは宣い、王族専用の転移装置の使用を許可してくれる。


 何でもダビデの塔のモノを分解、再構築したモノらしい。


「塔の装置は数に限りがあるから複数は作れないけど。王族が通学に時間を取られないようと、緊急時の移動手段として、学院都市と繋げたモノだよ」


 酷く魔力を食うらしく、一定以上の魔力持ちでないと使えないのだとか。


 なるほど。子供が生まれる限り、この装置は無駄にはならないし、長く見れば非常に有効な使い道だ。

 しかも王都に万一が起きた時のため、避難する方法を作っておくのは当然である。


「こんな便利なモノがあるなら、最初から教えておいてよ」


「まず相談してくれないかなぁっ?! こないだハロルドから怒られたばっかでしょ、君っ!」


 そうでした。


 テヘペロ的に笑う幼女。喉元過ぎればなんとやらである。


「君の妹は、こういう生き物だからね。頼んだよ、千早」


「かしこまりました、王弟殿下」


 苦虫を噛むロメールと、ぴっと背筋を伸ばして頷く千早。

 二人の間に横たわる阿吽の呼吸を感じて、不思議そうに首を傾げる小人さん。


 通常運行な王宮に新たな風が吹き薫る。


 毎度、周りに心労をバラまきつつ、今日も小人さんは元気です♪

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