第205話 何も知らない小人さん みっつめ


「御令嬢?」


「はい?」


 その時、ラルフレートは甘く薫る風を感じた。


 知らでありし過去の自分。彼女の身分も素性も理解せずに出逢い、そして知ったあとにも消せなかった恋の熾火。まだ慕情という概念すらなかった幼い頃の熱病を、彼はふと思い出した。

 ラルフレートが恋した少女は、彼との思い出を追憶の彼方へ失い、全くの別人になる。そこに彼の知る少女はいない。小人さんと呼ばれた少女は霧散したはずだった。


 なのに、どうして……?


 この新入生の少女に、小人さんの面影が重なるのだろう? 


 フロンティア貴族学院入学式。


 王家の子供らと共に現れた小さな双子。王族しか使えない転移装置の出入り口で起きる微かなどよめき。

 そこはかとなく漂う明らかな特別感。他と一線を画す雰囲気の二人は、生徒達から視線の集中砲火を受けながらも平然としていた。

 疑心、嫉妬、羨望などが入り交じった不躾な眼差しに怯みもせず、小さな男の子と女の子は殿下方に新入生のバッチをつけてもらっている。

 好奇心一杯な煌めく瞳であちこちを見上げ、うわあ……っと呟く少女にラルフレートは得も言われぬ既視感を抱いた。


 ……いつか、どこかで見たような?


 追憶の彼方に消えたはずな思い出が、彼の脳裏で鮮烈に甦る。


 不敵な笑顔と無邪気な瞳を同衾させた彼の人が。


 溢れんばかりの覇気を漲らせた小さな子供。モノノケらと共に駆け抜けた烈火の如き子供。そして何よりも貴く、愛おしかった初恋の王女殿下。

 ファティマ本人が目の前にいるというのに、なぜかその王女殿下よりも、隣の小さな少女に眼を惹かれる。

 思い出の中の少女は金髪金眼。だが、成長したファティマ殿下は蜂蜜色の瞳を失い、今は少しミルクをたらしたような琥珀色をしていた。

 爆ぜるほど溢れていた覇気も消え失せ、おっとりと佇むその姿に以前の雰囲気は微塵も残っていない。

 彼女は過去を忘れ、今を生きている。


 ……私のことも覚えてはおられない。


 言い知れぬ虚しさがラルフレートの胸を過った。


 しかし、それで良いのだ。彼女に忘れられたからこそ今の自分がある。彼女の兄であるテオドール様に仕える最側近の自分が。

 洗礼式の御茶会後、ラルフレートの元にテオドールから文が届いた。側仕えとして出仕せよとの依頼が。

 少し逡巡したものの、ラルフはそれを承諾する。伯爵家の嫡男とすれば思ってもいない幸運だからだ。元々、そういった思惑を持って登城もしていた。

 理由の八割は王女殿下の傍に居たいがため。だが記憶を失ってしまった彼女は、ラルフレートのことも覚えていなかった。

 淡く芽生えた恋心。それも霧散し、彼は未来の展望をも失くす。目的を見失い、何も考えられなくなってしまったラルフにとってテオドールの誘いは渡りに船。

 学院卒業後正式な側近となり、こうして付き従っている。テオドールが学院を卒業するまでは、学院中心で仕えていた。

 貴族学院の生徒の殆どは寮や下宿暮らし。学園都市と王都が片道二時間も離れているためだ。王家の者は転移装置を使い、一瞬で移動可能だが、一般の貴族はそうもいかない。

 通常の貴族では、膨大な魔力を必要とする転移装置を使うことが出来ないから。特筆するほど魔力量の多い王族だからこそ使える装置なのだ。

 自らの魔力でないと動かせないあの装置を動かせるのは、王族か魔術師団の筆頭魔術師くらい。


 だからこそ、皆、瞠目する。


 王家の子供らと共に現れた双子を。これすなわち、あの小さな子供らは、王族に匹敵する魔力量の持ち主ということだから。

 多くの疑問を眼に浮かべて凝視する周りの生徒達をモノともせず、件の双子は和気藹々と肩を並べて歩いていた。

 よく似た面差しの子供ら。少女は黒髪に翡翠色の瞳。少年は焦げ茶な髪に黒眼。貴族らしからぬ色目なのに、その魔力量は、かなりのモノだと察せられる。


 その二人とすれ違った時。


 ラルフレートは懐かしいものを見た。


 いや、感じた。


 忘れようとて忘られぬ甘い風を。


 遠い昔に溺れた恋の熾火。ぼんやりと灯る、カンテラのように暖かい魔力。

 当時のラルフに分からなかったソレは、金色の魔力の波動。今の彼にも理解出来てはいない。

 ただ、はっきりと覚えている懐かしい魔力を、ラルフレートは黒髪の少女から感じたのだ。


「御令嬢?」


「はい?」


 ぱっと振り返る可愛らしい少女。


 その一瞬、ラルフレートは夢を見る。


 さして昔でもないが、彼にとっては古い記憶を。


『そなたが小人さんか?』


『はい?』


 黒歴史と呼んでも過言ではない最悪の初対面。


 なぜかそぞろ浮かぶ、彼の人との思い出。


 くだらない傷心だ。


 軽く頭を打ち振るい、ラルフレートは切なげに眼を細めた。


「いえ、失礼いたしました。知っている方に似ておられたので」


 新たな恋物語は始まらない。


 今のラルフレートは十七歳。眼の前の少女と十も年の差がある。どうしてそのような対象に見れようか。

 単に通りすがっただけの二人に、新展開は訪れなかった。

 一人、心の中で冷や汗を流すテオドールが居ただけで。


 ……まさかねぇ? 気づいてないよね?


 小人さんは知らない。


 恐るべき不屈の恋心を。見かけも年齢も全く共通点がないにかかわらず、ラルフレートは小人さんの中身に気がついた。

 それからも何かと小人さんを気にするラルフが少女の正体にを看破するのは、今暫くしてから。

 しかし、すでに小人さんに手強い婚約者がいるのを知った彼が、再び失恋に涙するなど今のラルフレートは知るよしもない。


 これからも続く小人さんの愉快な人生と、振り回される人々に乾杯♪



~後書き~


 お久しぶりの美袋です。


 書籍限定なラルフレートの恋物語。記憶を失ったファティマを小人さんではないと看破し、一人、心の中だけで失恋した彼。

 そんな彼がドラゴ家の双子を見たら、どう思うだろうかと思いつき、書きました。


 これだけでも読めるように書いたので、お納めください♪


 ちなみに、何も知らない小人さんのひとつめは双子の三歳祝いエピソード。スクエニ新刊紹介のSS.です。ふたつめはキルファンからやってきた押し掛け妻問い王子のエピソード。こちらはたぶんHPに掲載かと。

 どちらも自由に閲覧出来ますので、チラ見してみてください♪

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