第204話 泥中の蓮 ~みっつめ~


「今日から一緒に学ぶマキさんです」


「マキだよ」


 担任の先生に紹介してもらい、マキは一番後ろの席に案内される。明るく広々とした教室を物珍しそうに見回す幼児に、先生は柔らかな眼を向けた。


「すごいなぁ。これが学校? 綺麗だなぁ」


 故郷の寒村以外、場末の安宿や酒場しか知らないマキ。


 堅牢で無骨な石材中心の王都外郭に建てられた学校は、そこだけレンガや漆喰の穏やかな建材に満ちている。

 重厚な木材を柱にした綺麗な空間。まるで空気まで清浄に感じる室内は、貧民街しか知らないマキにとって異世界だった。

 ふああぁぁっと魔法道具の照明を見上げるマキに、隣に座っている子供が声をかける。

 焦げ茶色の髪をお下げにした可愛らしい少女。微かに浮いたソバカスも愛嬌があった。


「綺麗だよねぇ? アタシも最初はびっくりしたもん」


 にっと歯を見せて人懐こく笑う彼女も、貧民街の子供だ。ここフロンティアの学校では、どんな階層の人間も受け入れていた。通うだけで良いように学習道具は配給制。学校近くの雑貨屋に貰ったチケットを持っていけば購入出来る。

 転売を阻止出来るよう、チケットで購入した文具には全て王家の紋章が刻まれていた。これを転売などしようものなら即両手が後ろに回る。

 後の納税者を育成するための学校だ。小人さんの過剰なテコ入れもあり、子供達が学ぶのに不自由なく設えられていた。

 ひそひそ私語が飛び交う教室を一瞥し、担任の教師が軽く咳払いする。


「さて。新しいお友達も入ったことですし、今日は復習をしましょうか。皆さん、単語帳を出してください」


 子供らが一斉に机の上の物から言われた物を取り出した。それは十センチ四方の紙の束。右上隅に穴をあけてそこに紐を通し、幾重にも束ねられた物だった。

 ほあー…… と、隣の子の単語帳を眺めるマキ。


「ああ、マキさんはまだ持っていませんでしたね。リナさん、一緒に見せてあげてください」


「はあ〜い」


 長い机に並んで座っていたマキは、隣の女の子の名前がリナなのだと知り、ついでに差し出された単語帳を食い入るように見つめる。

 そこには色々な絵が描かれており、その裏には大きな文字。


「これの名前が裏にあるの。ほら、リンゴの裏にある文字。これがリンゴっていう字なのよ?」


「へえ……」


 好奇心満載なマキの正面で教師は黒板に文字を書く。大きく書かれた文字を見て子供らが単語帳を捲った。パラパラと捲られる紙の音。

 それを不思議そうに眺めつつ、マキもリナの捲る単語帳に眼をやる。


「これは、なんと読みますか?」


「「「鳥ですっ」」」


 両手で鳥のページに捲った単語帳を上げ、元気な異口同音が子供達の口から飛び出した。


「そうですね。正解です」


 満面の笑みで頷く教師。


 なんとも言えない不可思議な空気を肌で感じながら、マキは周りの子供らに合わせて一緒に勉強をした。



「はあ〜…… なんか、すごいとこだなあ、学校って」


 子供らしからぬ感嘆の溜息をつき、マキは給食を口に運ぶ。そして思わず眼を丸くした。


「うまっ! え? なにこれ?」


 今日の給食はボルシチモドキ。たっぷりな野菜や豆をトマトベースのスープで煮込んだものである。なぜかフロンティアには語尾にモドキと銘を打つ料理が多い。

 過去の小人さんが試行錯誤で考案した料理の殆んどは、前々世の地球から拝借したレシピの応用だ。しかし悲しいかな、それを正しく再現は出来なかった。


『トマトの風味もあったけど、トマトスープじゃなかったはず..... でも真っ赤なスープだったんだよなぁ。なんで赤かったんだろ?』


 .....赤ワインとビーツのせいである。


 こういった感じに大まかな材料が分かっていても調理法や細かい調味料までは分からない。以前食べた物を舌先の記憶から逆算して作る他はなく、似てはいるがやはり違うと思った物全てに、千尋はモドキと付け足したのだ。

 それがそのまま料理名になってしまうとは思いもせずに。

 結果、フロンティアには何々モドキという料理が溢れていた。


「おいしいよねぇ? 学校の給食って」


 うんうんっと盛大に頷きつつ、マキは夢中になって匙を動かした。添えられたパンも柔らかく甘い。こんな美味しい物を食べたことはない。


「アタシ、この世で一番うまいのは肉だと思ってたよ。野菜や豆をおいしいなんて思わなかった。すごいねぇ、学校って」


 マキの育った国は中央区息の貧しい国。香辛料どころが、地域的な関係から塩すら高価な土地である。

 当然、慎ましくなる食事事情。時々父親の取ってきてくれる兎や山鳥が、たまの御馳走で、自然とマキは肉好きの子供に育ってしまった。

 幸いフロンティアは肉がお安く、毎日マキを満足させてくれている。


 しかし、今口にしている料理は別格だ。ろくすっぽ味付けもされていない祖国のスープや焼き物しか知らないマキにとって、これは衝撃の味だった。


 満面の笑みで食べる少女達は知らない。


 学校の給食を作っているのが王宮の料理人見習いだということを。

 学校給食の厨房は王宮料理人達の憩いの場。舌の肥えていない子供らこそが、素直な感想を出してくれる。大人達のように質や技量に拘らぬ素朴な称賛を。

 そういった裏表のない意見は大切だ。熾烈な王宮の厨房に疲れた者らの良い息抜きにもなる。

 給食のおじさんと慕われる彼等の本当の姿を子供達は知らない。


 そんな無邪気な少女達は、美味しい物を食べながら他愛ない雑談を交わす。


「でもマキちゃんもすごいよ。あんなにスラスラ計算出来るなんて」


 予期せぬ称賛に固まるマキ。


 金子に対してマキは異様な執着があった。鉄戈一枚誤魔化されてたまるかと、気づけば五桁の暗算でも出来るようになっていた。

 人間、必要に迫られれば何とかなるものだ。苦手も克服するし、日常的なら尚のこと勝手に覚えてしまうもの。

 算数の時間にマキが解いた問題は、幼少部ではなく、中等部の問題だったらしい。

 足す引くはもちろん、割る掛けるもマキは淡々とこなした。驚愕の面持ちな教師の前で。


「マキさん、この答えをどうやって出しましたか?」


 限界まで眼を見開いた教師が指差したのは、五十八✕十二。


「五十と八を十二回足したよ」


「暗算で? 九九はご存知無いですよね?」


「ごぞんじ?」


「……知らないですよね?」


「うん、しらない」


「…………………」


 その後も教師は色々な問題をマキに解かせた。

 マキは偶数の割り算を半々に割り続け、等分して答えを出し、奇数の場合は割る数の方を割られる数から引いて答えをだした。もちろん余りという概念も知っていた。

 現実で金勘定しているマキには容易いことである。銀貨が大銅貨十枚、銅貨百枚という価値を知らねば、どこで誤魔化されるか分かったものではないのだから。

 実際、幼いマキを侮り、銀貨を出したにもかかわらず、銅貨数枚の釣り銭を差し出してきた悪辣な店主もいた。

 そんな時は決まって返品するマキ。その店主が渡した銀貨をしまう前に返してもらう。ちゃんと釣りを受け取るまで、マキは出したお金から指を離さない。

 騙し騙されを散々見てきた幼女様は、実に用心深くあられるのだ。騙すのが当たり前な日常だったマキには、騙される方が悪いという概念がこびりついていた。

 悪い大人達に囲まれた彼女に善悪という概念は乏しい。言葉として理解しても根底の価値観が違う。

 騙したり盗んだりするのは悪い事。それは知っている。だが、それで? としか思わない。

 悪いからなに? 騙されなきゃ良いんじゃん? 盗まれなきゃ良いんじゃん? 被害者になるような間抜けが悪い。間抜けは、ずっとカモられる。そんなの、そいつが馬鹿なんじゃん? と。


 これがマキの常識だった。


 そうでなくば生きていけない環境だった。


 そうやさぐれる幼児らしからぬ幼児。父親も知らないマキの秘密。マキが知っている父親の秘密。

 マキはどんな悪事に手を染めようが、父親についていくと決めていた。あの優しい人を守ろうと。哀しい人を労おうと。


 心からのマキの本心。


 テオだっけか。あの人に頼めないかなぁ。王宮の下働きとか、良い話だったのに。父ちゃん断るなんて、もったいない。


 美味しい御飯に、ふうっと人心地つき、マキは、この世界での一番最初の記憶を思い出していた。




『おいおい、マジかよ………』


 そこは深い森の中。


 柴刈りにきたドニは、泣き喚く赤子を見つけて途方に暮れた。まだへその緒も取れていない新生児。

 たぶん貧しい親が口減らしに捨てたのだろう。指をむちゃむちゃして泣く子供を慌てて抱き上げ、彼は自宅に連れ帰る。

 幸いドニはヤギを飼っていたため、乳の心配はない。だが、まだ若く、一人者の彼は子育てなどしたこともない。

 急いで村長に相談したところ、とりあえず育ててくれと頼まれた。


『女衆に手伝うよう頼んでおくけ。不作で子供らば売らんならん時、一人でも多い方がええけ』


『ああ……』


 ドニは得心顔で頷く。


 この国は税の取り立てがキツい。不作であろうとお構いなしだ。そんな時、村は子供や女を人買いに売り、金を作らなくてはならない。

 代わりに共同作業を免除するからと言う村長の頼みを承知し、ドニは赤子にマキと名前をつけて大事に育てた。

 村には共同作業といって、互助的に御互いを手伝う習慣がある。植え付けや収穫など、非常に重労働なことばかり。

 若いドニは率先して引っ張り出されるため、それから解放されるなら赤子を育てるくらいしても良いと考えたのだ。


 魚心あれば水心あり。


 しかし、子育ては苦労の連続だ。子供ほど無尽蔵に親の忍耐を要求する生き物はいない。


 .....と聞いていたのだが。


 マキは非常に穏やかな子供だった。

 良くお乳を飲んで、良く眠り、夜泣きや、ぐずりもなく、寝かせた籠の中で一人きゃきゃと笑っている。

 これには村の女衆が羨ましがった。


『なんてお利口さんだろう。こんな育てやすい子、見たことがないよ。夜泣きしないってだけで一生分の親孝行だ。アンタ、感謝しなよ、ドニ』


 .....そういうモンなのか?

 だが、おしめや食事、お風呂や寝付かせなどやることは倍に増えた。特におしめ。これが数多く、洗うにも干すにも場所を取り、難儀する。

 さらには離乳食が始まり、自分の食べる分から分けてやれば良いと思っていたドニを驚嘆させた。


『ダメだよ、もっと柔らかい粥から始めないと。ほら、別で作るんだよ。うんと柔らかく水みたいなモノから始めるの』


 野菜を混ぜたごった煮を作り、マキにも食べさせるつもりだったドニは、女衆からダメ出しを食らって悲鳴をあげた。


『.....十分柔らかく煮たぞ? ほら、肉だって入っている。栄養たっぷりだ』


『.....赤子は歯も生えていなんだけど? どうやって肉なんか食うのさ』


 はっ! とマキを振り返るドニ。


 共同竈で爆笑する女衆に囲まれ、彼はごった煮の上澄みを掬い、それを赤子に与えることから教わった。 

 そんなこんなで村の女衆の手助けもあり、なんとかマキを育ててきた彼は、手塩にかけた分、心に執着も育っていく。

 いくらお利口な赤子でも、手間はかかるし苦労はした。ゆえに愛しく、ふくふくと成長する我が子にドニは眼を細める。


 このまま時が過ぎれば良い。何事もなく大きくなって、良い男性の元に嫁がせてやりたい。


 長く慈しむうちに芽生える情。


 だが世は無情だ。何があったのか分からないが、突然魔物が村に押し寄せて暴れまくった。

 畑も荒らされ、家も壊され、村は絶体絶命の窮地に陥る。

 茫然自失する村人達。そんな彼等が最初にしなくてはならないのは、国に納める税を確保することだった。当然、人買いに子供らを売って。


 ……マキが売られる?


 茫然自失で立ち竦んだドニ。


 そのために育ててきたのだ。万一の保険にと。そう頼まれて。


 .....でも。


 寝返りをうち、にぱーっと笑ったマキ。足蹴りで移動することを覚え、部屋中を背中で掃除してしまった真っ黒な産着。それを必死に洗ったドニ。

 ハイハイを始めたかと思えば、すぐに掴まり立ちをし、一年もたたぬうちから歩き始めたマキ。

 頭のが重いため、その傾きを借りた怒涛の赤子走りは凄まじく、畑や小川に頭から突っ込む幼児に顔色を変えたドニ。


 慌ただしくも楽しい日々だった。

 満面の笑みを浮かべて笑い転げる毎日。全身全霊で大好きだと訴えてくる幼子を、誰が嫌えようか。

 

 村長の言葉を耳に背筋を凍りつかせ、ドニはこっそりと自宅の苫屋へ向かった。

 そこで出迎えてくれる可愛い娘。五つになったマキはお喋りも達者で、ドニは生意気な娘に本気で怒ったこともある。

 それでも可愛い。手離すなんて考えたこともない。


『父ちゃーん』


 ひしっと足にしがみつくマキを見下ろして、彼は今にも泣きそうな顔で眉を寄せる。


『マキぃ.....』


 この子を売って.....? 金子に?


 何も知らない無垢な我が子を抱き上げ、ドニの中で逆巻く葛藤。村の一員として従うべきか否か。.....考えるまでもないだろう。


 .....否だ。冗談ではないっ! させるものかっ!


 そう思ったらいてもたってもおられず、ドニはマキを連れて村を逃げ出した。当座の荷物だけを引っ掴み、彼は果てなき荒野を五つになったばかりな子供連れで渡ろうと試みたのだ。


『絶対にお前を売ったりしねぇからな。父ちゃんが守ってやるから……っ』


 乾いた荒野を延々と歩き続け、持ってきた食べ物や飲水の殆どをマキに与え、ドニは必死に歩を進める。

 疲労困憊なドニは気づいていなかった。

 薄い毛布一枚にくるまり、寝入った父親を確認して、マキが水や食べ物をドニの口に運んでいたことを。

 

『死なないで父ちゃん.....』


 全てを自分に与える父親を危惧し、マキは泥のように眠る父親が無意識に食べるのを見守っていた。

 万一にも窒息してはいけないと顔を横向かせ、食べさせる幼児様。

 誰かが見ていたなら、きっと驚愕に眼を見開いたことだろう。


 そんなこんなで二人三脚し、二人は荒野を渡った。自分の足でしっかりと歩くマキの異常性に気づく余裕もないドニ。

 もう駄目かと何度も思いながら、足を引きずるように歩き続けた彼らは、途中、大きな蜜蜂に助けられ、満身創痍のままフロンティアに辿り着いた。


『……良かったなぁ。マキぃ。ここなら、お前は売られねぇ。フロンティアは豊かな国だ。良かった…… 本当に良かった……』


 ずびずび鼻をすすりつつ、小さなマキをずっと抱きしめてくれたドニ。


 実の子でもないのに、御人好しが過ぎるよ、父ちゃんは。


 マキは、今思い返しても涙が出そうになる。


 そう。彼女はドニに拾われてからの記憶が全てあった。これがマキの秘密だ。正確には生まれる前からの記憶がある。

 九九だって知ってるし、なんなら方程式だって解けた。黒板にかかれた足し算を次々と答えるマキにつられ、難易度をあげていく教師が驚きに眼を凍らせるのを見て、はたっと我に返った時は誤魔化したが。

 自分に前世の記憶があるなどと知られては不味いことくらい、マキだって理解している。


 なぜに自分が、前世の記憶を持って生まれたのか。それはきっと、こうして窮地に立った自分や父親を救うためだったのだとマキは思った。

 実際、マキが夜中に水分とらせていなかったら、とうにドニは脱水状態で死んでいただろう。

 そのくらい、当時のドニに余裕はなかったのだ。このままでは自分が死んでしまうという危機感すら消え失せるほど、彼はマキを愛していた。


 ドニはマキが彼を実の父親ではないと知っていることに気づいていない。ドニが墓まで持っていこうと思っているだろう秘密を。


 マキのために全てを捨てたドニ。全てを捧げてくれたドニ。


 我が子同然に育ててくれた。泣いて笑って、がなり合って、時には蹴ったり叩いたりと、かなりワイルドな親子の暮らしをしてきた。


 貧しくとも幸せだった二人。


 だけどフロンティアに来てから二年。ドニは職にもつけず荒れだした。日がな酒を呷り、女を連れ込み、彼を気にいってくれた女の世話で生きている。

 これが良くないことはマキにだって分かっている。百も承知だ。だけど、どうしようもないではないか。

 自分は七つの子供で何の力にもなれない。ドニは生粋の農夫だ。たまに狩りをしていたくらいで他にやれる仕事はない。

 フロンティアは前に居た国に比べて近代的過ぎる。古い田舎気質のドニは馴染めず、ついて行けなかった。だから女の世話で生きている彼を諫めることは出来ても、咎めることがマキには出来ない。


 懊悩する七歳児様。


 そんなマキの葛藤も知らず、テオドールがやってくる。マキは学校を楽しんでくれただろうかと、呑気なことを考えながら。


 相も変わらずな小人さんワールド。


 どんな事態も斜め上半捻りするのは、お約束のようである。

 

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