第199話 エピソード・~あなたのお城のコックさん~


「.....チィヒーロ」


 絞り出すような声で、失われた娘の名を呼ぶのは身の丈二メートルもありそうな大男。

 彼はよく晴れた秋空をぼんやりと見上げる。


 思い返せば夢のような日々だった。


 いきなり現れた小さな子供。おしゃまで気ぃ遣いなくせに、正しく傍若無人な幼女。

 周りをよく見て理解し、それでいて敢えて放置する小賢しさ。右往左往する大人達を手玉にとり、きゃっきゃと笑う矛盾の塊だった無邪気な子供。

 煌めく星々にも負けない輝きを放つ愛娘は、たった数年で失われてしまった。


「チィヒーロ.....」


 涙に歪むドラゴの視界の中に、追憶の記憶が甦る。




「初めまして。千尋です」


 厨房にやってきたドラゴを見て、慌てて立ち上がった幼女は、おっとりと頭を下げた。

 小さな子供にしては落ち着いた動作。ゆったりと下げられた頭を見て、ドラゴは不思議な気持ちを覚える。

 思わず撫でてあげたくなるような小さな頭。だがその動作は流れるみたいに自然な動きで、慣れた礼儀作法なのだとドラゴに知らせてきた。


 こんなに幼いのに?


 そして彼は幼女が剥いていただろう野菜を見つめる。

 綺麗に剥かれた野菜の皮。これにもドラゴは眼をすがめた。

 こういった技能は、力うんぬんよりも慣れやコツがモノをいう。それなりの力を必要とし、ザクザクやる千切りなどとは違うのだ。

 表面をなぞるように薄く剥かれた皮は、幼女がこういった作業に慣れているのだとドラゴに伝えてくる。


 .....アドリスの予想も間違っていないのかもしれない。こんな小さな子供に刃物をもたせてやらせる親のようだ。


 世の中には子供を酷使する親もいる。見てくれの薄汚さからも、真っ当な養育を受けているようには見えない。しかも.....

 ドラゴは怪訝そうな眼差しでしゃがみこむと、千尋を正面から見据え、じっと顔を眺めた。


 これは三歳にもなってないのでは? 小さすぎる。


 挨拶や態度は大人びていたが、教会や孤児院と懇意なドラゴは多くの子供達に触れあってきた。中には栄養不良で小さな子供も多々いたが、彼等に総じているのは無邪気な子供らしさ。

 大人びて背伸びしている子供もいるが、そういった虚勢は簡単に見破れるものだ。

 それが目の前の幼女からは感じられない。

 たしかに若干の窶れはみられるものの、全体的には健康そうだ。白眼の色も悪くないしアドリスの危惧したような虐待は見受けられなかった。

 キチンと育てられた血色の良さがある。ならば、この小ささは年相応ということである。


「おまえ、幾つだ?」


 ドラゴの問いに少し躊躇しつつも、千尋は自分の記憶の欠片を寄せ集め、さらには自身の知識から、たぶんこのくらいだろうという年齢を答える。


「えーと..... 二歳か、三歳? たぶん」


 驚愕するアドリスを横目に、ドラゴは得心顔をした。


 となると、この落ち着きは育ちか。よほど良い家の子供なのだろう。何があったのか知らないが、親も心配しているに違いない。


 そう思ったドラゴだったが辿々しい幼女の説明を聞き、己の耳を疑った。

 思わず案内させた部屋の惨状を見て、脳天をカチ割られた気分になる。


 こんなところに子供を閉じ込めただと? 何もないじゃないか。


 唖然と部屋を見渡して言葉もない大人二人。


 冷たい石造りの堅牢な部屋。いたるところに厚く埃が積もり、千尋がウロウロしただろう場所が見て分かる。

 小さな足跡や手跡が残る部屋の床。何度も叩いたのだろう。扉の内側には、小さな手跡や引っ掻き傷が沢山残っていた。

 それら全てに言い知れぬ怒りを感じ、ドラゴの顔が嫌悪に歪む。


 .....そうか。要らぬのなら、俺がもらおう。


 どこの誰とも分からぬ幼女の親を心で罵りながら、ドラゴは千尋の父親になると決めた。

 過去に似たような境遇だったサーシャを引き取った経緯を持つドラゴには当たり前の決断だ。子供には、食べて遊んで学ぶ暮しを与えてやるのが大人の努めだと彼は考えている。

 少年だったドラゴは若くして親を亡くし、路頭に迷う寸前を城下町の食堂の店長に拾われたからだ。

 ドラゴに仕事を与え、休日を与え、学び遊ばせ、一端の料理人に鍛えてくれた店長には感謝しかない。

 だからドラゴは惑う幼い者を見捨てないのだ。店長がドラゴにしてくれたように、自分に出来得る限りをしてやりたい。


 そんなこんなで千尋を拾ったドラゴだが、まさか、その暮しが怒涛の毎日になるとは思わなかった。

 




「チィヒーロぉぉぉっっ!」


 今日も蜜蜂に掴まり空を飛ぶ娘。


 小さな手足をブラブラさせて飛び回る姿は、何度見ても背筋が凍る。安全なのだと分かってはいるが、理性と感情は別物なのだ。

 

 ああああっ! 危ないっ、ポチ子さんも、あんなに小さいのにっ!!


 王宮の中庭で右往左往する熊親父。それを苦笑して眺めつつ、アドリスも少し心配げに空を見上げた。


 日常になりつつあった賑やかな一幕。


 王宮や城下町、隣国すら巻き込み盛大なやらかしを披露してきた愛娘。


 あれはもう還らない。


 カストラートとの一件から奪い去られた小人さん。

 ドラゴを見て泣きわめき、笑顔で後宮へとてちてち歩いていった金髪の幼女。

 振り返りもせずに消えた、数々の思い出。


「チィヒーロぉぉ.....」


 野太い嗚咽をもらし、ドラゴは空を見上げたままボロボロと泣いた。

 失われた幸せ。失われた愛娘。失われたこれからの人生。


 身も世もなく号泣し、その物悲しい慟哭は、長く王宮各所を沈み込ませた。


 まだ彼は知らない。失われたはずの娘が本物の娘となって戻ってくることを。


 心優しい人間には、ハッピーエンドしか用意されていないフロンティアを舐めるなと、後日、ドラゴに贈られる最高のプレゼントを今の熊親父には知るよしもない。


 それでも涙の種類が変わるだけで、ドラゴが泣きわめく未来も変わらない。


「チィヒーロぉぉぉっっ!!」


 今日も王宮の熊さんの、野太い号泣が聞こえるフロンティアである♪

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