第198話 エピソード ~誰も知らない御伽草子~


「.....桜」


 一人の男が豪奢な日本家屋の縁側で夜空を見上げていた。空には僅かな雲と、見事な下弦の月。月明かりで星も霞む夜空を眺めつつ、男は晩酌をする。


 ああ、俺にはもったいない暮らしだ。


 自嘲気味に口角を歪め、彼は盃を傾けた。


「旦那様? まだ寒さが残ります。ささ、綿入れを.....」


 ふくよかな顔つきの女性が長い半纏を手に男へ駆け寄ってきた。


「うっせぇな。ほうっておけ」


 煩わしげに悪態をつきながら、彼は差し出された半纏に手を通す。

 着流し一枚でいた身体は、男が思うよりも冷えていたようで、ふわりと包まれる温かさに彼は眼を見張った。


「.....悪ぃ。ありがとうな」


「もったいない御言葉です。御酒は足しますか?」


「そうだな、頼む」


 微笑む女性に手を振り、男は再び空を見上げた。彼女は彼の二番目の妻。名を小菊という。

 そして夫である彼の名前は柴田卯月。昭和生まれの三十八歳。


 パタパタとよく働く妻を見送りつつ、彼は己がやってきた頃を思い出す。


 ある時、事故にあった卯月は、気づくと深い森の中にいた。そして目の前に降り立った双神から異世界転移に誘われたのだ。

 このまま輪廻の環に戻るか、新たな人生を異世界で始めるか。突然、突きつけられた二択に狼狽えつつも、彼は異世界転移を選んだ。


 それが間違いだったのかもしれない。


 今になって卯月は忍び寄る死の気配に怯える。

 転移する時にされた神々の話によれば、卯月の人生にはタイムリミットがあったのだ。

 新たに与えられた彼の寿命は二十年前後。最初は然して気にも止めなかった。むしろ寿命が伸びてラッキーなくらいに思っていた卯月だが、こうして残り年数が差し迫り、ようよう己の愚かさを自覚する。

 なんて馬鹿な選択をしたのだろう。寿命が見えるということが、こんなに恐ろしいことだったとは。

 自分はどんな死に様をするのか。病死? 事故? 衰弱死? 出来れば苦しくないと良いが。

 しだいに弱って骸骨のように衰えていく妄想が卯月の頭にこびりついてはなれない。まるで鉄トタン板に湧き続ける錆のように、その思考はどれだけ振り払っても彼の脳裏に浮かび、酷く苦しめた。

 ざわざわと背筋を這い回る死の影。髪を振り乱して叫び回るような殺伐とした空気が、常に卯月の周りに満たされていた。


 そんな時だ。彼は、ある事実を知る。


「俺に子供が?」


 青天の霹靂。


 神々によって異世界アルカディアに招かれた卯月。彼が訪れた地はキルファンという帝国で、詳しく聞いたところ日本転移者が築いた国らしい。


 なんともはや。


 代々訪れてきた転移者と、現地生まれな地球人らによる日本人の国。

 神々の思惑は分からないが、馴染みのある文化に胸を撫で下ろして、卯月は神々に頼まれたとおり近代知識をキルファンに伝授していく。

 正直あやふやな知識も多かったが、その部分は魔術道具が代行してくれた。隣国の技術だと聞き、にわかに眼を煌めかせる卯月。


 魔力や魔法があるのか?


 異世界定番だ。あの神々は何の力も卯月に授けてはくれなかったが、ここは異世界なんだ。地球とは違う冒険が待っているはず。


 そう浮き足だつ卯月だが、その期待は無惨にも砕け散る。


 なんでも魔法が使えるのは、ある一国だけに限られているのだとか。そこから輸入される魔法石や魔術道具によって、他国でも擬似的な不思議現象を起こせるだけで、魔法は使えない。


 .....勘弁しろよ、肩透かしかよ。


 期待を裏切られ、卯月は目にみえて荒んでいった。享楽に耽り、尋ねられれば答えるが、自らは何もやろうとしない。

 そんな卯月に、キルファン皇城の重鎮が密やかな声をかける。


「気晴らしに後宮で花を楽しまれては如何でしょうか。とっておきの姫がおられますよ」


「後宮って..... 皇族の奥方らが居るところだろう?」


 怪訝そうな卯月とうっそり笑う老人。

 

「それとは別の裏の後宮にございます。尋ね人様専用に用意された姫らです」


 俺専用?


 ごくっと固唾を呑み、卯月は案内されるまま、裏の後宮へと誘われた。


 結果として、彼は適齢期な姫二人をあてがわれ、幾夜もの蜜月を過ごす。そしてそれと別に何人かの妻をも娶り、自暴自棄になりつつもキルファンに馴染んでいった。

 皇城中の女性が彼に媚び、お情けを頂こうと侍ってくるのだ。男にとって夢の酒池肉林。これに溺れないほど自制心が強くはない卯月。

 何十人もの女に手をつけ、その内の何人かは彼の子供を産んだ。全て息子だと聞いたが、卯月は見たことがない。

 皇族の子供達は全て乳母に育てられる。尋ね人は準皇族。卯月の子供も全て皇族になり、別棟の幼児宮で外の子供らと共に暮らすのだ。


 ただ一つ違うのは姫が生まれた場合。


 長く繰り返された近親婚の弊害で皇族には女子が生まれにくく、姫が生まれると即後宮へ移され大事に大事に育てられるのだとか。

 卯月が裏の後宮で侍らせた姫もそういう育ちだそうだ。

 適齢期になれば皇帝や皇太子にあてがわれる。今回は卯月が訪れたため、彼にあてがわれた。

 近親婚の弊害を知る周囲が、皇族にめあわせるより全くの近親系でない尋ね人に嫁がせる方が得策なのだと理解しているためだ。


 こういった複雑な背景があるゆえ、卯月は女性らと関係を持つだけで、子供が生まれたことすら知らされていなかった。居ることは知っている。事後報告で、息子達を幼児宮に入れたとかの連絡は来るためである。

 だが興味も湧かない卯月。

 女でないなら、母親の身分に合わせた教育を普通に受けて、それなりの地位と領地を賜ると聞いていたからだ。

 安泰な息子らを心配する必要はない。

 煩わしさもなく、女性と睦める幸運を噛み締める卯月である。


 そんな彼が、姫の存在を知ったのは偶然だった。


 たまたま後宮へ気晴らしに訪れた時、すれ違った少女。

 一瞬の逢瀬だが、彼は思わず瞠目して振り返る。

 少女も振り返り、怪訝そうに眉を寄せていた。


 固まる二人と、漂う気まずい空気。


「.....姉ちゃん?」


「は? そなた起きているようだが寝惚けてるのかぇ? わたくしが、そなたより年嵩に見えるとでも?」


 辛辣な口上を耳にして、さらに眼を限界まで見開く卯月。

 目の前の少女は、卯月の姉の小さい頃に瓜二つで、その切り口の良い口上も、気の強かった姉にそっくりである。

 無条件で感じる血の繋がり。

 呆けたままの卯月を見上げる少女の眼は、蛇蝎を見るがごとく。忌々しげにすがめられた炯眼に、卯月は腹の底から笑いが込み上げてきた。


 ああ、そうだ。これだけ多くの女と枕を重ねてきたのだから、娘の一人や二人いてもおかしかねぇよな。


 そして当然、その娘は後宮で大切に育てられる。今まで逢わなかった方がおかしいのだ。

 くっくっくっと声をくぐもらせて笑う卯月に、少女は呆れたかのような溜め息をつく。


「お盛んなのは知っとおが、ほどほどにな。少なくとも、わたくしの眼に触れぬよう気をつけよ」


 どうやら少女は卯月の女関係を熟知しているみたいである。潔癖な御年頃なのか、その眼に浮かぶあからさまな侮蔑。


 後宮住まいな姫なら無理もないか。いくつになるんだ? 母親はどの女だ?


「おまえ、名前は? いくつだ?」


 着流しをさらに崩してはだけた前。そこに腕を無造作に突っ込んだ卯月。見るに耐えないだらしない格好も、また少女の神経を逆撫でた。

 

「そなたに名乗るような名はもたぬ」


「俺は柴田卯月だ。おまえは?」


 少女はぐっと喉を詰まらせる。名乗った相手に大して名乗らないのもまた礼儀知らずであるからだ。

 ギリギリと苦虫を噛み潰し、吐き捨てるように少女は答えた。


「桜。日渡桜と申す。だが、そなたに名を呼ぶ名誉は与えぬ。よいなっ?」


 そう呟き、桜は踵を返して廊下を足早に抜けていった。


「桜..... 俺の娘だな? 今いくつになるんだ?」


 うっとりと少女の名前を口にし、卯月は傍に控えていた侍女へ尋ねた。


「桜姫は御歳九つになられます」


「九つっ? あと一年じゃないかっ! 婚約は? 誰にあてがわれる予定だ?」


 すでに十六年もキルファンで暮らしてきた卯月である。それなりのしきたりも心得ていた。

 キルファンでは十歳で後宮を出て宮を賜る。婚約者などの男を通わせるためだ。十三歳の腰結いを機に婚約者のいる貴族女性は相手を通わせて関係を持つのだ。

 三日夜餅などという古びた様式が残るキルファン独特の文化である。

 これに女性側の意志は反映されない。男性の思うがままだ。

 安泰な息子達と違い、娘である桜には苦渋の未来しか用意されていない。

 卯月はキルファンの身分ある女達の末路をよく知っている。現代人の感性から見ると野蛮の一言に尽きる輩がウヨウヨしているのだから。


 あんなケダモノの群れに桜を投げ込めるものか。


 卯月の眼に昏い光が一閃する。


「.....ふざけんなよ。俺の娘だ」


 ここから卯月の暗躍が始まった。それは彼に残された寿命が尽きる前に完成する。




「万魔殿か。これが外貨を稼ぐ廓なのだな」


 フロンティアに許可をとり、ヤーマンに作られた古式豊かな建物。

 背景に描かれた荒野も、いずれは農場や牧場になる予定だ。

 満足げに見上げる皇帝を余所に、卯月は遠くへと眼を馳せる。


「そうだよ。ここに女達を収監して女郎として働かせれば、きっと多くの外貨を稼いでくれるさ。良い使い途だろう?」


 鷹揚に頷く皇帝。


 卯月は口先八丁で皇帝を唆し、手軽に外貨を稼ぐシステムとして監獄廓を提案した。

 身分ある女に永遠の辱しめを与える苦界。

 その構想に舌なめずりし、皇帝は卯月の提案に乗ってきた。


 だが彼は知らない。卯月とフロンティアで結ばれた密約を。




『女性を保護するための施設ですか。しかし娼婦として働かされるわけですよね? 救済になりますかな?』


 訝しむフロンティア側に、卯月は切々と訴えた。

 キルファンでは身分が高いほど女性の扱いは乱雑になる。部位欠損が当たり前の仕置きな国だ。そういった身分ある者専用の逃げ場が欲しい。


『上流階級の女らが断罪される時の凄絶なリンチは言語に尽くせん。頼みます、最悪から逃れるための地を、この国に作らせてください。そして出来得る限り、キルファンからの干渉をはね除けて欲しい』


 土下座せんばかりに必死な形相の卯月に根負けし、フロンティアは力の及ぶ限り、万魔殿の者達を守る約束をする。

 元々、女性を大切にする御国柄だ。助けを請うものに閉ざす門は持たない。

 これらは現国王や僅かな重鎮達で秘匿され、鉄壁の箝口令がしかれた。

 諜報合戦わっしょいな中世だ。どこから漏れるか分からない。用心に越したことはない。

 

 そんなフロンティアの協力の下、完成した監獄廓。


 卯月の思惑を知らぬまま、キルファンは断罪された女達を万魔殿へと送り込んでいく。


 そうして時は流れ、卯月の身体は急速に弱っていった。




「柴田様、私に用とは?」


 死の際の卯月に呼ばれ、やってきたのは桜の乳兄弟。海斗である。

 まだ若く精悍な少年を眩しそうに見つめ、卯月は掠れる声で囁いた。


「.....おまえ、桜に惚れてんだろ?」


 思わぬ言葉に狼狽える海斗。それに苦笑しつつ、卯月は万魔殿の裏事情を伝える。


「万魔殿は表向き廓だが、実際には断罪される女達の駆け込み寺だ。フロンティアに頼み込んでキルファンの横暴をはね除けれるようにされている。.....ヤバいと思ったら、迷わず逃げ込め。桜とな」


 憮然と顔を凍らせる少年。今はまだ頼りないが、時が解決するだろう。


 それまで無事でいてくれ、桜。.....俺の .....ああ。


 朦朧とする意識のなか、卯月の脳裡に一人の女性が浮かんだ。それは裏の姫。桜に良く似た面差しの儚げな女性。


.....楓。そうか、おまえの.....


 しっとりと微笑む女性に手を伸ばす卯月。その手を楓に取られた瞬間、彼は意識を手放した。


 卯月の急変に気づいた海斗が慌てて医師を呼んだが、すでに彼は事切れている。


 こうして海斗に僅かな疑惑の種を蒔き、卯月は虹の橋を渡った。迎えに訪れた楓と共に。


 あとは推して知るべし。


 卯月の想像どおり、桜には多くの苦難が押し寄せた。あらかじめ逃げ道を示されていた海斗は、迷うことなくフロンティアに助けを求め、万魔殿へ逃れることに成功する。


 そして逡巡した。


 桜に卯月の真実を知らせるべきだろうか。あの死に様は彼女を守るためだったのだと。

 憶測でしかないが、きっと柴田様は桜の父親なのだろう。尋ね人である彼が多くの女性と関係を持っていたのは周知の事実。

 女子の生まれにくい皇族にあって、桜の父親が皇帝陛下の可能性は低い。


 .....だが、桜は柴田様を毛嫌いしている。


 数多の女性遍歴や、自堕落な私生活。そういった諸々を知る彼女は、卯月を心の底から軽蔑した。彼が実の父親なのだと知ったら、きっと衝撃を受けるに違いない。


 どうしたものかと悩む海斗。


 しかし、その幸せは長く続かず、彼はキルファンの監察官によって殺害される。

 もはやこれまでと覚悟した海斗は、卯月の最後を桜に伝えようと試みた。


「桜っ! 柴田様は.....っ!」


 海斗を守ろうと歪められた桜の悲壮な顔。それはあの日の卯月に瓜二つである。


 ああ、そうか.....


 空を裂く甲高い桜の悲鳴。それと同時に海斗の背を引き裂く監察官の狂刃。

 いまわの際、海斗の脳裏に浮かんだのは卯月。あの人は桜に知られたくはないはずだ。

 でなくば、わざわざ自分を経由させて彼女を救おうとするわけはない。


 言葉を紡ごうとした海斗の口が真一文字に引き絞られる。

 不器用な男どもに通ずる既視感。遠回しすぎる卯月の愛情。最後の最後で、海斗はそれを理解した。


 最愛の妻の涙に見送られ、海斗の意識は霧散する。


 真実は全て闇のなか。


 けれど、己を貫いた男達の努力は実を結び、後の子弟を救う。


 桜は新たな人生を掴み、女達の駆け込み寺は健やかな治外法権へと変貌を遂げた。


 誰も知らぬ偉業を成し遂げながら、卯月は汚名を返上もされない。世代交代したフロンティアも、人道的な見地でしか万魔殿を見ていない。前国王は卯月との約束どおり、その全てを墓まで持っていった。

 だけど、きっと卯月には関係ない。彼は天上でも、しれっと笑っていることだろう。


『俺の娘.....』


 万感のこもる一言は、ずっとアルカディアの夜空に揺らめいている。

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