第197話 挙国一致の階 ~よっつめ~


「ライガーン王国から書簡がまいりました。.....拐取した我が国民を返還せよと」


 震えるように奏上する文官の言葉に王宮がどよめく。


 ここはヘンネセン王国。中央区域と呼ばれる、七ヶ国のうちの一つだ。

 小人さんの伝説となった神々事変より四十年。ある小さな国が動き出した。


 フラウワーズとキルファンの間に興された国。名前をライガーン王国という。

 

 魔力が復活して満たされた国々は、リアルタイムでの情報共有が可能。そのような国が出来つつあると聞いてはいたが、なんと、その国は獣人ばかりの国で、密偵などを紛れ込ませる事が出来ない。

 しかも完全武装の独立。他国を阻む閉鎖的な国だった。

 果敢にも潜入を試みる誰かもいたが、結果は火を見るより明らか。

 人間よりも五感の優れた獣人らを謀ることは不可能で、忍び込もうとした全ては捕縛され、多額の身代金と引き換えに各国へ送り届けられていた。


「下等種族が、図に乗りおって.....っ!」


 ヘンネセン王国には数人の獣人の奴隷がいる。あの手この手を使わせ、二十年ほど前に手に入れたものだ。

 これが人拐いによる被害者にあたるので、返還に応じなくてはならない。


 何十年もの月日がたち、アルカディアには国際法というものが出来上がっていたからだ。

 これに参加する国は、この法に従わなくてはならず、その中には、誘拐による奴隷販売を禁止する法が盛り込まれている。

 数多に溢れる人族ならば誤魔化しようもあるのだが、獣人は誤魔化せない。

 その見てくれからも一目瞭然。人違いだとか、他人の空似だとかの言い訳は通用しない。

 本人らを返還すれば事は収まる。国際法が出来てから、まだ十年にもならない。過去の過ちまで遡ることはない。

 だが、今現在、生きて奴隷とされているのなら、解放せよと相手は言える。

 相手が違法に入手したのだとの証拠があれば、主張出来る。

 

 獣人は、非常に稀な生き物だ。その数が少なく、滅多に見れることはない。

 そんな獣人らが、ある時を境に姿を消した。正確には、所定の場所から出てこなくなり、その場所はキルファン王国により堅固に護られている。

 このキルファン王国というのも一風変わった国で、黒目黒髪中心な単一民族。多少の混血が混じるものの、その特異な民族性から、他国の者が潜入するのが難しい国だった。

 彫りの深い白人種が混じると、あからさまに浮く。


 そういった経緯から、他の国々は、前にクラウディア王国が管理していた獣人らの所有権がキルファンに移ったのだと勘違いした。

 クラウディア王国で起きた下克上の話は、戯曲にもなるほど有名だ。

 その関係で、なにがしかが起きたのだろうと推察した他国は、キルファンに獣人の購入を打診する。


 だが、けんもほろろに一蹴された。


「我が国に、売り物となるような人間は存在いたしません」


 そうキッパリと言い切り、獣人は奴隷だろう、何故、売らないっ、と、しつこつ詰め寄る王侯貴族らを追い返す。

 

 むろん、そんな事で諦める特権階級の馬鹿野郎様どもではない。


 あらゆる汚い手を使い、湯水のごとく金子を注ぎ込んで、なんとか獣人を拉致した者もいた。ヘンネセン国王も、そんな一人だ。

 当時はまだキルファンや獣人らにも油断があり、まんまと掠め取られたりもされたのだ。

 もちろんキルファン側からの凄まじい抗議があったが、国際法の出来る前の話。

 のらりくらりと詭弁を駆使して逃げ回られた。


 そして近年出来あがった国際法を盾に、獣人の国ライガーン王国から正式な返還要請が来てしまったのである。

 



「なんとかならぬのかっ、たかが獣人の二匹や三匹ぞっ?」


「人拐いは国際法が禁じております。そのような経緯を知りながら買い取った側にも罪がかせられます」


「今の奴隷制度は血統書が必要なのです。何処の誰が、どの様にして購入し、誰に売ったか。そういった正式な書面のない奴隷は全て違法なのです」


 これは国際法での話。もちろん国によって、様々な法律があり、一概に違法とは言わない。

 しかし他国の人間を拐取し、不当に売り払うのは何処の国でも犯罪だった。


「アレを手に入れるのに、どれだけ金子を使ったと思っておるのだっ! それを返してくれるとでもいうのかっ?」


 盗人猛々しいとはこの事だろう。犯罪に使った金を返せとは、何処の民族の思考なのか。

 ざっと計算しても金貨五百枚。隠密に長けた者を何度も潜入させ、金子をばら蒔いて周りを買収し、ようやく手に入れた垂涎の獲物。

 

 連れてこられた時は、まだ幼い子供達だったが、それを首輪に繋ぎ、侍らせると周りが羨望の眼差しを向ける。

 飾り立てて連れ歩けば、誰もがうっとりと羨ましげに見てくれたものだ。

 他国との交流でも、随分役にたってくれた。

 アレを好きにして良い、一晩貸し出そうというだけで、大抵の人間は快く交渉に応じてくれた。

 今では年頃になって番わせた獣人奴隷の子を競売にかけて、泡銭を稼ぐ日々。


 そんな金の成る木を、今さら返せだと? 冗談ではないっ!!


 せっかく愛玩用に仕込んだ奴隷。アレがいなくば、この先、どんな不具合が起きるか。

 獣人との淫猥な一時を餌に、各国の好き者をたらしこんで、ヘンネセン王国は優位を保ってきたのだ。


 特に今はキルファンもライガーンも強固になり、獣人を盗み出すなど不可能。


「どうにかしろっ! アレを失う訳にはいかんっ!!」

 

 ヘンネセン国王の虚しい絶叫が谺する王宮。


 そんな中、ライガーン王国では、ヘンネセン王国へと乗り込む準備が着々と進められていた。




「フロンティアから魔術師団二千が来てくださるそうです。フラウワーズからも騎馬三千」


「大盤振る舞いだな。こちらも騎兵五千と歩兵五千。結構な数になりそうだ」


 ヘンネセン王国はキルファン西北にあたり、片道二週間ほどの場所にある。

 その気になれば戦も行える立地だった。


 ざっと居並ぶ精悍な面持ちの獣人ら。その一人が進み出て、老いた和樹の前に跪く。


「絶対に譲らぬ覚悟で参ります」


「.....初陣だな。気をつけて」


 血気盛んな若者らを見渡し、和樹は老婆心がむくむくと頭をもたげた。

 

 ここまで来るのにどれだけかかった事か。

 感慨深げな眼差しで、彼はライガーン王国の過去をかえりみる。




「だーかーらーぁぁっ! 違うっつってんだろうがぁぁぁーっ!!」


 机をひっくり返す勢いで、獣人らの意識を改革していた切ない日々。


 獣人らは言う。人間様の怒りを、どうかわすべきかと。


 ここで、ぶつっと和樹がキレた。


「人間様ってなんだ、人間様ってーっ!! お前らだって、獣人様だろうがーっ! 同じ人間だろうがーっ!!」


「獣人は人間ではないですよ?」


 ねぇ? と顔を見合わせる獣人達。


「怒りをかわすって何だよっ! 正面から殴り付けてやれば良いだろうっ!! 対等に喧嘩を吹っ掛けてやれよぅ!!」


「そんな恐れ多いっ!! 我々は多くは望みません、静かに暮らせたら良いのです。なんとか、人間様の勘気をこうむらずにやり過ごせる方法を探したいです」


 真剣な顔で宣う獣人ら様。


 .....マジかぁぁぁぁ。


 駄目だ、世界線が違い過ぎる。彼等に遺伝子レベルで刷り込まれた奴隷意識は、生半可でないらしい。

 頭を抱えて項垂れる和樹。その和樹の肩を叩き、教師として雇われたテオドールが獣人達に声をかけた。

 穏やかな笑みを薄くはき、かれは豊かな濃い目の金髪を軽く撫でる。


「なるほど。人間の勘気を買いたくない。ならば、買ってしまったら、どうしますか?」


 眉を逆立てて怒鳴りまくる和樹と違い、柔らかく微笑む青年に安堵すると、獣人達は顔を見合わせた。


「心から謝罪いたします」


「許してもらえなかったら?」


「許していただけるまで謝罪いたします」


「ふむ..... では、許すから、子供を寄越せといわれたら?」


 びくっと彼らの身体が震えた。思わぬ言葉に顔面蒼白。


「謂われない勘気をこうむり、あげく、子供達に無体を働かれたら? 四肢を落として、晒し者にされたら?」


「そんなっ!!」


 顔面蒼白なまま、声を荒らげる獣人達。

 そこでテオドールは、すうっと辛辣に眼をすがめた。


「そういう事なんです。奴隷であり、主を人間様と呼ぶのならば、そういう未来が待ち受けている。貴方方は、そんな未来を回避するために、国を興すのではなかったのですか?」


 愕然とする獣人ら。


「努々お忘れなきよう。奴隷をやめるという事は、真っ向から人間に歯向かうということです。勘気をこうむらないとか、甘い事を言っていたら、元の木阿弥ですよ?」


 冴えた眼差しに見据えられ、獣人らの葛藤がからめとられる。

 そうだ、今の暮らしを失わないために、国を作ろうという和樹に、我らは賛同したのだ。

 

「貴方方は、子を、孫を護るために立ち上がったはず。ならば目の前の壁を叩き壊してでも世界に逆らいなさい。貴方方を奴隷だとしか認識していない人々に、大きく声を上げるんです」


 そこで一度言葉を区切り、テオドールは周りにいる獣人らを一瞥した。

 各々、迷いが浮かんではいるものの、何かに気づいたかのように真摯な顔をしている。


「我々は奴隷ではないと。声高に世間へ知らしめてやりなさい。ここが、その一歩です」


 奴隷の子は奴隷にされる。その連鎖を断ち切るには、親が死に物狂いで抗わねばならない。


「貴方方が人を人間様と呼んでいたら、子供らも、そう呼んでしまいます。貴方方が人間にへつらえば、子供らも..... 分かりますね? 未来の子供達の命運を決めるのは、今の貴方達なんです」


 獣人達の目が、みるみる見開いていく。


 彼等も見てきていた。親が人間に叩かれ、蹴られ、頭を擦り付けるように土下座する姿を。

 僅かばかりな餌と、薄い毛布。冷たい地下牢での暮らしが辛いモノだとは思わなかった。

 怒鳴られないと良いな。今日は叩かれなくて幸せだなと、蒙昧に過ぎていた日々。


 だから、それが当たり前だと..... あああ、なんてことだ。


 あれが過酷な日常であったと、今は理解していたはずなのに、忘れていた。当然のごとく人間の機嫌を窺おうとする、無意識の恐ろしさ。


 そう、無意識なのだ。無意識で動けるほど、獣人らは人間により人格を歪められていた。

 憮然とする彼等にテオドールは小さく頷く。


「まずは自覚してください。貴方達は、頭がおかしい。自由の意味を知らない。知らないから、分からない。そして、今までの日常がものさしとなり、本当の意味での自由を行使できない。心が過去に囚われている」


 淡々と説明するテオドール。


「御飯は美味しいですか?」


「はい」


「暖かく柔らかい寝床は好きですか?」


「.....好きです」


「家族揃って笑い合える今の暮らしは幸せでしょう?」


「.....幸せ.....っ、.....ぅ」


「それが全ての答えです。自由であるからこそ手に入ったもの。.....君達が、人間様と呼んだ人々らが、決して与えてはくれなかったモノです。これを死守するために戦いなさい」


 冷たい牢獄の日々は終わったはずなのに、未だ獣人達を根深く蝕む人間らへの畏怖。

 ほたほたと涙する獣達を見つめながら、和樹は言葉を失った。


 テオドールの言うとおり、彼は何も分かっていなかったのだ。


 真に従属させられた生き物の本能的な恐怖を。戒めを。無意識に恐れる歪んだ心を。

 こんな無慈悲な軛を彼等にガッチリ嵌め込んだのは、自分と同じ人間なのだ。


「今日はここまでにしましょう。皆さん考えてくださいね? 子供らの寝顔でも見ながら、その未来をどうしたいか」


 小さく頷き、とぼとぼ歩く獣人達を見送り、テオドールは和樹を鋭く睨めつける。

 先程までの春風のように優しい笑みは何処へいったのか。その爛々と輝く厭悪の瞳に、和樹は背筋を凍らせた。


「君は、阿保ぅかっ!! なんっにも分かってないんだねっ!!」


 いきなり怒鳴り付けられ、唖然とする和樹を余所に、テオドールは、ガンガン畳み掛ける。


「本人らにどうしようもない事で責めるとか、あり得ないからっ! 見てみなよ可哀想にっ! 自分の言い分を理解してほしいなら、まず彼等の言い分を理解しろっ!!」


 激昂して怒鳴り続けるテオドール。そんな彼に和樹は脳天をカチ割られた気分だ。

 彼の言うとおりである。和樹は、獣人らが何故理解してくれないのか、ずっとイライラしていた。

 いつまでも卑屈な獣人らに無性に腹がたっていた。


 だが、蓋を開けてみれば、この有り様だ。


 なんの知識もない獣人らに、和樹の言う人としての矜持や誇りは理解出来ない。言葉上は理解しても、上滑りで想像がつかない。

 力説する和樹の話を耳にしても、まるで絵空事な夢物語のように聞こえたことだろう。

 穏やかな暮らしを始めて、ようやく彼等は自由の一端を知ったばかりなのだ。


 そんな獣人達に、アレコレと説明だけ詰め込んだところで、真実、理解は得られないだろう。


 テオドールに叩き割られた脳天から脳漿をビチビチさせて、和樹はこれからの蕀の途を想像し、思わずふらついた。

 そんな彼を面白そうに見つめるテオドール。

 王族暮らしの長いテオドールは、理不尽に虐げられるモノを山ほど見てきた。その経験がここに生きる。

 彼等が何に恐怖し、何を求めているのか、テオドールには手に取るように分かるのだ。

 身分に怯え、処罰を恐れ、施しに涙する。こんなのは貴族と平民でもよくある事。獣人達はそれの特化型。

 飄々としたキャラバン暮らししかしていない和樹は知らない経験だろう。


 だが、それを加味しても獣人らの洗脳は根が深い。幼子のように一つ一つ理解させ、根気よく身に覚えさせていく他あるまいな。


 そう思案するテオドール。


 だがそれは、思わぬ方向から崩された。もちろん良い方向に。


 そんな未来を今の二人は知らない。

 

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