第196話 挙国一致の階 ~みっつめ~


「御頼申します」


 和樹の前にはそうそうたる顔ぶれ。


 現キルファンの重鎮たる七摂政らと、初代国王になった和樹の父親。

 座卓を囲む面々の前で、和樹は座布団から降りると両拳を畳につけ、うなじが見えるほどに頭を下げる。

 その真摯な申し出を聞き、神妙な顔を見合わせる人々。


「我が国と隣り合わせて獣人の国を造りたいか..... また、途方もないことを」


 綺麗にしつらえた顎髭を撫でて、キルファン国王は和樹を見下ろす。


 和樹には当たり前すぎて見えていなかったのだ。


 祖国こそが、獣人らを差別しない唯一の国であったことを。

 八紘一宇の教えが根強く、偏見や蔑視を全く持たない国が存在していたことを忘れてた。

 むしろキルファンなら何の遺恨もなく獣人達を受け入れてくれるだろう。

 新生キルファンは実力主義。力ある者に敬意を払うし、戦闘力に長けた獣人らはキルファンの足りない部分を補ってくれる。

 今は千人にも満たない獣人だが、この先増えるだろうし、何より彼等の戦闘力は人間の数倍はあった。文字通り一騎当千。

 さらには魔力の満ちた大地が獣人にも魔法を使えるようにしてくれる。器用が売りな日系人の集まりなキルファン人も同様だ。

 武力と魔法ととバランスの良い軍の編成が可能になる。


 これはキルファンにも利のある申し出だった。

 

「まずは属国でも良い。彼等を支援して頂きたい。対価は労働力。あるいは戦闘力。後々、受けた恩は御返し申す」


 キルファンでなら獣人も学舎に溶け込める。村で基本を学んだ職人らが新たな修行を積める。

 

 灯台下暗し。和樹は己の祖国の在り方を実践していながらも長いキャラバン暮らしだったため、彼にその存在をすっかり忘れ去られていたキルファンだった。


 固く眼を瞑り頭を下げたままな和樹の脳裏で、ちゃっとサムズアップする小人さん。


 あの少女は、きっとこうなると思っていたに違いない。


 フロンティアですら大勢の意識を変えるのは至難の技だ。事実、ようやく変わってきたのは特権階級と一般を隔てる垣根が低くなった程度。

 小人さんが十年以上奮闘してきて、その程度である。それを一足飛びに奴隷脱却など、通常であれば夢のまた夢。

 だが、それを叶えられる土地が..... 国があった。近しすぎて和樹には見えていなかっただけ。


 くっそ、質が悪ぃわ。あのお姫ぃさん、分かってて傍観してやがったな。


 聡く狡猾な少女が、これに気づいていない訳はない。彼女は和樹が気付くかどうか、試していたのだろう。

 手取り足取り導かねばならないようなヒヨコなら放置する。それが小人さんである。

 自ら足掻き、苦しみ、模索して、死に物狂いで掴み取ることこそが大事なのだ。


 小人さんがキルファン近くに獣人らの村を作ったのも、そういった思惑込みに違いない。

 強い軍事国家であるフラウワーズや魔法国家フロンティアに隣接させて周辺国から守り、偏見のないキルファンの後見を受け、時間をかけて獣人達の人権を確立させる。

 きっと、そんな企みを脳裡に抱いていたのだ。


 人の気持ちを変えるには長い時間が必要。それをよく知り、理解し合えれば、自ずと垣根は低くなる。

 なまじ、言葉が交わせるから。なまじ、人間と似たような姿をしているから。

 獣人らを蔑む長い歴史を塗り替えられない。価値観の相違を乗り越えられない。そういうモノなのだという常識が覆せない。


 魔物すらモノノケ様と慣れ親しんだフロンティアでもそうなのだ。


 こちらはむしろ恐怖の対象だったことが功を奏したのだろう。

 恐ろしく力あるモノだという畏怖が敬意に変わったのだ。分かりやすい図式である。


 だが、奴隷と侮られる獣人には、この方式が通用しない。森の野獣と同じく、排除対象でしかない。

 

 これを変えるには、まず獣人達を変えなくてはならなかった。


 自分達は奴隷や家畜ではないのだと。個々の人間であるのだと自覚させ、その評価を上げる必要がある。

 それには国を起こし、周りと遮断して獣人独自の矜持を持たせなくては。

 周りが蔑む限り、彼等の意識は変わらない。そんな大人達を見て育つ子供らの意識も。

 それを無くすためには鎖国だ。余分な情報をシャットアウトし、獣人達だけの文明を築く。

 誰にも非難されず、後ろ指を指されない暮らしが続き、世代交代が繰り返されれば、きっと元の悲惨な歴史を払拭出来るだろう。


 そのために、和樹は祖国へ支援を申し出た。


 キルファンの近くに獣人の街を作り、若い世代中心で学ばせてやりたい。

 偏見のないキルファンから教師や技術者を募って、獣人だけの学校を作りたい。


 そう説明する息子を見て、父親である国王は柔らかく眼を細めた。


 和樹が出奔してから十年以上。桜様の娘御と一度顔見せには来たものの、家に戻る気はないと言っていたのに。

 獣人らのために、それを曲げるか。


 和樹の家はキルファンの初代王家になってしまった。位の高さや血脈、その徳や人望によるモノだが、堅苦しいのを嫌う和樹は、一時帰国でその事実を知り、再びスタコラと逃げ出したのだ。

 橘家には他にも男児がいる。自分は必要ないはずだからと。

 下手に長居すれば、変な縁談や縁組みに巻き込まれかねないと察知した息子の逃げ足は早かった。


 まあ、期待もしていなかった父親は、生温い笑みで息子を見送る。その背中に、今度来る時は嫁子の顔も見せろとよと投げ掛けて。


 それから五年。


 目の前の息子は、嫁子どころではなく、千人近い獣人の命運を背負って現れた。

 

 これも和の国のさだめか。


 弱者を放っておけない本能のようなモノ。過去に、皇帝達の圧政で喘いでいた人々を見捨てることが出来ず、新たな国を興した自分達に幼女が呟いた言葉。


『日の本の逆境魂炸裂か。難儀な血の元に生まれたもんやなぁ』


 にししっと笑う幼女が口にした言葉。


 日の本とは、また懐かしい。


 ここ数百年で失われた呼称である。

 魔法喪失の低迷期、キルファンは世界と繋がりを持った。それを切っ掛けに利権を巡って争いが起き、何度も皇帝がすげ替えられ、近年の傍若無人なキルファンが生まれる。

 それと同時に、八紘一宇や日の本といった和の国特有の言葉も失われていったと、彼は先人らから聞いた。


 まさかその言葉を、ここで聞こうとは。

 しかも、キルファンとは全く無縁な他国人から。


 橘翁は、当時の驚愕を今でも忘れられない。


 そんな懐かしい思い出を脳裡に描き、和樹を見つめるキルファン国王。


「皆はどうか? これに手を貸す価値はあろうか?」


 円卓の面々を見渡して、国王は問いかけた。


「左様ですか。国を興すと.....」


「難しくはないでしょうか? 獣人では」


「然なり。元々、男児の生まれにくい種族と聞く。今でもそれは変わっておるまい」


「人は石垣、人は城。民なくして国は出来ぬよ? 坊?」


 和樹の肩がピクリと震える。獣人らの数が少ない理由を彼も知っていた。しかし、それも想定内。

 にっとほくそ笑み、和樹はサーシャの家に子が生まれたことを説明する。


「実は、ライカンと呼ばれる特殊な獣人の女性がおりまして。なんでも、男児が生まれやすい体質の獣人なのだとか.....」


 三年前に生まれたサーシャの息子達。三つ子の子供らは、全て狐系の獣人だった。

 肉食系か草食系のどちらかに特化する獣人達。その中で稀に生まれる雑食系の獣人がライカンと呼ばれる。

 ライカンからは男児が産まれやすいとあるが、そのあとサーシャは女児も産んでいる。

 つまり、普通の男女比で産まれるだけなのだ。

 女系が顕著な獣人らにあっては、普通の男女比でも十分な恩恵だったのだろう。


 その説明に首を傾げるキルファンの面々。


「それが、なんだと?」


 疑問を口にする父親を見て、和樹はしたり顔で答えた。


「サーシャが産んだのは狐系と穴熊系の子供。つまり、全てライカンなのですよ」


 そこでようやくキルファンの者達も気づいた。正しい男女比で子を成せる個体が生まれたのだと。


「これを聞き、獣人らに試してもらいました。にくからず想い合う人間と婚姻してもらったのです」


 獣人の村には多くのクラウディア貧民がいる。ほとんどが若い世代だ。

 苦労を共にしてきた両種族には、サーシャ同様それぞれに情を交わす者らもいたが、長であるナーリャが難色をしめし婚姻にまでいたれなかったのだ。

 だが、サーシャが人族と結婚し子をなしたため、和樹の後押しもあって、獣族と人族の婚姻が認められる。


 結果は御察し。獣族と人族の間にはライカンが生まれ、村は大興奮だった。

 どうやら近親婚の濃い血脈が、新たな血を得て良い方向に進化したようである。

 おかげで獣人の村は婚姻ラッシュにベビーラッシュ。これからきっと、多くの子供らで賑わうことだろう。


 そして獣人の彼等も一丸発起する。


 後の子弟のため、安全で豊かな国を作りたいと。

 自由を得て、糧を得て、家族を得た獣人達は、初めて、欲という希望を知った。

 手に入れたモノを守りたい。美味しい御飯や、日々の労働。愛すべき家族らとの穏やかな暮らし。

 それらを知り、ようやく獣人達は、己の過去の暮らしが悲惨極まりないモノだったのだと理解する。

 あんな暮らしに戻るのは真っ平御免だ。子供らにもさせたくはない。


 真の我が儘者は世界を救う。


 欲と言うにも慎ましい細やかな願望。何年もかけて獣人達に芽生えた人としての矜持。


 やるなら今しかない。


 この角ぐむ小さな芽を枯らしてはならない。


 力説する和樹に頷き、キルファンの面々も微笑む。


「よかろう。獣人らの街を作り、そこを我が国の属国と認めよう」


 一縷の希望が射しそむり、和樹は顔を輝かせた。


 こうして獣人達はアルカディアの表舞台から姿を消す。

 キルファンに厳重に守られ、小さな小さな国を興し、そこから一切出て来なくなった。


 ここに、誰も知らない小さな伝説が幕を上げる。

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