第195話 挙国一致の階 ~ふたつめ~


「もうさ、いっその事、国を作らねぇか?」


 あっけらかんと宣う和樹に、眼を丸くさせる獣人達。

 

 ここは獣人の村。件の事件から五年がたち、神々の争いにも終止符が打たれ、右往左往しつつも世界は紡がれていた。


 だが獣人らの立場は変わらない。


 フロンティアが後見しているため、大きないさかいは起こらないものの、度々奴隷狩りに襲われ、密漁的な輩に狙われ、平穏とは言い難い暮らしを彼等は過ごしている。

 祖国であったクラウディアで内乱が勃発し、憎き愚王が成敗された事を知って一時の歓喜が流れたが、ただそれだけ。

 可も不可もなく、穏やかな日常だ。


 そう獣人らは思っていた。


 そう思っている獣人らが、和樹には痛ましくて仕方がない。

 普通の人間なら、奴隷狩りに怯えることなどないのだ。人拐いは何処の国にでもある事だが、密漁だの、奴隷狩りだのと銘を打つことはない。

 狩って、狩られてが当たり前という認識が双方にある。それが切なくて堪らない。


 理不尽に虐げられて良い生き物などいないのに。


 そんな簡単な事すら理解出来ないほど、彼等の過去の経緯は凄まじい。

 今の暮らしを心から喜び、幸せだと笑う獣人らに和樹の魂が悲鳴を上げる。


『御飯が美味しい。温かい。すごく幸せです』


 聞けば、クラウディア王宮地下で監禁されていた頃は、檻に投げ込まれた燕麦や玉蜀黍を、指で拾いながら食べていたとか。

 家畜だって、もっとマシな食事事情だろうに。


『着る物が襤褸じゃない。サンダルも履けるし、寝るための寝具もあります。なんと贅沢なことでしょう』


 クラウディア辺境の街で支度を整えるまで、彼等が身に付けていたのは腰布一枚。子供らにいたっては素っ裸もいたので、騎士団が有り合わせの服を貸していた。

 寝るときは冷たく固い石畳の上で一枚の毛布を使い、数人が身を寄せあって眠っていたとか。


『家があるんですよ? 家がっ! 働く仕事も貰えたし、家族で暮らせるなんて、至れり尽くせりです』


 子供を産んでは奪われ、老いて産めなくなれば重労働の奴隷として売り払われていた獣人達。

 それが理不尽極まりないと知らないからこそ起きる数々の錯覚。


 奴隷売買の蔓延るアルカディアだ。人間の奴隷すら家畜扱いなのに、人として数えられていない獣人の扱いがどのようなモノなのか、容易く想像出来てしまう。

 人間らは人間らで勝手にやらせれば良い。お国事情だ。小人さんではないが、これも自己責任だろう。

 抗うも従うも、その国の判断に任せるべきだ。


 しかし獣人らは違う。


 人間が勝手に決めた価値観に翻弄され、今にも滅びそうな彼等に選択肢は用意されていなかった。

 人間が奴隷と貶め、飼い慣らし、洗脳してきた獣人の一族。大半が外の世界を知らない世代だ。

 殆どクラウディア王宮地下生まれで、外界を知る獣人は長のナーシャを含む僅かばかり。

 そんな彼等は自意識などなく、思考力も皆無。唯々諾々と従うことしか教えられてきていない世代に、反骨など抱く術もなかろう。

 無知蒙昧が当たり前に飼育されたのだ。知らぬことをやれと言われても出来る訳がない。


 あらゆる事象は知識があってこそ起きるのだ。


 自由を知るから、それに憧れる。道理を知るから理不尽に憤る。そういった感情の全てには、根底となる知識が潜んでいた。

 それらが全くなければ、何の意識も抱きようがない。

 地下の隔絶された世界で何も知らない暮らしをしていれば、それが日常。

 疑問を持つ必要もなく、ただ緩慢に流れていく日々を過ごすだけ。

 

 周囲に某かあれば、また変わるのだろうが、彼等には薄暗い地下牢が世界の全てだったから。

 生まれた時から同じ境遇の仲間しかいない狭い世界で、得られる知識など何もない。

 外からやってきたナーシャ達に話を聞いてもちんぷんかんぷん。

 

 家? 大きな小屋? 小屋って何?


 御飯? 温かい食べ物? 野菜? 肉? 料理? 料理って何?


 万事が万事、この調子。


 売り物として教育される獣人ら以外は、野生の牙を失なった状態の動物も同じ。ただそこで生きているだけの暮らしだったのだ。


 そのようにしてしまったのは愚かな人間達。


 ならば、その後始末も人間がするべきだろう。彼等を正しく人に戻さねばならない。


 運搬してきた獣人の惨状を理解した和樹は、方々を駆け回って、あらゆる人々に助けを求めた。

 フロンティアと小人さんは無条件で手助けしてくれる。ならば商人である和樹に出来るのは、商売の伝をたどり、多くの物品を集めることである。

 未だに何もかもが足りない獣人の村へ、彼は大量の物品とともに、大量の人材も集めて来た。


「おおぅ、本当に獣人ばっかだな。俺は鍛冶屋のトムだ、よろしくな」


「皆、ひどい服装ね。製糸から教えてあげるわよ。あたしは仕立屋のリイーゼ、仲良くやりましょうね」


 和樹が連れてきたのは、生産の基本となる職業の者達。

 フロンティアや新生キルファンの技術は卓越し過ぎており、なんの知識もない獣人らに扱えるモノではない。

 なので基本中の基本を学ばせるために、彼は多くの職人を獣人の村へ招いた。


「いきなり弟子を融通しろとか言われて驚いたが。まあ、理解した。こんな辺鄙な土地じゃあ足りないモノだらけだな」


 火花避けのゴーグルを上げて、快活に笑う老人トム。

 トムはフラウワーズでも名うての職人だ。その伝を頼り、それなりの鍛冶職人を融通して貰おうと和樹が説明する話を聞いたトムは、いたく興味を持ったらしく、何故か本人がやってきた。

 

「必要な物はフロンティアが協力してくれているんだが、与えられているだけじゃダメなんだよ。それじゃ、飼われていたいた今までと変わらない。飼い主が変わっただけだ」


 与えられることしか知らない獣人達。主に従い何でもやるが、それが己の生活を賄うものだとか、糧を得るためなのだとかという、当たり前な常識を理解していないのだと、和樹はトムに説明する。


「それはまた..... うーむ」


 根が深い。


 こうして多くの人々の力を借り、和樹は獣人らが人として生きていけるよう尽力した。


 幸いなことに、外界をそこそこ知っているナーリャが長である。

 彼女も辺鄙な隠れ里暮らしでだったが、自分の力で生計をたてるなどの一般知識は備えていた。

 むしろ、自給自足的な古いやり方は和樹らよりも詳しい。

 そこから始め、立志前の子供達をフロンティアに預けて、若い世代の育成を願った和樹。


 だがそれは、思わぬ方向から崩される。




「獣人の子供を預かれない?」


「獣人らは奴隷種族だという意識が強くてね。机を並べて学ぶのを嫌がる子供らや親が大勢いるんだよ」


 サーシャのように人間に近い者ならばまだ良い。しかし獣人には、丸っきり二足歩行の獣のような姿の者もいた。

 長い鼻面や鋭い牙。手足も毛むくじゃらで、五本指を所持していようがとても人には思えない。

 いつ何時、子供らに牙を剥かれるかと戦々恐々な親達の説得は不可能だと語る小人さん。

 これも慣れなのだろうとは思う。サーシャがフロンティアで異端視されているのを幼女は見たことがない。

 それでも彼女とドルフェンの婚姻話を聞いた大半の人々は、嫌悪とはいかないまでも、あからさまに驚愕の表情を浮かべた。


 これが現実なのだ。


 愕然とする和樹に眼を細め、千尋はその頭を下げる。


「力及びませんでした」


 それは小人さんからの最後通牒。この事に関しては、これ以上手助け出来ないという意味だ。


 この規格外な少女に出来ないことが誰にやれよう。


 獣人らの負の連鎖を断ち切り、最低限、人として扱ってやりたい。そんな細やかな希望が、実は途方もなく遠大な野望であった事を、和樹はここで初めて知った。


 その野望は、かつて小人さんも脳裏に描いたことがある。

 万魔殿の奴隷らを初めて見た時。十年は前の話だ。

 アルカディアを取り巻く世界観から、それを諦めた幼い小人さん。

 それでも何時かはと心に秘め、渡る国々に人々の自由と尊厳を訴え続けてきた。

 その行動は着実に定着し、アルカディアの常識を変えつつある。

 十年以上の年月を経て、ようやく変わりつつ(・・)なのだ。事の困難さが分かろうというもの。


 小人さんにして、未だ片鱗しか掴めていない壮大な野望。それに脚を踏み出してしまった和樹は、あまりの絶望に目の前が真っ暗になる。


 意気消沈して背中を丸める傾奇者の姿を視界に映して、千尋は人の悪い顔で口角を歪めた。

 彼もまた、パスカールと同じ。木を見て森が見えていない。幸運は常に傍にあるのだという事を理解していない。


 気づくかな?


 小人さんにも未だ成し得ぬ遠大な途の初手で、力なく頽おれた和樹。


 彼の希望は、その足元に転がっていた。


 後日、それに気付き、再び駆け回った彼は、冒頭の言葉を口にしたのだ。


 国を興そうと。


 それが獣人らに残された唯一の途であり、和樹に手助けしてやれる唯一の方法だったのである。

 

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